6 考える事は……

 路地を抜けると、ふらりと繋いだ手は離れていって、ラルナは両手を上に投げ出すと、歌うように話し出した。

「エドがおばさんの所に“コイン”を持ち込んだのは1週間前。だけど、実際にあいつが“コイン”を手に入れたのは1ヶ月前……。エドはあの場末の酒場に3ヶ月以上前から出入りしてて、そしてそこには“朱尾羽”のテルーゾがいた。ついでに、あいつも洞窟の財宝を追ってる。これってどういうこと?」

 もし、偶然“金貨”を見つけて、“財宝”を見つける為に冒険者を探してたんだとしたら、3ヶ月前からあの酒場に出入りしていた説明が付かない。ゴロツキが集まる場末の酒場――。エドがそこに出入りしていた理由は――。

「――儲け話を探してた」

「そうさ」

 にやり、ラルナが微笑んだ。

「このご時世、おあつらえ向きの冒険なんて、そんじょそこらに落ちてるもんじゃない。犬も歩けばで、冒険者が行く所に格好の冒険があったのは昔の話。騎士の前に姫はなく、勇者の前に魔王はない――。そんなロマンはとうに死んだ時代さ」

 自嘲するような言い方には引っ掛かるけど、ラルナの言う事は確かに正しい。

 現に私達だって、1ヶ月以上旅を続けてきて、一度だってまともな冒険なんてしてない。こんな小さな町に暮らす少年がたまたま“金貨”を拾った。そんな話、出来すぎだ。

「じゃあ、これは……」

 “金貨”を見つめて考える。テルーゾから盗んだ? いや、凄腕の冒険者が、あんな子供に大事な手掛かりをまんまと盗ませるわけがない。ということは……。テルーゾ達から洞窟について盗み聞きしたエドは、奴らより先に洞窟を調べて、そして……。

「あの洞窟は元々テルーゾが狙ってて、それを盗み聞きしたエドは横取りしようとしてる?」

 確かめるようにあなたを見つめた。だけど、あなたは目を逸らして頷いた。

「まあ、そうなるのかな」

「それってどうなの? いいの?」

「良くもないし、悪くもない。誰も咎めず、誰も許さず。冒険者は無法者――ルールは一つ、暴力だけだよ」

 斜を向いたあなたの薄笑いを見つめながら、私は考えた。

「テルーゾより先に洞窟の謎を解けば……」

「それより良い方法があるよ? 奴らに解かせて、奪い取る」

「ダメに決まってるでしょ。強盗なんて……」

「だけど、奴らはそう思わない――」

 ぞっとするような声がして、ビクッと背筋が冷たくなった。だから、奴らはエドを泳がしてる……?

「でしょ?」

 可憐な笑みに狂気が翳る。白い歯を見せて獰猛に笑いながら、ラルナは続ける。

「無法ってのはそういうことさ。ルールがないならなんでもやる。良識なんてあり得ない。奴らもどこかのお姫さまを攫ってて、そいつがまあやかましいじゃじゃ馬だなんてことがない限りね?」

