13 どっちが表?

 目が回るような忙しい時間はあっという間に過ぎて、酒場はひそやかな夜に沈んだ。

 一通り片付けた屋根裏部屋で一人ベッドに腰掛けて、私は考える。

 誰がどうしてこの部屋に盗みに入ったんだろう?

 答えは他に思い付かない。“朱尾羽”のテルーゾ。理由はこの“金貨”――。

 あのちっぽけな洞窟に眠る“財宝”――。

 胸に起きた感情に私は戸惑いの笑みを浮かべる。

 怖いのか? ……どうやら怖いらしい。

 「これでも、冒険者ですから」。おばさんにあんな風に言ってのけた癖に。一人になると、すっかり怯えている。

 冒険者に憧れていたのに、冒険に焦がれていたのに、情けない奴――。

 これは――私が望んだ冒険だ。旧い帝国の“財宝”――。それを狙う敵との争い。こんな冒険を夢見てたんじゃないのか? そうだ。あの冷たい城の中で私はずっと夢見てた。胸躍らせるような冒険を、命を燃やすような冒険を――。逼塞したまま長らえるくらいなら、いっそ、死んだ方がマシだ。そう誓ったのに――。

 背筋はやっぱり寒くなる。何か違うような気がする。あれ程燃え立っていたはずの胸の火はすっかり小さくなってしまった。

「ラルナ……」

 我知らず呟いたあなたの名前にぞっと怖くなった。

 傍にいて欲しい。寄り添っていて欲しい。あなたの体温が欲しい。その手をぎゅっと握っていたい。今夜くらいは……。

 だけど、そんなの迷惑だから、だから私は銅貨を出して握らせた。触れたその手を離すのに酷く抵抗があって、だけれど私は作り笑顔に手を離した。「お仕事お疲れさま。遊びに行っておいで」。

 あなたに迷惑を掛けたくない。いや、違うな……。やっぱり私は強がったんだ。弱い自分を見せたくなかった。それに、多分、私は……。

 不意に物音がして、心臓が跳ね上がった。誰かが、はしごを上ってくる。早く武器を……。いや武器なんてない。とにかくなにか――。そんな考えとは裏腹にぴくりとも動けない。私はただじっとはしごの口を見つめていて、ベッド脇の蝋燭がぼうっと狭い部屋を照らしている。

 濃い闇に没したはしごの口から、そして、誰かが顔を出して――。

 そのアホ面がこっちを見つめた瞬間、どっと息を吐いていた。

「ラルナ……」

 驚かせないでよ。そんな怒りとは裏腹に唇が緩んでいる。嬉しいのか? バカみたい……。

「まだ出掛けてなかったの」

「うん」

 さっき握らせた銅貨を弄びながら、ラルナはベッドに近寄ってきた。チャリン、チャリンと銅貨を鳴らしながら、ただそこに立っている。何にも言わない。こっちも見ない。

「……どうしたの?」

「うん」

 ぽいっと銅貨を投げ上げると、横薙ぎに掴み取った。

「ねえ。賭けない?」

「は?」

「勝ったら倍ね」

 あなたの横顔は闇に沈んで窺えない。こっちを見ないまま、ラルナはそこに立っている。

「足りないの? しょうがないな……」

 もっと欲しいとねだるなんて、珍しい。いつもは銅貨数枚で大喜びなのに。どうしたんだろと思いながら、カバンに手を伸ばすと、

「違う」ぶっきらぼうな声がした。

「きみと勝負したいの。わたしが勝ったらお小遣いは倍。きみが勝ったらこの銅貨は返すよ」

「……私はやらない」

「なんで」

「やりたくないから」

「やろうよ」

「やらない」

「やる」

 何なんだ? ちょっと苛立ちを覚えながら見上げた横顔はやっぱり闇に沈んで窺えない。

「はぁ……。一回だけだよ。何でやるの? カード? ダイス? それとも……」

 キンとコインを弾く音がした。パシッと右手で左手の甲に叩き付ける。

「どっち?」

「……表」

 闇の中から突き出されたあなたの手を一瞥して、苛立ち交じりに言った。どっちでもいい。なんであなたとギャンブルなんか――。

 ゆっくりとあなたが右手を退ける。あなたの手の甲には金に輝くコインが載っていた。“金貨”――。いつの間にスリ取ったんだろう。蝋燭の明かりに照らされて輝く皇帝の肖像を認めた瞬間、不意にあなたが言った。

「これってどっちなの?」

 琥珀色の瞳が初めてこっちを見た。

「……え?」

「皇帝の方か紋章の方。どっちが表でどっちが裏?」

 私の心の動揺を覗き込むみたいにあなたは瞳を怪しく光らせる。

 ――にやと歪んだ唇。試されてる? 揶揄われてる?

