15 見てないもの

「ら、ラルナ……。どういうこと!?」

「さて、どういうことだろうね」

 足元の死体を睨み、ラルナは静かな口調で答えた。ここにあってここにない。超然、そんな言葉が相応しい透徹とした瞳。

 心細さについ伸ばした私の手を躱して、ラルナは死体に近寄った。膝を抱くように蹲り、無感動な瞳で見下ろす。

「死んでる。鈍器で頭を一発。得物はこれかな?」

 淡々と呟くと脇に転がった火掻き棒に目を向ける。

「……素人だな」

 ぴしゃりと言い切ると、もう懐を漁りだしていた。咎める間も余裕も無い。どうしよう? どうする? まずは冷静、冷静に。深呼吸、深呼吸。なんてやってると猛烈な足音が響いてきた。

「ラルナっ!?」

「うん」

 ラルナは蹲ったまま顔さえ上げない。ちょっとヤバいって! 戻ってきたんだ!

「ラルナって!」

「うん。もうちょっと」

 もうちょっとじゃなくて、どうすんの!? ここは建物の一番奥の部屋だ。どこにも逃げ場なんてない。窓を破って外に逃げ出す? いや、でもちょうど外で鉢合わせたらどうする? どっかに隠れる? いや、どこにっ!? 机と椅子くらいしかこの部屋にはない。とにかく廊下を戻って……。って、もう足音が!

「ラルナっ!」

「うん」

 ラルナは怖いくらい動じない。死体の手を取って、じっとそれを見つめてる。ちょっとほんと何やって……!

 つい叫びそうになったその声は、声にならなかった。ふわり、不気味な浮遊感。「ちゃんとつかまっててね」にやと微笑んだあなたの顔。これって、まさか……。とにかくぎゅっと私はラルナに抱き着く。

「なにがあった!?」

 若い男の声がした。だけど、そっちはとても見られない。「テルーゾだぜ」ラルナは楽しげに笑ってる。

「……分かりません。ヴァンスが訪ねた時には既に……」

 低い声が答える。「あの小男だ」。ラルナは本当に楽しそうだ。

「……金貨はどうした!? 大丈夫なのか!?」

「そいつは問題ありません。既に奴の仕事は終わってますから。ここももう引き払うところでした」

「……じゃあ、なんで殺された?」

「そいつが分かりません。……ただの偶然。物取りにやられたのかもしれません」

「……騒ぎは困るぞ! ……取引が近いんだ」

「同感です。……ここはこうしましょう」

 小男が何かを囁く。やや間があって、テルーゾが震えた声で言った。

「……大丈夫なんだろうな?」

「あんたに迷惑は掛けません。何もなかった。こいつは死んでいない。誰にも見られずに町から消える。……そういう事です」

「……そうだな。うん、そうだな。よし……。任せたぞ、ダッド」

「はい。テルーゾさん」

 足音が聞こえてくる。きゅっと胸が痛くなり、私は必死にラルナに抱き着いた。ラルナの腕はしっかりと私を抱いてくれているけれど、だからって怖くないわけじゃない。いつバレるとも分からないんだから……。

 テルーゾは気付かずに出て行ったらしい。それを見送って、小男が――テルーゾはダッドって呼んでた――声を張る。

「おい、野郎共! 一切合切、引き払うぞ! ヴァンス! 毛布をどっかから持ってこい!」

「はいっ! 親分!」

 部屋は一気に騒がしくなって、どやどやと人が出て行く音がする。もう大丈夫……では全然ないけど、とにかく部屋には誰もいなくなった。ちょっと気が楽になる。

「危なかったね」

 ふふっとあなたが真横で微笑む。バカっ! ドンと脇腹を殴り付けてやる。こんなのバカだ。アホっ!

 怖ず怖ず、見下ろしてみると、真下に死体が転がっていた。うわっ。足の竦む心地がした。バタバタと響いた足音に心臓が跳ね上がる。戻ってきた男達の頭を私は見下ろしている。

 バカだ。アホだ。

 ラルナは――。上に逃げたんだ。もうヤバいってその瞬間、私を抱き上げ跳び上がると、部屋の梁に掴まった。男達が入ってきても、何かテルーゾと相談してる間も、そして今も――ぷらりと真上の梁にぶら下がってる。この部屋の天井がたまたまいくらか高いからって、どうかしてる。

 ちょっとでもあいつらが顔を上げたら、それでおしまいだ。隠れてさえいないんだから――。

「……みんな下を向いて生きてるもんだ。それじゃ小銭くらいしか見つけらんない」

 ラルナは戯けた口調で囁いてみせる。

「もうっ、バカっ……」

「だけど、おかげで面白い物が見られる」

 ダッドと呼ばれた小男の指示の元、バタバタと男達は部屋を片付けていく。言葉通り、この建物をすっかり引き払ってしまうつもりみたいだ。何もなかったように。「ここじゃ誰も死んじゃいない」。ダッドは言っていた。たぶん死体さえも片付けて無かった事にするつもりなんだろう――。

 何でだ? 仲間が殺されたのに? 死体を片付ける? ここを引き払う? どうしてそんな必要があるんだ?

