プロローグ2

 わたしは勇者。魔王を倒した勇者。世界の英雄。人類の救世主。だった……。昔は。

「ラルナ! ジョッキ貰ってきてー!」

「はいはいはいはい!!!」

「ラルナ! 早くしてっ!」

「分かってますって、もーうっ!」

 それが一体なにを間違えた?

 揺れるスカート、短かなブラウス、真紅のエプロン、黒の髪留めで髪上げて、わたしは可愛いウエイトレス。酔客共の間を抜けて、両手にわんさかジョッキ抱えて、わたしはパタパタ駆け回る。

「嬢ちゃん! こっち、ビールなっ!」

「おい! 酒が切れてんぞー!」

「おらっ、6だ! こいつで俺の勝ちっ!」

「てめえっ、イカサマしやがったろ!」

「転んだ滑った狼に~! トッツェンガッタが言ったのさ~!」

「どーせおれりゃにゃ明日なんてねえっ! 飲めや喰えやさあ踊れ~!」

 あー、うるさいっ! まだ外も明るいのに酒場の中はどんちゃん騒ぎ。いいないいないいないいなー! わたしも飲みたいっ! 賭けたいっ! 歌いたいっ! 酔って踊って騒いで眠って、なんて幸せなんだろう! なのに、どうしてわたしは働いてるんだ!? わたしの手元にはビールがあって、だけど飲んじゃいけなくて、こいつをあの小太りの男の元に運ばなきゃいけない。どうして!? 神さまが言うにゃ、地上は呪われてるらしい。まさにこれこそが! 呪いだよ! とにかく、世界には二種類の人間がいる。酒を飲む奴と運ぶ奴だ!

「ラルナっ! はやくっ!」

「あー、もううるさいなあ! 今行くって!」

 ぎゃあぎゃあうるさいんだよ、ユーリのくせにっ!

 間違えたと言えば、ユーリもたいがい間違えてる。大陸北方の大国イスティニアの第一王女。ユリスティアなんたら様。“北方の花”と謳われたお姫さまのくせに、わたしなんかに攫われて、酒場でお酒なんか運んでる。おまけにまだ働き始めて5日も経たないってのに何故かすっかり酒場のリーダーみたいになってて、店主のおばさんからも頼られて、他の女の子に指図して、厨房にまで口出す始末。きみ、ほんとにお姫さまだよね? なんでそんなに世慣れてるんだよ。それともお城の帝王学ってのはそういうことも教えてくれるんですか? 「ラルナっ! お客さん呼んでるっ!」。やかましいよ! ああ、もう間違えた。なにを間違えた? どうしてあんなおっさんがユーリに笑いかけてもらえて、わたしはさっきから怒鳴られてるんだ? どこで間違えた? どうしてこうなった? 生まれた時から間違ってる? それを言っちゃキリがない。お城に呼ばれて、王様に使われて、魔王を倒して勇者になって、全部捨ててユーリを攫った。それから、どれくらい? 1ヶ月とちょっと? まあそんなもん。その中に間違いはごまんとあるけれど、たぶん、直接の原因はあれだ! マルセルの街でユーリがエセ騎士に絡まれて、わたしは最高にかっこよくユーリを救ったんだ。なのに、あのエセ騎士、あれっぽっちしか金を持っていやがらなかった。おかげで壊したドアの修理費で全財産が吹っ飛んだ! ついでに正体もバレた! この街まで逃げてきて、やーっとお酒が飲めるーって思ったら、ユーリは言った。「今日はほんとにお金ないからね」。なんでー!? いつもそう言って持ってるくせにー! でもでも、今度こそはほんとにない。へそくり、ほまち、くいかくし、とにかく、今度こそはないったらないって。なんでっ!? お姫さまなのに!? そう言ったら、ユーリは言った。「私の剣も、ブローチも、バレッタも、指輪も一体誰がどうしたんだった?」。そうじゃん! わたしが賭けでスったんじゃん!

 お姫さまはすってんてん。今日の宿もごはんもない。誰が悪いってわたしが悪いよ。だから、ユーリに言われたら、働かなくちゃ仕方ない。ユーリにごはんを食べさせないと。でもでも、わたしは勇者だぞ!? 魔王を倒した世界の英雄! 絶対無敵最強無双の勇者さま! なのに、なのに、なんでなんで!? どうしてお酒が飲めないのー!? わたしは最強! わたしは勇者! ぜったい、ぜったい、稼いでやる! 待ってろお金! 待ってろユーリ! きっと楽させてあげるからねっ!


「つかれたー!!!!」

 日が沈んでしばらく経って、一日がやーっと終わった。まだ酒場は開いてるけど、とりあえず今日はもういいって。

「おつかれさま。がんばったね」

 ユーリが頭を撫でてくれた。ユーリもおつかれ。もうこんなことユーリにさせてらんないよ! ちゃんと稼ぐよ、だってわたし最強だし! 明日からはいっちょ本気出して、ユーリをきっと楽させて……。

「はい、これ、今日のごほうびだよ」

「酒だああああ!!!」

 酒だ! 酒だ! お酒だお酒だ! ジョッキを呷れば、生温かくてゲロ不味い、だけど確かに紛れも無い酒がわたしの喉を過ぎていく。

「ぷはーっ!!!」

 わたしは豪快に息を吐いてみた。なんかもう……この世の全てがどうでもいいかも!

「あと、これ、今日のおこづかいね」

 ユーリが手に握らせてくれたのは、銅貨数枚! ひゃっほう! これで今夜も一勝負! パンを頰張り、銅貨を握り、酒を飲むっ! なんだったっけ? 忘れちゃった! もうとにかくどうでもいいや!