 俯いて、あなたの顔から目を逸らして、そうして私はぶっきらぼうに訊いた。

「……私が勝ったら、どうするの? お小遣い、なくなっちゃうよ」

「お金がないんじゃ遊べない。……そしたら、大人しく寝るしかないね」

「……ベッド、一つしかないよ」

「床で寝ろって言うならそうするけど?」

 つい、顔を上向ければ、そこにはあなたの顔があって、あなたはニコニコ最高の笑顔で笑ってた。

 ――私の負けだ。

「こっちが表。――私の勝ち」

「あーあ……」

 あなたは本当に残念そうな顔をして、お小遣いの銅貨と一緒に“金貨”を私に返した。

「床で寝ようか?」

「……バカ」

 私が立ち上がると、「ありがとう」ラルナはベッドにぴょんっと腰掛けて服を脱ぐ。するり、布団に潜ると、毛布を捲って、そして、あなたは腕を開いた。

「――おいで。お姫さま」

 あなたって――。あなたって――。ほんと、むかつく。なのに、何故か唇は緩んで、頰は酷く熱くなって――。

「バカ――」

 誘われるままに、私はその腕の中に飛び込んだ。

 ぎゅっと抱き締めるあなたの腕は温かくて、逞しくって――。緩んだ顔を隠すようにあなたの胸に顔を埋める。

「素直じゃないんだから」

 揶揄うようにあなたは言う。どっちの台詞だよ。あなたがそんなんだから、だから、いつだって、私は――。私は――。

「守ってくれるって言ったくせに……」

「守るよ。……だけど、怖いならやめてもいいんだぜ」

 胸から顔を出して、私は真下からあなたを睨め上げた。余裕めいたその瞳、どこか遠い所からこっちを見てる冷たい瞳――。

 気取ったその顎先に私は思い切り頭突きを喰らわせてやった。

「いったっ!?」

「バカ! やめるわけないでしょ! 旧帝国の財宝だ! 凄腕の冒険者が狙ってるんだ! こんな冒険を私は待ってたんだ! やめるわけない! あり得ない! それにっ! それにっ……!」 

 ぎゅっと掻き抱いたあなたの背中。指先で確かめたその存在――。私は、あなたに――。

 その先は――。言えなかった。

「……お金が必要でしょ。どっかの誰かの賭け代が」

「そうだね。……お金は必要だ」

 笑いながらあなたは言った。あなたの胸に小さな溜息を隠して、私は顔を上向ける。あなたは向き合うように顔を俯かせてくれた。

「ねえ、ラルナ」

「ん?」

「……エドやマリーちゃんは大丈夫だよね。襲われたり、しないよね」

 ここに泥棒に入ったのがもしテルーゾ達なら、二人も危ないかもしれない。闇討ち――。いつかのラルナの言葉。

 だけど、ラルナは苦笑気味に首を振った。

「あり得ない。分かるでしょ?」

「うん……。そうだね。意味が無い」

 あり得ない。そんな事、絶対にあり得ない。だって意味が無い。私達はまだ何一つ謎を解けてない。襲ったって攫ったって、“財宝”は見つからない。脅されたって、知らない事は教えられない。それじゃ意味が無い。

 それに……。ここは一応都市の中だ。無法地帯じゃない。居候であれ、孤児であれ、正当な市民の家の子であるエドやマリーに危害を加えれば、他の市民が黙ってない。自警団が出張ってくる。他の都市にも手配書が回る。遠くの知らない王様が出したラルナの手配書なんかとは違う。友達の友達が出した切実な被害の訴えだ。彼らは賞金なんかじゃなく、仲間と、そして自らの安全の為に賞金首を狩り出す。事を構えれば、大陸中の市民達が敵になる。名の知れた冒険者であるテルーゾがそんな愚かな真似をするはずがない。

