7 ズレた二人

 翌朝。下に降りていくと、ラルナが机で眠っていた。

 昨日、食事の後。ラルナは一緒に帰ってくれなかった。リュート弾きのおじさんと意気投合。酒場中を巻き込んで、歌って踊って大騒ぎ。バカらしいから先に帰った。

 アホ。ラルナが食べたいって言ったのに。ハンバーグ。せっかく二人で食べたのに……。

 だけど、昨夜は私を寝かしてくれなかったそんな怒りもあなたの姿を見るだけで消えていくからズルい。

 どこでなにしてたの? いつ帰ったの? 心配がまず起きて、それから、良かった。今日はちゃんと帰ってきてくれたんだ。ほっと安心する。

 だけど、嬉しかったのも一瞬だけ。どこか切ないその寝顔を見ていると、心の奥がささくれみたいに痛む。

 どんな夢を見てるんだろ? ――良い夢じゃない。それだけは確かだ。

 寝ている時さえも、あなたは苦しそうだ。起きてる時は、もっと……。

 長い長い旅の先、幾つもの試練の果てに辿り着いた最後の戦い。

 魔王討伐――。あの戦いで何があったのか、私は知らない。だけど、きっとあれがあなたを変えた。帰ってきてから、あなたは……。あなたは……。

 いいや――。

 深呼吸に自分を律した。

 私に出来る事は何も無い。あの旅で何があったのか、私は知らない。あなたの苦しみもその訳も知らない私には出来る事なんて無い。私に出来る事はただ楽しい冒険にあなたを連れ出す事だけ。それがあなたにとってほんの気晴らしに過ぎなくたって構わない。ギャンブルやお酒より、ずっとマシなはずだから……。

 溜息に感傷を打ち切った。手早く身支度をする。今日は忙しいんだ。店の掃除を済ませ、起きてきたおばさんに今日は休ませて貰うって伝えた。それから、ラルナを揺り起こす。

「んっ……。ユーリ……? ……寝かせといてよ。夢の中なら勝てそうなんだから。6が出れば……」

「寝かせてあげたいけど、今日はやりたい事があるの。ほら、起きて」

「やりたいこと……?」

 最強無敵の勇者でも、寝不足は辛いらしい。顔を顰めて、ラルナは大儀そうに体を起こす。目を擦り、眉間を抑え、ふわあと大きなあくび。

「ほら、早くして」

 もう8時の鐘が鳴ってる。ぼやぼやしてると日が暮れちゃう。ラルナに手早く身支度をさせて、パンを貰って、酒場を出る。

「……どうしたってのさ、ユーリ。そんなに急いで。ほら、太陽はまだあんなに高いよ?」

「もうあんなに高いから急いでるの! ほら、しゃんとして! ……抱き着くな!」

「ううー。朝日が目にしみるよ……」

 目をしょぼしょぼさせて、ラルナはまたあくびをした。歩きながら、パンを食べさせる。「お酒……」。そう言った手に水を渡す。

 お腹が膨れたからかようやく目が開いてきた。

「ふわあ……。それで、こんな朝っぱらからなにをやろうってのさ」

「別に早朝じゃないけど。……決まってるでしょ?」

「決まってるって?」

 キョロキョロ周囲を窺って、私は赤毛の隙間の小さな耳に顔を寄せた。

「……テルーゾは私達を探ってるでしょ? だから思ったんだ。逆に私達が探ってやろうって」

 パチクリ。長い睫を瞬かせて、ラルナが訝しげにこっちを見上げる。

「え? なに、つまり、結局襲うの?」

「違うっ! バカっ!」

「あぎゃっ!」

 すっとぼけたその頰をバシッと挟み込んでやった。

「さ・ぐ・る・の! 調べるだけ! 暴力は絶対ダメだからねっ!」

「そんなめんどーなことしなくても、取っ捕まえてボコボコにしちゃえば……。ああ、痛いっ! 痛いですっ! すんませんっ!」

「暴力はダメっ! そんなの盗賊と一緒でしょ!? 私達は冒険者なんだから!」

 お宝探しは正々堂々! 相手より先に謎を解いた方が勝ち! んー! 楽しくなってきた!

 ――だけど、だけど、ラルナは……。

「……そんなもんかな?」

 あなたがそんな風に薄笑うから、だから私は――。

 ぎゅっと握った手で私はあなたを引っ張った。

「ほら、行くよっ!」

 あなたの顔は振り返らない。あの日あなたが引いてくれた手を今度は私が引いていく。きっと楽しい冒険にする。そう決めたんだから――。

 