「ねえ、ラルナ。ちょっと聞いてくれる?」

「はに? ユーリ?」

「あのね、あんまり言いたくないんだけど、ほんとにもうお金がないの」

「うん、分かってるって」

「もちろん、私も頑張って働くよ? ラルナにはちゃんと食べて欲しいし、ちゃんと暮らして欲しいと思ってるから。でもさ、こんな暮らしじゃ、その日のごはんを稼ぐのが精一杯で、もしものときに大変なの」

「うんうん、そうだね」

「それにさ、いつまでもその日暮らしっていうのもどうなのかなって思って。だからさ、ラルナ、そろそろちゃんと稼いでみない?」

「うんうん分かってるって。今日こそ勝って、たーんと稼いでくるよ!」

「ギャンブルじゃなくて」

 言いながら、ユーリは懐から銅貨をもう数枚出して握らせてくれた。ありがと! ユーリ!

「ギャンブルもいいけどさ。ちゃんと冒険で稼がない?」

「ちゃんとってどうやってさ」

「だから、きちんと冒険をして……」

「あのさあ、ユーリ……」

 ジョッキを置いて、わたしは語って聞かせてやる。

「冒険してる冒険者なんて、今や詩歌の中にしかいないんだよ? だって、冒険する先が無いんだから。魔物はあらかた退治されちゃったし、秘境はすっかり探し尽くされた。幻の新大陸とだって、もう定期船が行き交ってる。地図の空白はとうに埋まり、危険という危険は狩られ尽した。……魔王だって、どっかの勇者が討伐しちゃったんだから」

「じゃあ、ダンジョンとか……」

「そのダンジョンがどこにあるのさ。魔王がやられてから、不思議となんでか、ダンジョンの発生数は激減したんだよ。運良くどっかに出来ても、わたし達が見つける前に攻略されちゃってるよ。もう冒険者の時代は終わったのさ! これもそれも、勇者のせいだよ! 魔王は倒すし、姫は攫うし、まったく、どこの馬鹿なんだろうねっ!」

 ユーリはわたしを微妙な顔で見下ろすと、ぶんぶん顔を振って、更に言った。

「で、でも、冒険者が急にいなくなったわけじゃないでしょ!? みんな、なにかして、食べてるわけで……」

「つまり、戦争だろ? 魔王の脅威が無くなって、暇になった北方諸国は戦争三昧。それに圧されて、南方も荒れてきた。大陸全土が今や乱世だよ。傭兵の口はごまんとある。武勲を上げりゃ、仕官も望める。イスティニアも手広くやってるよ。いっちょ、将軍でも目指してみますか? 姫様!」

「バカッ!」

 ちょーっと冗談言っただけなのに、臑を思い切り蹴り付けられた。

「戦争はぜったいやだ。ラルナを戦場に行かすようなことは絶対にしない」

「じゃあ、強盗? あっ、誘拐がけっこー儲かるらしいよ。良家のお嬢様を攫って身代金を……」

「ラルナっ!」

「冗談だよ。わたしももう誘拐はどっかのおてんば姫さまで懲りた……。いたっ! ちょっと痛い! 蹴らなくていいじゃん!?」

「ラルナの馬鹿っ! ちょっとは真面目に考えてよ!」

「考えてるって。だけど、もうなんか疲れちゃったんだよ」

 さっきまではがんばるぞーって感じだった気がするんだけど、なんかもう今はどうでもいいやーって感じ。今日はもう過ぎた。明日があるさ。

 ふと見れば、床に手配書が落ちてた。客が持ち込んで騒いでたんだろう。この街にもわんさか撒かれてる。“狂った勇者”100億の賞金首。過去はどこまでも追ってきて、わたしの今に影を差す。昨日に追われて明日へ逃げ、明日を追ってる今日の自分――。

「儲け話かい?」

 顔を上げれば店主のおばさんだった。テーブルにリンゴを二つ置いてくれる。

「食べな。頑張ってくれてるからね」

「ありがとー」。「ありがとうございます」。

 おばさんは自分もリンゴを囓りながら話しかけてきた。

「それで? なんかいい儲け話があったかい?」

「それがないって話。冒険者が喰える時代はどっかの馬鹿が終わらせちゃった」

「なに言ってんだい? あちこちの国が戦争をしてる。この街の領主様も傭兵を集めてるよ。良い時代じゃないか」

「それが、この子が戦場はやだって」

「ハハハハ……。冒険者のくせに臆病なんだね。死ぬのが怖いかい?」

「だったらいいんだけど。これが、おてんばのじゃじゃ馬のイノシシで、死ぬのなんてなんとも思ってない。ただ、わたしのことが心配で心配で夜も寝らんない……」

「なっ……」

「へぇ……」

 ユーリとおばさんが同時に、だけど別の理由でそれぞれ目を見開いた。

「今時珍しい本物の友情だね。冒険者だの傭兵だのなんて、一夜の飲み代に友達を闇討ちするような奴らばかりなのにさ」

 おばさんは感心したように言うと、「ねえ、あんたら」と訊いてきた。

「どんな事情があるか知らないけど、なんであんたたちみたいな良い子たちが、冒険者なんてゴロツキやってんのさ。うちにずっといないかい? なんならあんたらどっちか、うちのドラ息子の嫁に貰いたいくらいだ」

「ユーリはわたしの嫁だから」

「は……? はぁ!? おいっ! おいっ……!?」

「ハハハハハ!!!」

 おばさんは豪快に笑うと、「よしっ」と手を叩く。

「あんたらなら信頼出来る。いい儲け話を紹介してやるよ」

「いい?」。「儲け話?」

 わたし達は顔を見合わせ、頷いた。

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