ノラクラホアカ

在野荒

プロローグ1

 今日もアホ毛が跳ねている。あなたの頭のてっぺんで、いつもアホ毛が跳ねている。

 燃えるような赤い髪、サラサラ真っ直ぐ綺麗なのに、何故か頭のてっぺん一房だけ、ぴょこんと跳ねた髪がある。

 アホ毛って、呼ぶらしい。確かにアホっぽい。寝ればいいのに、起きている。伸びてりゃいいのに、跳ねている。折れて曲がれば楽なのに、あらゆる物に逆らって、ただ一房、折れず曲がらず、不羈独立、ぴょこんと気儘に跳ねている。

 圧しても、伸しても、撓められない。筋金入りの強突く張り。だから、あなたは反逆した。王に、国家に、この世界に。

 私だけは分かってる。あなたこそがまっすぐだって。間違っているのは曲がっているのは、世界の方で皆の方で、何もかもが間違った曲がりきったこの世の中で、ただあなただけがまっすぐに、すっくと一人で立っている。

 そんなあなただから救ってくれた。あの荒涼たる雪原から――私を救い出してくれた。戦って戦って、戦い続けて傷付いて、傷付き続けてそれでもあなたは私の為に戦ってくれた。

 あの日、あなたの手を取った時、私、覚悟したんだ。決まったんだ。何もかも。

 これからは私も一緒だ。どんな敵とだって、あなたと共に戦おう。あなたに貰ったこの体温が、この胸の熱が、やがて冷えて消えてしまうまで、あなたと一緒に戦い続けるんだって。

 だけど、ラルナ……。


「よし! 勝負だ! ユーリ! お金出してっ! お金っ!!!」


 これはなんか違うと思うんだよね。


 テーブルの上には黒と白のマス目が描かれた盤とサイコロ。堆く積まれたお金。ギャンブルだ。

 “メトロダーム”と呼ばれるゲームだ。お互いにサイコロを振って、その分だけ盤上の駒を進める。ゴールした駒の多い方が勝ち。細かいルールは色々あるけど、大体そんな感じ。駒を取ったり、取られたり、戦略は多少あるんだけど、多くの要素はサイコロの目が占めている。運が多くを左右するゲームだ。

 ゲームはもう終盤。ラルナのこの手番で決着が付くだろう。形勢はラルナがだいぶ不利。なのに、ラルナはここに来て、相手の提案に乗って、賭け金を増やすって言う。

「ラルナ。やめた方がいいと思うよ」

「いいやっ! やめないっ! チャンスなんだよこれは! ここで6が出ればわたしの勝ちだっ!」

「でも、たぶん出ないよ」

「いいや、出るっ! 出るねっ! ぜったい出るっ!」

「うん。……まあ、ラルナがやりたいならやればいいよ」

 ラルナと戦うって決めたからね。これはなんか違う気がするけど。

 私がお金を積むと、ラルナはゆっくりとサイコロに手を伸ばし、神に祈った。信じてないくせにね。そして、天高々とサイコロを掲げると「えいやっ!」。ぴょこんとアホ毛を跳ねさせ、裂帛の気合いと共に転がした。テーブルを跳ねたサイコロの行方は――。


「ユーリー!!! 負けちゃったよーっ!!!!」

 まあ、出るわけないよね。ラルナは大泣きして、私に抱き着いてくる。

「だから、やめろって言ったじゃん」

「だってぇ! 6が出れば勝ってたもん!」

「だから、出ないって言ったじゃん。うるさいから泣き喚かないで、汚いから顔擦り付けないで」

「……だってぇ」

 ぐいっとおでこを押すと、ラルナは渋々離れてくれた。手で涙を拭きながら、悔しそうに嗚咽を漏らしてる。もう……。

 私はハンカチでその顔を拭いて、頭を撫でてあげる。そんな顔しないでよ。ラルナが泣いてるのが一番辛いんだ。

「……ほら、もう泣かないの。自分が悪いんでしょ」

「だって……」

「……また明日、また明日勝てばいいじゃん。ね?」

 ラルナが顔を上げてくれた。ぱちくり、大きな瞳が瞬く。

「……でも、もうお金ないよ」

「お金なら私がなんとかするから」

「ほんと……?」

「本当。ほら、あっちでお酒飲もう?」

「でも、もうお金ないよ」

「ほら、ちょっとならあるから。ね?」

「ユーリぃ!」

「もう抱き着かないで、恥ずかしいからっ!」

 すっかり笑顔になったラルナを引っ張って、私はカウンターに連れて行く。酒場のおじさんとはもうすっかり顔馴染みだ。私達を見るなり、はげ頭とは対照的な太い眉毛を寄せた。