 脅かすような物言いにむかっと気持ちが波立った。ぐっとラルナに近付いて、わざと私は言ってやる。

「だけど、守ってくれるんでしょ?」

「……そりゃあ、もちろん。お姫さま」

 挑みかけた瞳を睨め返して、ラルナは不敵に笑う。だけど、そんな笑みはすぐに消えて、ラルナはまた斜を向いた。

「だけど……。……そんなに単純な話じゃない気がするんだよね」

「どういうこと?」

「んー……」

 あなたは手をうんと上に投げ出して、ふらふらと歩き出した。

「あんな小さな洞窟をエドが知ってたのはどうして? テルーゾから盗み聞きしたから……。これって答えになってるのかな」

 不意に立ち止まり、くるっと振り向くとラルナは更に言った。

「じゃあ、テルーゾが洞窟を知ってたのはどうして?」

「それは……。問題にならないでしょ」

「なんで?」

「だって、テルーゾはエドと違って、凄腕の冒険者なんだから。ちっぽけな洞窟に目を付けたって不思議はないでしょ」

「コカトリスを狩った?」

「そう、コカトリスを倒した」

「んー……」

 ラルナは腕組み、難しそうな顔で上を向くと、

「ま、いっか」

 その瞬間、顔がぐにゃっと緩んで、瞳の色が抜けた。

「ユーリー。おなか減ったー」

 ふらふらとこっちにやって来たかと思ったら、ラルナはぎゅっと抱き着いてくる。

「ちょ、ちょっと、急に何!?」

「おなか減った。歩けなーい」

「ちょっと、どうしたの、急に! 何か気になってたんじゃないの!?」

「おなかほどじゃないよ。おっ、あっちから良い匂い! 良い音楽! よーし、今日はぱーっと……」

「ダメに決まってるでしょ!? お金ないんだから!」

「前金があるじゃん。エドに貰った」

「あれはダメっ! 大事な手掛かりなんだから……。って!」

 いつの間にかラルナの指先にはキラキラ光る“金貨”が……! ダメだってほんとにっ! 怒るよ!?

「こいつは早く使っちゃった方がいい気がするんだよねえー」

「ダメ! ぜったいダメっ!」

「うぎゃっ!? ちょ、ちょっと撲たなくたっていいじゃん!?」

「撲つに決まってるでしょ! バカっ!」

 私は逃げ出したラルナの首根っこを後ろから引っ掴むと、大声で耳元にがなった。

「そんなことより、これからどうするの!?」

「え? だから、ごはん食べて……」

「じゃなくて! 仕事の事!」

「テルーゾを闇討ちして……。って、冗談っ! ちょっと!?」

「暴力なんてダメに決まってるでしょ!?」

「ユーリっ!? そう言うきみが殴ってる! ちょっとっ!? 暴力反対っ!」

 ほんっと、バカみたいだ。

 だけど……何物をも斬り捨てるようなあの怪々とした凄味はもう失せて、あなたはただの少女のようにアホな顔して笑ってる。逃げるあなたを追いかけて必死に覗き込んだその瞳は、暮れ残った夕陽を受けてキラキラと真っ直ぐに輝いて、嫌な翳りも煤けた暗みも見当たらない事に私は安心すると共にどこかがっかりとしていた。

 つまり私はどうしたいんだろう? 私はラルナにどうあって欲しいんだろうか?

 舂く日を見返って支離滅裂を訝っていたけれど、やがて、ラルナのおなかの音がそんな感傷も吹き飛ばしていった。

「ユーリー! ハンバーグだよ! クリーゼ風だってよ! 名物だってさ! ほらあそこ! ね!? ねぇっ! ババアのまかないはもう飽きたんだよー!」

 私の手をぎゅっと握って引っ張って、ラルナはあっちの看板を指して叫ぶ。

「はぁ……。もう……。しょうがないな」

 ここ数日の収支を計算して、私は頷いた。お金はないけど、たまにはごちそうも良いだろう。ちゃんと食べないと体を悪くするし、何より、ギャンブルよりはずっとまともな贅沢だ。……あと、こうなったらラルナは頑として動かないし。

「やったー! 行くよ! ユーリ!」

 ラルナに手を引っ張られ、酒場に入ると、その瞬間、凄まじい喧噪が襲いかかってくる。

「うわっ……」

 すごい人……。混雑した店内を見回しながらちょっと圧倒されてしまっていると、ラルナが喧噪を突き破るような大声で叫んだ。

「お姉さんビール! おじさんここ座らせて!」

 ウエイトレスのお姉さんを呼び止めると、おじさん達に頼んでテーブルを空けて貰って、それから椅子を二つどっかから持ってくる。

「はい。ユーリ」

 ぼーっとしてると、ぎゅっと腕を掴まれて、隣に座らさせられた。

「……ありがと」

 こういう所、ラルナはすごいし、頼もしい。私一人じゃ、いつまで経っても座れない。

 詰めさせられたおじさん達も別に嫌な顔してない。押しは強いのに嫌味は無い。どんな場所でもどんな人ともそれなりに上手くやっていける。

 私のお礼なんて聞きゃしないで、ラルナはウエイトレスのお姉さんにお世辞なんて言ってる。あっ、お金。と慌てて開けたカバンに、逆にラルナが財布を落とし入れてきた。いつの間に……。

 勝手に出した財布でお金を払って、「ハンバーグ二つください。リンゴ酒ありますか? ある? じゃあ、一つください」。お酒がダメな私の為にリンゴ酒まで注文してくれる。ビールやワインよりも弱くて飲みやすいんだ。本当は水が良いけれど、こういう店の水は腐ってるかもしれないから。

