16 消えたもの
死体を毛布にくるんで隠すとそれを担いで男達は建物を出て行った。そして、もう二度と戻らなかった。
静まり返った部屋の中。どこかで犬が吠える声がした。白く輝いていた窓の外はいつの間にか薄暗くなり、部屋の中に赤い影を落としている。
ぎゅっと私を抱き直すと、「ていっ」とラルナが飛び降りた。降り立つ直前に腿の下に手を回してくれたから、ぜんぜん衝撃は感じなかった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
よかった。気付かれなくって。ほんとに、よかった……。ほっと息を吐くと、力が脱けた。そのまま、壁にもたれ掛かる。
カバンから水筒代わりの革袋を取り出す。私も喉がカラカラだ。栓を開けて、顔を傾ける。水が腐るから、口は付けちゃいけない。水を押し出すようにして飲まないといけないけど、どうしたって慣れない。
「飲ませてあげよっか?」
「ひゃっ!?」
革袋を押し込んだその時にラルナが声を掛けてきて、水が全部顔に掛かった。
「アハハハハ。やっぱりへたくそだ」
バカっ……。ハンカチで慌てて顔を拭う。ゴシゴシ顔を何度か余計に拭って、その間に気持ちを切り替える。
「……どうして、仲間の遺体を隠したんだろう?」
仲間の遺体を奴らは毛布に包んでどこかに運び去った。隠したんだ。仲間が殺されたっていうのに……。
「さあ? せっかくのお祭りに水を差したくなかったんじゃない?」
「ラルナ……」
真面目に考えてよ。非難の目に肩を竦めて、ラルナは両手を頭の後ろで組んだ。
「決まってるさ。人死には騒ぎになる。耳目を驚かす。……奴らはそれを避けたかった」
「……洞窟の財宝を隠す為……?」
その為に仲間の死体さえ隠す……?
「さあ、どうだろう」
微かに笑うとラルナはふらっと部屋を出て行く。「待ってよ!」。慌てて後を追う。
どの部屋も空っぽだった。黴の生えたパン。割れた食器。残っているのは荒んだ暮らしの跡と空になった棚くらい。奴らが何もかも持って行ったんだ。
割れた食器を取り上げてラルナは呟いた。
「ここは奴らのアジトじゃないな」
「アジト……?」。聞いた事ない。どういう意味だろう。ラルナはそれには答えずに食器の欠片を放り捨てた。
「……住んでたのは一人だけってことさ。あの死んでた男。あいつが一人で暮らしてたんだ」
「……どうして?」
「じゃなきゃこんなに綺麗なわけない」
「綺麗……?」
私は家の中を見回した。これが……綺麗? だけど、ラルナと行ったあの場末の酒場の光景を思い出して考え直す。転がった食器、食べ散らかされた料理。お酒と噛みタバコの唾と吐瀉物が一緒になって、そこら中で饐えた水溜まりを作っている。その中で酔っ払いが普通に転がってる。確かにあんな連中がこんな狭い家に暮らしてたらこんなに綺麗なわけがない。テルーゾ達の宿だって、酷い汚れ方だった。
「がらんどうだ」
ある部屋の扉を押し開くなり、ラルナはよく分からない言葉を呟いた。
その部屋は他の部屋より更に空っぽで家具一つない。ラルナはゆっくりと部屋の奥へ進むと蹲り、人差し指で床を撫でた。
「ふぅん」
薄い笑みに指先の埃を吹き飛ばすともう立ち上がり、身を翻していた。
「行くよ」
通りの暗がりを夕日が赤く染めている。胡散臭い通りは今が朝らしい。起き出した住民達がちらほら通りに姿を現わす。
あの建物は誰がいつから使っていたんだろう。死んでいたあの男。彼が住人だってラルナは言う。彼とテルーゾ達との関係は……。そうだ。聞き込みをしてみれば……。
「見るな」
ぐいっとラルナに手を引かれた。強い力が私を引っ張って、そのままどんどん連れて行かれる。
「聞き込みなんて考えないでよね。……べつに守れるけど。無駄だからね」
「無駄って……?」
「奴らは何も言いやしないし。だいたい、何も見ちゃいない。……行くよ」
「きゃっ……」
暗がりに連れ込まれるやラルナの体が私を抱き締めていた。腿の裏に腕が回った瞬間、ふわりと体が浮かび上がっている。とんと音もなく屋根の上に着地する。私達の消えた行き止まりをゴロツキ達が野卑な目を振り回して探していた。
「こんな通りに逢魔が時に可愛い女の子がふらついてりゃ、そりゃそうなるさ。……それとも、返り討ちにして聞き出した方が良かったかな」
「……暴力はダメ。揉め事は出来るだけ避けよう」
「きみがそれを言うわけだ」