「なんだ、ラルナちゃん。また負けたのか」

「負けてないもん。明日勝つんだもん。諦めない限り、勝負はまだ終わってないもん」

「だけど、今日は負けたんだろ」

「だからお酒ちょうだい。強いやつ。うんと強いやつ」

 おじさんは微妙な顔でお酒を出してくれた。ジョッキをぐいっと呷るとラルナは「ぷはあー」と息を吐く。

「美味しい?」

「美味しいっ!」

「良かったね」

 いや、良くはない。良くはないぞ、私。

 本当は、お酒もギャンブルもダメなんだよ。こんな年から、酒浸りの賭博狂い。絶対ダメなんだよ。だけど、ラルナはずっと大変で、すっごく辛い目に遭ってて、もう頑張って頑張って頑張り続けて、疲れてて、なのにラルナは私を救ってくれて、だからラルナが喜ぶ事なら私はなんだってしてあげたくって……。

 私はまた溜息。なんとかしなきゃって思うのに、なんともできないでずるずるずる。こんなの良くない。だけどどうすれば良いのか分からない。

 とりあえず、今はラルナの酒代を稼がないと。私は席を立ち、おじさんに頼む。

「あの、すいません、今日も働かせて貰えませんか?」

「いや、そりゃいいけどよぅ……」

 私は早速エプロンを着る。

「あのよぅ、ラルナちゃん」。おじさんがラルナに話しかける。

「……友達働かせて毎日飲み潰れてるのは、おじさん、どうかと思うんだよな」

「え? でも、おじさん。ユーリが働かないと、お金ないよ」

「いや、その……」

「あ、タダで良いってこと? おじさん、優しいー」

「いや、そうじゃなくてな……」

「ん……?」

 キョトンと首を傾げるラルナ。溜息を吐いておじさんはこっち見る。

「ユーリちゃん……。大変だなあ……」

「いいんです。私は別に。ラルナが幸せなら、それで」

「ユーリちゃん……」

「それに、ラルナって本当はすごいんですよ? 本気になったら誰も勝てないんだから」

 冗談めかして言って、皿を下げに行く。

 おじさんは絶対信じてない。当然だ。誰も信じない。ぐーたらでのらくらで、毎日ギャンブルやって、負けて、泣いてお酒飲んでるちっちゃな女の子が、本当は――。ふふっ。信じるわけない。それに言えるわけない。絶対秘密にしないといけない。

 だけど、その秘密を独占してしまいたいような、大声で叫んじゃいたいような、そんな矛盾した気持ち。言っちゃダメ。言っちゃダメなんだよ。言ったらバレちゃう。――私の正体も。

 そんな妄想を繰っているだけで、思わず唇がにやけてくる。ちらっと振り向けば、ラルナはお酒をゴクゴク、ぼーっと中空を見つめてた。口が半分開いてて最高にバカっぽい。

 皿を下げて、料理を運んで、お客さんの雑談に付き合って、酒場のウエイトレスは忙しい。テーブルを回って、あちこち忙しくしていたら、お客さんの噂話が聞こえてきた。

「だーからー、そいつが今この街にいるんだってー!」

「嘘に決まってらあ! 100億ダーナルの賞金首なんてっ!」

 ぴくっと、体が硬直した。

「本当だっての! あの勇者だよ! 勇者! 人類最大の反逆者! 100億ダーナルの賞金首だ!」

「そうだ! 魔王を倒したあの勇者だ! 世界最強のあの勇者さっ! 手配書が回ってきてんだ!」

「でもよぅ、なんで、勇者が賞金首になってんだ? 英雄じゃねえか」

「バカッ知らねえのかよ! 勇者はな、狂ったんだよ! 魔王を倒したはいいが、てめえが狂っちまったのさ」

「気が狂って、叙爵の式典を無茶苦茶にした!」

「それだけじゃねえ、その場でイスティニアのお姫さまを誘拐したんだよ!」

 ラルナは平然とお酒を飲んでる。気にもしない。だけど、私はそんな風に出来ない。体が震えて、耳が赤くなる。知らんぷり、知らんぷり、大丈夫。気づかれるはずない……。

 またお客さんが入ってきた。男達3人組。彼らを見るなり、他の客が騒ぎ始めた。

「おう、ロベルトじゃねえか! 久しぶりだな!」

「ロベルトだ! 帰ってきたのか!?」

 どうやら相当な有名人らしい。先頭の金髪の男――ロベルトは気取った様子で手を振って応える。後の二人はその取り巻き、かな?