 ……そう、決めてたのに……。

 ぜんぜんダメだ……。

 蹲り、膝に顔を埋めた。

 町外れ、川辺の木の下。ゴーンと12時を告げる鐘の音が響き、胸を虚しく過ぎて行く。

 1日が、半分終わっちゃった。

 午前の調査はまるで成果無し。手掛かりはぜんぜん見つかんないし。そればっかりか、変な人に絡まれて、ラルナに危うく助けられる始末……。

 ううっ、こんなはずじゃなかったのに……。

「ていっ!」

 ラルナが川に石を投げた。

 石は水面にぶつかって、跳ねて滑って飛んでいく。水切りって言うんだって。不思議だ。まるで魔法みたい。

「やる?」

 不意にあなたが見返った。私は黙って首を振る。

「やりなよ。いつも見てるだけじゃん」

 屈み込み、あなたは強引に石を握らせてくる。

「遊んでる暇ない。テルーゾ達より早く謎を解かないと」

「いいから」

 あなたは無理矢理に手を握って、私を引っ張り立たせる。

「……やったことないもん」

「だからさ。教えたげる」

 私の後ろに回ると、手を引っ張って、あれこれ指導してくる。

「石はなるたけ平たいやつを選ぶんだ。腕は真横に振って。切るような感じかな。石が水面に対して平行になるように投げるんだよ」

「……よく分かんない。私には無理だよ」

「んなことない。やってみなって」

 笑顔の吐息が頰に触れて、二人の距離の近さを知った。重ねられた手、重なった体温。だけど、何かがズレている。どうしたって重ならない物に胸の奥が引っ掻かれた。私は――。

 勝手に体が動いてた。あなたに押されて、引っ張られて、くるっと体が回転する。指先から離れていった石礫は水面に跳ねて飛んでいく。

「ほら、できた」

 ニコッと微笑んであなたは私から離れていった。むかっと怒りが渦巻いて、ラルナの手を引っ張ってた。

「……遊んでないで、ラルナもちょっとは考えてよ! さっきも寝ぼけた顔で付いてくるだけで……!」

 違う。そうじゃない。

 楽しくなかった? そう聞きたい。なのに、この口はやっぱり素直になれない。

「……考えてるって」

 またあなたはこっちを見ない。斜を向いて皮肉に笑う。だから、こっちもカチンと来る。

 いつだって、興味なさげ、他人事、なんでどうして?

 笑ってよ。楽しくない? どうして? どうしてあの日からそんな風にしか笑わないの? 最後の“冒険”で何があったの?

 素直に聞ければいいのに。だけど、やっぱり聞けなかった。聞いたって分からない。あのお城であなたを見送っただけの私には――。お姫さまの私には――。勇者のあなたの苦しみなんて、絶対分からない――。

 掴んだ手はいつの間にか離れてて、あなたは私に背を向けていた。

 ゆっくりと石を拾い上げ、あなたは掌で弄ぶ。

「……きみこそ、考えてる?」

 静かな背中が不意に言った。刺すようなその凄味に思わず後退り掛けたとき、あなたの笑顔が振り向いていた。

「……こんな朝早くからゴロツキが起きてるわけないだろ? 意気込みは分かるけど、空振って当然だよ」

「っ……」

 言われてみれば当たり前だ。ほんと、私何やってんだろ……。だけど、図星なだけむかっ腹が立った。

「そう思ったなら、早く言ってよ……!」

 あなたの背中が翻る。美しい背中が反り返り、真横に振り出した腕が美しい半円を描くや、伸ばされた指先から石が飛んでいった。

 たったそれだけで、私の心は吞み込まれる。あなたとの距離が不意に遠くに思えて、続く言葉は消えていった。

「……テルーゾを調べるってのは賛成だ」

 水面を飛んでいく石の行く先も追わず、ラルナはあくび交じりに手を放り出す。

「だけど、今は無駄だよ。……昼寝でもしようよ」

 ごろりとラルナは転がると薄目を開けて私を誘う。だけど、私はそっぽを向いた。寝てられるわけない。周りに誰もいないからって、ここは街の中、外で寝たらダメだよ。それに……あんなに言われて、大人しく寝てられる気持ちでもない。そしたら、ラルナは「じゃあ、きみは釣りでもしてて」。本当に眠り始めちゃった。

 ……確かに私が浅はかだった。テルーゾやテルーゾを知ってるようなゴロツキ達が早起きなんてするわけないんだから、私一人早起きして頑張っても無駄だ。それはそう。だけど、だからっていつまでも寝てていいわけじゃない。ちゃんと起きて、ちゃんと暮らさなきゃ。ゴロツキがろくでもない暮らしをしてるからって、それに引き摺られてちゃダメだよ。

 お酒、ギャンブル、夜更かし……。毎夜のように遊び歩いて、道端で眠って帰ってくる……。

「そんなのやだよ。ラルナ……」

 春の日差しは暖かい。なのに、木漏れ日の下で眠るあなたの寝顔はやっぱりどこか苦しそうで……。私は決意を新たにした。

 楽しい冒険をする事。気晴らしでいい。あの最後の冒険を塗り替えられるようなそんな冒険をあなたとする。

 お金を稼ぐ事。その日暮らしを抜け出せるくらいのまとまったお金。あなたと未来を描けるようなそんなお金。

 それが私の目標。そして、この“金貨”は二つを一度に叶えてくれる可能性を秘めてるんだ。落ち込んでなんかいられない。眠ってる暇もない。考えて、考えて、考えないと……。あなたが私を救ってくれた。今度は私があなたを救うんだ――。