皮肉に笑って、ラルナは屋根の上を歩き出す。あなたの残してくれたその手を掴んで、私も後に付いていく。
しばらく言葉も無く、屋根の上を歩いた。不意に腕を引っ張られ、気付くと下に降りている。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
にやと微笑むとあなたは私を下ろして、またふらりと歩いて行く。辺りに人が無いのを確かめてから、あなたの背中に声を投げた。
「……ねえ、ラルナ」
あなたは応えない。構わず続けた。
「……あの人はあそこで何をしてたんだろう?」
あなたは振り向かないで訊いてきた。
「……何故、奴らは死体を隠したのか。じゃないの?」
その背中を見つめて、私は答える。
「……その答えもそこにあると思うんだ。あの人はあそこで何かをやってた。それをテルーゾ達は隠したかったんだ。だから、死体も隠した」
「……うん」
「…………あの人は誰だったんだろう?」
「…………うん」
ぴくっとあなたのアホ毛が跳ねたような気がした。もちろん、そんなはずない。ただの錯覚。気のせいだ。だけど、一瞬、あなたが動揺したようなそんな気がした。
「……ラルナは、何か気付いたの?」
あなたの背中が立ち止まった。だけど、あなたは答えない。「いや……」。
ひゅうひゅうと風が抜けていった。冬の残り香が鼻を擽ったくする。
ぎゅっと握った拳は汗ばんでいた。黙りこくったあなたの背中に私ははっきりと声を投げた。
「――あの人が誰かは分からないけれど、殺された理由は分かる。……私達とテルーゾ以外にも“財宝”を狙ってる奴がいるんだ」
「…………怖い?」
肩越しにあなたが笑った。唇頭に乗った煤けた嘲り。差し込んでくるひやりとした冷気を追い出すように私は声を張った。
「怖くなんてないっ! ……むしろっ、楽しいっ! ドキドキする! ワクワクするっ! “財宝”は、ぜったい、ぜったい、私が見つける! だからっ……」
その先の言葉は風に紛れて消えていた。
見返るあなたの横顔の一方を残光が赤く照らして、もう一方を暗い影に沈めていた。
明暗に別れた双眸がじっとこっちを見つめている。温かくも冷たい二つの瞳。その向こうを覗く前に夕日は地平の裏に没した。
「帰ろうか。おなか、減っちゃった」
一面翳った顔を背け、あなたはふらりと歩き出した。
夕方、酒場に戻ると、店はすごいお客さんでごった返していた。早速私は手伝いに加わった。
エサタの祭りは2日後。だけど、明日の新月の夜は皆教会でお祈りがある。だから、2日前の今晩が実質的な前夜祭ってわけだ。
せっかく用意した飾りを早速台無しにする酔っ払い共の乱行に呆れながら、私はお酒を運んで、店を駆け回る。
なんだか夢みたいだ。強いお酒に酔ったように頭の奥がぼーっとしている。
ついさっき、私は冒険の中にいた。テルーゾ達を追いかけて、忍び込んだ薄汚い通りの建物。そこで私は、死体に出会ったんだ。
テルーゾ達の仲間の誰か。殺されたんだ。理由は分かりきってる。“財宝”を狙う他の冒険者がやったに決まってるんだ。目当てのお宝を巡って、死者さえ出る。血腥くて荒っぽい、これでこそ、冒険だ……!
だけど、また一つ、謎は増えた。何故かテルーゾ達は仲間の死体を慌てて片付けてどこかに運んで隠してしまった。
どうしてあんな事をしたんだろう。ラルナは騒ぎを避けたかったんだって言ってた。だけど、いまいち腑に落ちない。ゴロツキらしくない。ゴロツキなんて、騒ぎに生きてるような物だ。他人の騒ぎの間に押し入って自分の物にしてしまうのがゴロツキだ。そして、手頃な騒ぎがなければ、自分自身が騒ぎになるのだ。生きる為に騒ぐのか、騒ぐ為に生きるのか……。不要な騒乱を起こし、社会不安を醸成する事しか出来ないはみ出し者達。それがつまりゴロツキの本質だ。彼らを生かすような騒ぎは真っ当で平穏な暮らしの中にはない。だから、ゴロツキは戦場に行って傭兵となるか、当ての無い危険を求めて冒険者となるしかない。そんな奴らが騒ぎを避けたがるなんてあり得ない。祭りに水を差したくなかったんじゃない? なんてラルナはとぼけて言った。私はそれを一蹴したけれど、考える程にそれくらいしか思い付かない。
仲間が殺されたんだ。すぐに剣を担いで報復に行きそうな物じゃないか。相手が分からなくたってそこらの酒場を手当たり次第因縁を付けて回るくらい如何にもしそうだ。なのに、どうして、わざわざ死体を隠して……?