 ロベルト達は店の最奥にあるカウンターまで歩いてくると、ラルナの隣に座った。

「どうしたんだよ!? ロベルト! 戻ってきたのか!?」

 すぐに他の客が席に集まってきた。ロベルトは腕を組み、芝居がかった声で答える。

「ああ。このロベルト・クリームハルトに相応しい敵がここにいると聞いたからね」

「っていうと、まさか……」

「ああ……」

 にやっと笑みを流すと、ロベルトは立ち上がって叫んだ。

「このロベルト・クリームハルト! 狂った勇者を討伐する為、このマルセルに舞い戻ったぞ!」

「おおー!!!!」

 うわっ。思わず声が漏れそうだった。ロベルトが取り出したのは、手配書だ。うんざりするくらい見た。賞金は前代未聞、空前絶後の100億ダーナル。

「だが、このロベルト・クリームハルト、金銭に興味はない。私の望みは、ただ一つ! 攫われた姫君を救い出し、イスティニア王の下にお返しする事だ!!!!」

「っ!?」

 つい変な声が出た。だけど、それは歓声に掻き消されて誰も気づかなかったみたいだ。危ない、危ない……。

「大きく出たなロベルト! 騎士道精神が燃えたか!?」

「それもある。が、純粋な義侠心と言っては嘘になる……。何と言っても彼女は北方の花と謳われし世界一の美少女……。そうだ! 彼女を救った後、私は彼女に婚姻を申し込む!」

「げっ……!」

 やばっ、声出ちゃった。だけど、ロベルトにはやっぱり歓声で聞こえなかったみたいだ。いや、聞こえなくていいんだけど、ロベルトは上機嫌で更に続ける。

「勇者を倒し、囚われの姫君を救い出し、そして、私はこう語る。『大丈夫ですか? 姫。この騎士、ロベルトが来たからにはもうご安心下さい。おや、震えてらっしゃる。温めて差し上げましょう。このロベルトの唇で……』。そして私は彼女の黒髪を掻き上げ、熱いヴェーゼを!!!」

「っ!!!!」

 やばい鳥肌立っちゃった。うー、気持ち悪い……。我慢我慢……。私は背を向け、その場をさりげなく離れかける。早くあっち行こう……。

「おいっ! そこの女、ロベルト様のお相手をしねえか!」

 って思ったのに、ロベルトの取り巻きに見つかっちゃった。呼ばれたからには無視するわけにはいかない。お賃金貰ってるし。私はくるっと踵を返して、にこっと笑顔。「はーい! ただいまー!」。あー、可愛い。高い声でパタパタ寄っていく。

「ほう……。美しいな。さあ、ここに座り給え」

「は、はーいっ!」

 ロベルトは取り巻きを立たせて、無理やり隣に私を座らせる。ここはただの酒場で、別にそういうお店じゃないから、そんな事しなくて良いんだろうけれど、実力者っぽいロベルトを怒らせるのは多分良くないだろう。おじさんも目で「ごめんな」って言ってる。

 それに……。もし、気づかれたらまずい。いや、傍に座る方が気付かれる? どっちだ?

「店主。このロベルト・クリームハルトから彼女に、飛びきりの美酒を……。この出会いに乾杯だ」

「え、えっと、私は……」

「なんだ、おまえロベルト様の酒が飲めねえのか!」

 お酒。私ダメなんだけどな……。どうしようって思ってたら、ジョッキの中身は水だった。おじさん、本当にありがとう。

 ちらっとロベルトの背中越し、向こうに座ってるラルナを窺えば、こっちを見てもいなかった。泰然自若、春風駘蕩。すごいよね、ラルナは。どんな状況でもいつも通りで、平然としてるんだよね。でもさ、今はちょっとは気にしてくれてもいいんじゃない? なんでいつも通りなわけ? なんであくびしてるの?