 手帳に目を落とし、私はじっと考える。

「お邪魔するよ」

 不意に後ろから声を掛けられて、私はびくっと跳び上がる。つい触れたラルナの体は小さな寝息を立てていて、声を掛けてきたおじさんの柔和な笑顔にほっと一安心した。

「……釣りをしに来たんだが……。お邪魔だったかな」

「い、いえっ! どうぞ!」

 おじさんは川に向かって釣り竿を振った。どこかで水鳥が飛び、水音が跳ねた。

「……いつもここで釣りをしてるんだが……。今日は珍しい先客だ」

 川を見つめたままおじさんが話し掛けてきた。

「……すいません。こっちこそお邪魔して……」

 ラルナを起こして移動しようかなとという考えは「いやいいんだ」。先におじさんの声に打ち消された。

「どうせいつも一人だからね。良かったら話し相手になっておくれよ。……君たちはどういうお友達だい? そっちの子は傭兵風だけど、君はそうは見えないな」

 釣り竿を垂らす背中につい一瞬目を凝らしてしまった。考えすぎ。お城にいた頃の悪い癖だ。すぐに人を疑りたがる。ラルナの横顔を見つめながら素直に答える。

「……冒険者です」

「冒険者? へぇ……。この町にはなんで?」

「……旅の途中で立ち寄ったんです」

「なるほど。町から町へ冒険の旅か。……この町にもなにか冒険が?」

 ちらと振り向いた浅黒い頰に曖昧な笑みを返す。

「……いえ、路銀を稼いでるだけです」

「……なかなか冒険には行き当たらないか」

 おじさんは川に顔を戻す。何という名だろうか、浅い茶色をした鳥が高い声を上げて数羽空に上がっていった。ひゅうと寒い風が吹いてきて、ラルナのスカートを戦がせる。寒いかな。何か掛けてあげたい。あられもない太腿も何となく気に掛かる。枯草のシーツの上に投げ出された白い足を見ていると、テントウムシが飛んできて、土に汚れたブーツの先に止まった。このブーツも古いよね。戻ってきた時にはこれを履いてた。削れた靴底にあなたが歩いた旅路を思った。長い長い苦難を越えて、ボロボロになって、それでもあなたはあのお城に戻ってきてくれた。何の為……? それは――。その答えに私はどうしたって確信が――。

「こんな話を知ってるかい。冒険者さん」

 低い声が当ても無い感傷を切り裂いた。おじさんが竿を持ったまま、どこか鈍い光でこっちを見つめて言った。

「……この街には旧帝国の財宝が眠ってるっていうんだよ」

 慌てて作った愛想笑いは崩れていた。ダメだよ。そんな冷静は置き去りにして、体が勝手に前に出る。

「そ、それって本当ですか!?」

「……ああ。そうだよ。……じいさんから昔聞いたのさ」

 おじさんは竿を揺すりながら答える。「あれ? あたったと思ったけどな……」。

「その話、詳しくお願いしますっ!」

「……えーっとなんだったっけな。昔この辺りを治めてたなんとかって領主が町外れの洞窟に隠したらしいんだ。そんで、それに古い歌が絡んでるって、あのほら、あれだよ。トッツェンガッタ……」

「っ!?」

 トッツェンガッタ。狼を騙して、ねぐらの財宝を盗んだ歌――。あの歌がやっぱり旧帝国の財宝の手掛かり――。この人のおじいさんはそれを知っていた――?

 我知らず立ち上がり、おじさんに迫っていた。

「あの! もっと詳しい手掛かり知りませんか!? 」

「ええ?」

 おじさんは戸惑い顔を上に向ける。「うーん」と呻って、答えた。

「そういや、もう一つの歌がどうとかってじいさんが……」

「もう一つの歌って!? どんな歌!?」

「……い、いや、そこまでは聞いてねえんだ……」

「そ、そうですか……。すいません」

 もう一つの歌? それが洞窟の謎を解き明かす……。手掛かり……?

「悪い。俺はちょっと用を思い出して……」

 熱くなった頭におじさんの声が落ちてきた。慌てて顔を上向けてお礼を言うともうおじさんは背を向けている。

「あっ、ありがとうございました!」

「ああ、頑張ってな、お嬢ちゃん。金貨が見つかるといいな」

 足早に立ち去っていくその背中を見送りながら、私は考え込む。もう一つの歌。もしかしたら、洞窟の暗号がその歌を暗示して……。角の数をアティア文字に照らし合わせれば……。

「――釣れた?」

 不意に冷えた声が響き、むっくりとラルナが起き上がった。

 その声が、気怠げでだけど嫌に冷めた瞳が、当ても無い思索の甘味を吹っ飛ばす。

「釣れたって……?」

 意味深な言葉を訝る私をあなたは涼やかに笑った。


「……あいつはテルーゾの使いっ走りだよ。ユーリ」

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