あの時のテルーゾの態度も気に掛かる。死体を片付けさせたのはテルーゾじゃなく、ダッドという小男だった。そして、あのダッドという男はエドの言っていた特徴にぴったり合うんだ。
「ユーリちゃん! こっちもエールねっ!!!」
「あっ、はいっ!!!」
酒場の熱気と喧噪の中でそれでも頭はしんと冷えている。目の回るような忙しさも思考の回転を妨げない。お城を出て、騒がしさよりむしろ静けさが思考を鋭敏にしてくれるのだと知った。あの寒々しいお城の中では何もかもが虚ろで、どんな言葉も思いも漠と消えるような気がしたから……。
つい気付いたらラルナを見ていた。
ラルナは珍しく一人で飲んでる。喧噪と騒乱の片隅で、机に顎肘、エールをちびちび。組んだ足がしどけなく、傾いた上体がだらしない。くたびれた気怠さの中で、ただ琥珀の瞳だけが炯々と不気味に輝いていた。
酒場の熱気とお客さんは明け方まで引かなかった。いつもは先に上がらせて貰うんだけど、こんなに忙しくちゃしょうがない。
ようやく酒場が空いてきた頃、くたくたの様子でおばさんが声を掛けてきた。
「お疲れさま。悪かったね」
おばさんは両手に薪を抱えている。表の篝火に足しに行くんだろう。
「私、やっときます」
「いいんだよ。もう上がってくれて……」
「大丈夫です。おばさんこそ、座って休んでて」
「悪いねぇ……」
ちょっと強引に薪を受け取って、表の戸を押し開いた。その瞬間、しんと冷えた風がスカートを擽る。清涼な風に自分の疲労に気付かされる。
篝火は少し小さくなっていた。薪を足そうと手を伸ばし掛けると、横から誰かが薪を取った。
「ラルナっ……?」
いきなりだったからちょっと驚いた。ラルナは私より頭一つ小さな背をんっと伸ばして、篝に薪を放り込んだ。
「ありがとう」
「ん……」
ラルナはぶっきらぼうな生返事。こっちを見てもくれない。あなたらしくない態度にちょっと胸の奥が波立った。なんか不機嫌? どうしたんだろう?
「ほとんど消えてるね」
「え?」
斜め上を見つめた瞳。篝火に赤々と照る琥珀の瞳を辿れば、東の空に細い細い、とても微かな月が上っていた。その下では今にも日が昇ろうとしていて、先触れの陽光が星の光を追いやっている。ようやく出てきたあのか細い月も今に払暁の明かりに吞まれてしまうだろう。
明日はもう月は出ない。だけど、月は無くなってしまったわけじゃない。見えないだけで確かにそこに在る。そして、生まれ変わる為の用意をしているんだ。暁、東の空に消えた月は、黄昏、西の空に昇る。滅びと再生。欠けては満ちる永遠の運行。死と生を司り、滅んでは生まれる月――。
明後日、夕方、西の空に生まれ変わった月が出る。そして、エサタの夜が始まり、その時、洞窟の謎は――。
ぎゅっと引っ張る強い力が思索を断ち切っていた。固く私の手を握ると、ラルナは強引に私を引っ張って酒場の中に戻る。
「ラルナっ……?」
急にどうしたんだろう? どこか厳しいあなたの横顔と掌の感触に、私はただ当惑する。なんなんだろう? 固く手を握ったまま、あなたは酒場の奥に私を引っ張っていく。「おばさん。ユーリ返して貰うよ」。カウンターに座って休憩中のおばさんに声を投げると、「蝋燭貸してね」赤々と火の燃える蝋燭を取り上げて私に渡してくる。「ごはんもらうよー!」厨房を覗いて、パンを二つ貰うと、一つは口に咥えて一つは小脇に挟む。それから、料理人が今さっき作ってくれたばかりのまかないのスープを一つ頭の上に載せ、もう一つを右手で持った。左手はぎゅっと私の右手を握ったまま。ぐいっと引っ張られて、私は二階に連れて行かれる。屋根裏に上がるはしごの前まで来ると「先、上がって」。投げ放つように手を離され、はしごに押しやられる。なんなの? もう。蝋燭を持ってはしごを上ると、あなたは後から跳び上がってきた。小さな机の上にスープを載せると小脇に挟んだパンを放り投げてくる。なんなんだ? 釈然としない感じがしながら、私はベッドの端に座って、パンを囓る。あなたは座らない。はしごの口の傍に立ったまま、パンを食いちぎるようにして平らげると、スープを煽るように飲み干して、袖で口を拭う。
「じゃあ、おやすみ」
「ちょっと……! ラルナっ!?」
はしごの口に消えかけたあなたを慌てて呼び止める。どういうことなのっ!?
「なに? 寝ないの?」
「寝るけどっ……!」
ラルナは? ラルナはどうするの? それがどうしても出てきてくれない。じっと見つめた瞳。琥珀の瞳はちょっと斜を向くと、ぶっきらぼうに言った。
「……じゃあ寝なよ。きみ疲れてるし。ぐっすり眠りな。みんなもどうせ明日は寝てるよ。今日は朝までどんちゃん騒いで、夕方からはお祈りだ。町は休みみたいなもんさ。……もうあれこれ調べたって無駄だよ」
一方的な言葉。「だけど、もうエサタは明後日で、明後日には洞窟が……!」むらと沸き立った感情は続く言葉に制せられていた。
「……だから、動くなら明日なのさ」
独り言のように呟くとラルナははしごの口に消えていた。動くなら明日? だけど、エサタは明後日だし、ラルナは寝とけって言うし、一体、どういう……?
「……もう、なんなのっ!?」
浮いた腰をどすんと下ろし叫んだ言葉は空虚な闇に溶けて消えていった。
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