 もし、もし、そんな強引な手に出るとすれば、それは、私達が謎を解いた時……。謎を、解いた、時……。

 不意に光が閃いて、痺れたような痛みが全身に走った。

「いったっ!?」

 無我夢中に跳ね起きた。あなたの悲鳴がした。頭が何かにぶつかった。そうだ。暗号は――。暗号はもう――。

 引っ掴んだカバンの中、手帳、いや違う。もっと分厚い日記帳を探してカバンをひっくり返す。

 ――ない。そうだ――。昨日、夢で何かに気付いて――。日記帳にそれを記して――。あの日記帳は――。

「どこ行った!?」

 ベッド脇の棚の上、確か、私はそこに置いて――。そして――。それを、奴らが――。テルーゾ達が――!?

「盗まれた……!?」


 私は慌てて二人の所に駆け付けた。だけど……。

「……慌てすぎだよ。ユーリ。たかが日記帳一つ盗んだくらいでそんなとんちきやるもんか」

 呆れた顔でラルナは笑う。「だって……」私はつい唇を尖らせる。

「……心配になっちゃったんだもん……」

 エドもマリーちゃんも……。無事だった。家の人にはすっごい迷惑がられた。当たり前だよね。こんな夜更けに。それも私達みたいなゴロツキが。

「きみは優しいねぇ」。ラルナが頭を撫でてくる。うざったくて、私は首を回して振り払った。

「うっさい。……冷静じゃなかったのは反省してる……」

 二人は安全に決まってる。だって、市民の家にいるんだから。テルーゾ達みたいなゴロツキなんか手が出せない。分かってたのに、頭じゃよく分かってたのに、怖くなって、いてもたってもいられなかった。

「……ほんとにきみは優しいねえ。エドの嘘だって簡単に許しちゃってさ」

「……それは別にいいよ。嘘を吐いてたのは分かってたし。分かった上で請けた仕事だから」

 問い詰めるまでもなくエドはあっさり白状した。“金貨”は偶然見つけた物じゃなかった。エドは儲け話を探して酒場に出入りしてて、あるゴロツキ達の話を盗み聞きした。後を付けたら、ゴロツキ達はあの洞窟に入った。ゴロツキ達はしばらく洞窟の中で何かをやっていて、ゴロツキ達が立ち去った後に洞窟を調べるとそこには“金貨”が落ちていた。隠していたのは宝の横取りだと分かれば仕事を請けて貰えないと思ったから。概ね予想通りだった。ただ一つ、少し意外だったのは……。

「エドはテルーゾを知らないって言ってたよね……」

 “朱尾羽”のテルーゾ。コカトリスの朱い尾羽を付けたあの帽子はすごく目立つ。なのに、エドはテルーゾを知らなかった。テルーゾの一味に尾行されてたと聞いてすごく驚いてた。あれは嘘じゃない。

 エドはこう言っていた。「ゴロツキ達の頭目らしいのは背の低い地味な男だった」。長身で派手なテルーゾとは一致しない。たまたま、そこにテルーゾがいなかっただけ? それとも……。

「テルーゾ達の他に洞窟を調べてる奴らがいるのかな……」

「――テルーゾがこの町に来たのは2週間前だ」

「え?」

 背を向けたままあなたが言った。先を歩きながら、あなたは続ける。

「エドが“コイン”を拾ったのは1ヶ月前。……だから、それがテルーゾであるはずはないんだよ」

「じゃあ、やっぱり他に洞窟を調べてた奴らが……!」

「そりゃ、どうだろうね」

 不意に立ち止まり。あなたはくるり首を回す。薄霞の空の向こうに輝く星々を眺めて、東の空に目を留める。

「……エドは言ってた。『奴らは一ヶ月後に戻ってくる』って」

 エドが洞窟で“金貨”を拾ったのは正にルペタルナの夜だった。洞窟で奴らは言ったらしい。『一ヶ月後に戻る』。だから、エドは焦っていた。奴らが戻る前に洞窟の財宝を手に入れる為に――。

 ルペタルナの日の一ヶ月後。それは正にエサタの日だ――。その日に奴らは戻ってくる。その日、きっとあの洞窟が真の姿を現わして――。

 暁の空に上る細い月。殆ど欠けた月を見つめて、あなたは黙然と立ち竦んでいた。

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