「挙動が怪しいな。……惚れたか?」

「えっ!?」

 ラルナを見てたら、急に視界にロベルトの顔が出てきてびっくり。ロベルトはぐいっと体を寄せて、なんか私を口説きに掛かってきたっぽい。

「美しい黒髪だな、お嬢さん。まるでかの王女のようだ……」

「い、いやっ!? そ、そんなことっ!?」

「おい、光栄に思えよ小娘っ! ロベルト様に見初められるなんてな!」

「この方は正真正銘本物の騎士様だぞ!」

「おい、お前ら、やめろよ……」

 取り巻きもなんか騒ぎ出した。見かねたおじさんが注意してくれるけど聞くわけない。私はとにかく愛想笑い。曖昧に笑顔で濁しておく。そして、ラルナは……寝てる。おいっ! ちょっと助けてよ、ラルナ! いや、助けなくていいのか? 助けたら正体がバレちゃうし……。でも、なんで寝てるのさ。ラルナーっ!

 しょうがない。私は開き直ると、ニコニコ笑顔で言った。

「すごーいっ! 騎士さまは、勇者を倒すんですかー!?」

 どっから声出してんだ。ラルナと旅に出てから、自分の可能性に気づき続ける毎日。

 あからさまなおべっかだけど、ロベルトには効果てきめん。話は口説き文句から自慢話に変わってくれた。ロベルトはペラペラペラ自分の経歴を並べ立てていく。これはこれでうざいな……。私はつい言っちゃった。

「でもー、勇者ってすごく強いんでしょー? 大丈夫なんですかー?」

 回りまくってたロベルトの口がピタッと止まった。金の眉が上がり、じろっと私を睨めるや、ロベルトは乱暴にジョッキを叩き付ける。

「ふんっ……。あの、勇者そもそも本当に強いのかな」

「え?」

「良いかい、お嬢さん。たとえ勇者が魔王を倒した英雄と言ってもね。所詮それは個人の強さだ。大勢の親衛隊を相手に姫を攫ってみせるなんてそんな大立ち回りが出来るものかな? 甚だ怪しいね」

「で、でも……。それは本当で……」

「ハハハハハ!!! お嬢さんは随分と世間知らずでいらっしゃるようだ」

「なっ……」

「いいかい? お嬢さん。……勇者はペテン師なのだ。親衛隊を薙ぎ倒したなどというのは無論嘘。そして、奴が嘘吐きである以上、魔王討伐もまた怪しい」

「なっ!?」

「勇者は嘘吐きのクソッタレのみそっかすさ! あんな雑魚はこのロベルト・クリームハルトの敵ではない! 奴のペテンを世に示し、この剣で断罪してくれよう! ハハハハハ!!!」

「そ、それは違うと思いますっ!」

 つい、思わず叫んでいた。ロベルトが不快げに眉を上げる。でも、だからこそ、止まれなかった。

「勇者は卑怯者なんかじゃないと思います。本当に強いと思います。……たぶん」

 私の顔を暫く見つめて、ロベルトは取り巻きと顔を見合わせ、笑った。

「ハハハハハ!!! どうやらお嬢さんの世間知らずは筋金入りらしい! ならば、根拠を示し給え。そこまで言うのだ。何か証拠があるのだろう? まさか自分が直接見たとは言うまいな?」

「っっっ!!!」

 言えない。まさか言えない。見ましたとは、言えない。だけど、勝ち誇ったこいつの顔がむかつくむかつく、むっかつく!

 おじさんがやめろって目で制してる。だけど、むかつく! 負けたくないっ!

「……じゃあ、あなたこそ、証拠はあるんですか! そこまで言うんです! ほんとに強いんですよね!?」

 言った途端、空気が変わったのを肌で感じた。しまった。と思った時にはもう遅い。取り巻き二人が真っ赤になって私に言った。

「おい、謝れ! 女! 今すぐだ!」

「ロベルト様を怒らせちゃなんねえ!」

「え?」

 意外な言葉に驚いていると、不意に哄笑が聞こえてきた。それはさっきまで聞こえていた高笑いとは違う不気味な低い声だ。

「クハハハハ……。クハハハハ……!!!!」

 じろっと血走った瞳が私を睨むや、

「おいっ、女!」

 ロベルトが椅子を蹴って、立ち上がった。

「謝れ! 今すぐだ!!! このロベルト・クリームハルトを愚弄した事、断じて許せんっ! 這い蹲って許しを請え! そしてこう言うのだ! 『勇者は卑怯者の大嘘吐きです! 本当は弱いんです! 強いのはロベルト様です!』となっ!」

「おい、ユーリちゃん! 謝っとけ! おいっ!」

 おじさんが必死な顔で叫んでる。だけど――やだっ!