 今はよく分からない。というか、緊張で喉がカラカラで考えもまとまらない。

 下を見ていると怖くって仕方ない。真下のゴロツキがいつひょいっと頭を上げないとも限らないんだから。私はぎゅっとラルナにしがみついて、上に顔を戻した。細い腕一本でラルナが梁にぶら下がってる。もう片方の手はぎゅっと私を抱き締めている。すごいよね。あんな細い腕で自分と私の体重を軽々支えてあくびなんかしてる。

「喉、渇いたね」

 不意にラルナが囁いてきた。訝りながら頷けば、にやりと微笑んだ。嫌な予感がする。

「……飲みたいな、水」

「え!?」

 つい大声が出そうになっちゃって、ラルナに怒られた。

「声が大きいって」

「い、いやだって……。今!?」

 今、この状況で!? 梁にぶら下がってて、足元にゴロツキ達がうろうろしてるこの状況で!?

「だって、今渇いたんだもん」

 ラルナは唇を尖らせる。もうっ……。

「……勝手にすれば。カバンに入ってる」

「飲ませてよ」

「……はぁ!?」

「だから、大きいって」

 またあなたに怒られた。呆れ顔のラルナに大声を出さないように言い返す。

「誰のせいだと!? 勝手に飲めばいいじゃん!」

「無茶を仰るお姫さま。……最強無敵の勇者だって、手は二つしかないんだよ」

 戯けた口調、ラルナは肩を竦めてみせる。ラルナの左手は梁を掴んでいて、右手はぎゅっと私を抱き締めてくれている。

「ね?」

 いや、だからって。だからって……。

「……我慢出来ないの?」

「今がいいな。ついでにおなかも減ってきちゃった。……腹の虫が鳴っちゃうかもよ?」

 ちらと下に目を遣って、ラルナは悪戯っぽく言ってみせる。なんで、この状況で、ラルナが私を脅すわけ!? もうっ……!

「……ちゃんと抱き締めててよ?」

「死んでも離さない」

「バカっ!」

 ドンッと脇腹を殴り付けて、私は右手をカバンに伸ばした。中に手を差し入れ、慎重に漁る。麻布のゴワゴワとした感触が緊張を高める。もし間違って、中身を落としてしまったら……。下にいる男達にバレちゃうよ。

「……ドキドキするねえ」

 斜め上でニタニタとラルナが笑ってる。バカっ……。

 革袋の感触が指先に触れた。水筒だ。慎重に、ゆっくりと引き出して、ラルナの胸に叩き付ける。

「はいっ!」

「ありがとう」

 ニコッと笑うと、ラルナはあんぐり、半分口を開く。そうか。そうだった……。飲ませてあげないといけないんだ。

 薄い唇の隙間で白い歯が見え隠れ。その間に紅色の舌がチロチロと蠢いている。何故か胸の奥がざわざわする。頭がガンガン鳴っている。

「……はい」

 栓を開けて、飲み口をラルナの口に近付けた。あーんと口を開けて、ラルナは待っている。水筒に直接口を付けてはいけない。水が腐るから。だから、私は飲み口をちょっと離して、指で革袋を押し込んだ。

 飛び出した水の柱は唇の間を通り抜けて、チロチロ動く赤い舌にぶつかった。飛び跳ねた水がラルナの顔に散り、私の顔にもぶつかった。

「……へたくそ」

 誰のせいだと。にやにや笑うその顔を私はハンカチで拭いてあげる。なんだかひどく恥ずかしい。顔がやたら熱い。

「パンも食べたいな」

「ちょっと待ってて」

 カバンに革袋を仕舞うと、パンを取り出した。ハンカチを取りのけて、中のパンを二つに裂く。

「はい」

 口に近付けると、パクリと齧り付いた。指先にあなたの唇が触れて、その熱と感触にドキリとさせられる。

 もうなにやってるんだろ? 真下ではゴロツキ達が死体を片付けていた。その真上で私はラルナにパンを食べさせている。もしゃもしゃとパンを咀嚼しながらじっとこっちを見つめる琥珀の瞳に私は大きく溜息を吐いた。

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