 ほんと……。すごいっていうか、ずるいよね。

 すぐにリンゴ酒がやって来た。ラルナはウエイトレスから受け取ると、くんくん、匂いを嗅いで確かめて、それから私に渡してくれた。

「はい。かんぱい」

 小洒落た木樽のジョッキをコツンとぶつけて、ラルナは一気にジョッキを煽った。「かあっ!」はしたないけど、気持ちの良い声を上げて、ラルナが満面に笑みを弾けさせる。その笑顔を確かめてから、私もジョッキに口を付けた。シュワシュワとした心地良い刺激が鼻に抜けて、それから口当たりの良い甘さが広がった。うん、美味しい。

 すぐにハンバーグがやって来た。ラルナの目はキラキラ輝く。

 クリーゼ風ハンバーグ。何が特別なのかはいまいち分からない。古い肉を使ってるのか焼きすぎて黒焦げになってるし――衛生面で言えば、生焼けよりは遙かにマシだけれど――ソースも滅茶苦茶で、ただコショウをぶっかけただけの雑な味付けだけれど、それでもペコペコのお腹と、何よりあなたの笑顔が美味しくしてくれる。

 ラルナは右手のフォークでぶっ刺して、ハンバーグに齧り付く。私はちょっと恥ずかしいから、フォークで小さく切り分けて食べる。やっぱりこういう時、ナイフが欲しくなる。お金に余裕が出来たら買って持ち歩こうかな。いや、それよりいい加減慣れるべきだよね……。ここはもうお城じゃない。自分で望んであの窮屈な城を脱け出したくせに……。

 あ、ラルナ、口元にソース付いてる。ハンカチを出そうとしたら、あなたはぺろっと舌で舐め取った。ちょっと顔を背けてから、私は結局そのハンカチで自分の口を拭った。

 ハンバーグを食べ終わると、私はカバンから手帳を取り出した。考えるのは暗号の事。そして、テルーゾの事。ラルナは闇討ちするなんてふざけてたけど、そんな事許さないし、許されない。奴らがどう出てくるにしても、私達が財宝を手に入れるには、先に暗号を解くのは必須条件だ。何だろう? カーブの数? いや、角の数か? あの古い歌との関係が……。手帳に写した暗号を見ながら考え込んでると、酒気を孕んだ息が頰に掛かった。ラルナが呆れた顔で手帳を覗き込んでくる。

「なに? もうやってるの? ちょっとは休みなよ」

「もう休んだよ? お腹いっぱいになったし、頭動くようになったから」

「食事は休憩に入らないよ。食べながら休憩して、食べ終わったらまた休憩しないと。ほら、親が死んでも食休みって言うじゃん?」

 なんだそれ。聞いた事無い。

「伯母の家が焼きょうとも食休めとも言うよ?」

 ますます聞いた事無い。

「とにかく、ユーリはもっと休まないと。いっつも難しい顔して、難しいこと考えてさ」

「そうかな」

「そうだよ」

「でも、考えないと。考える事だけが……」

「――我々の尊厳である?」

 言葉の先を差し込むと、ラルナは歌うように諳んじた。

「宇宙は空間によって我々を包んでいる。我々は思惟によって宇宙を包み込む」

 そうだ。広い宇宙にとっては人間は小さな一点に過ぎない。だけれど、我々は知っている。宇宙を、死を、そして自分自身を。知る事で考える事で、人間は宇宙に優越する――。

「……どうかな」

 ぽつり。ラルナの独言が、胸に一点、雫を落とした。

「……ひょっとしたら、世界も宇宙も考える事で生まれるのかもしれない。この世界はほとんど夢みたいなものかもよ」

 真剣な目だった。だからこそ、疑わしかった。自嘲も皮肉も無い、純真で真っ直ぐな眼差しであなたはどこか遠くを見ている。本心? 本音? 戯けた笑みの底に隠したあなたの本当― ―。そんな錯覚も一瞬、「お姉さんビールおかわり!」の一言にあなたの顔は笑顔に弾けた。世界からあなただけ浮かび上がったようなそんな不気味な印象は幻と消えて、酒場の喧噪が全てを押し流していった。

「かあっ!」

 あなたが上げたはしたない快音が胸の蟠りを吹き飛ばした。

 ジョッキに口を付けながら、私は手帳に目を戻す。

 古い詩歌、怪しい暗号、不思議な壁の窪み、古の財宝を狙う凄腕の冒険者――。そして、オオカミ座のアルクマート――。

 思索の苦みにリンゴ酒の爽やかな甘みが加わって、やや恍惚とした心地をもたらした。

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