「謝りません! 勇者は……。ラルナは卑怯者でも嘘吐きでもない! 弱くなんてない! 強くて可愛い私の勇者なんですっ!」

「そうか! なら死ねっ!!!」

 ロベルトが剣を振り上げた。私はただ呆然と、それを眺めていた。一歩も、動けなかった。声さえ出なかった。

 そしたら、急に体が後ろに倒れていって、剣は私の目の前を過ぎていった。やがて温かい、とても温かい何かが私を包んで、その体温に私ははっと気付く。

「――危ないよ。ユーリ」

 春の風のような心地良い声がして、ぎゅっと細い手が私を抱いた。

「ラルナっ!?」

 ラルナだ。私のラルナ――! ラルナが後ろから私を抱き寄せて、助けてくれたんだ!

「ラルナっ!」

「……もう、きみは何をやってるのさ」

 ラルナは呆れたように溜息吐くと、くるっと私を後ろに庇ってくれる。

 空振りに終わったロベルトはと言えば、剣を振り下ろした格好のままで固まっていた。上向いた顔は、困惑と憤怒。血走った瞳がラルナを睨める。

「なんだ、貴様……」

「私の友達が、ごめんなさい。これで、勘弁して貰えませんか?」

 いつの間にかラルナは私の懐から麻袋を取り出していた。少ないけど、私達の全財産。それをラルナはロベルトに差し出す。ロベルトは小さな麻袋を摘まみ上げ、思い切り放り投げた。

「馬鹿にするな! こんな物で気が済むと思うなっ!!」

 この場の誰もが怯える程のロベルトの剣幕に、だけど、ラルナは平然としている。

「でも、それしかないんです。それで全財産です。謝りますからお願いします」

「黙れっ! 絶対に許さんっ! 殺すっ! 貴様ら二人共だ! 騎士の名誉に懸けてだ!」

「……それって、つまり決闘ってこと?」

 不意に、ぞっとするような薄笑いを浮かべて、ラルナはにたっとロベルトを見上げた。

 二人の身長差はどれくらいあるのだろう。ロベルトは私より頭二つ大きく、ラルナは私より頭一つ小さい。短かなスカートに男物のシャツ。露わな肌がただの町娘でない事を示している。派手で露出の激しい服装はゴロツキの証。ロベルトも同じだ。偉そうにしてるけれど、主君を持った折り目正しい騎士じゃない。勝手に騎士を自称してるだけのゴロツキだ。法を外れ、法から外れた無法者同士の紛争を解決する手段は、つまり暴力しかない。決闘なんて格好付けても、つまりそれは殺し合い。

 それをラルナの方から口にしたから、場はどよめいた。あんなに小さな女の子が、あんなに大きなえせ騎士に挑もうとしている。だけど、ラルナに怯えはない、気負いも衒いもラルナにはない。ただラルナは不気味な薄笑いと共にそこに在る。

「ああ、決闘だ! 決闘だ!!! このロベルト・クリームハルトが決闘を受けてやる!!!」

 ロベルトは引かなかった。引けるわけもないのだろう。ラルナに剣の切っ先を向けて叫ぶ。

「……大丈夫だよね」

「誰に言ってるのさ」

 チラと見返って笑うと、ラルナはとんと肩を押してきた。軽く触れただけなのに、麻痺したように踏ん張りが利かなくて、私の体は勝手に回る。気付けば、すとん、勝手に椅子に座ってしまっていた。魔法みたい、なのに魔法じゃない。熟達した体術の為せる技。文字通り、血を吐くような訓練の末に、ラルナは――。

 ラルナはもう背を向けていた。ロベルトはぶんっと長剣を構える。

「おい、女。得物はどうした。取りに行くなら、待ってやるぞ」

 暗に逃げても良いぞって挑発してる。だけど、ラルナは空っぽの手を広げて肩を竦める。

「……ないよ。賭けでスっちゃったんだ」

 本当だ。私のレイピアもラルナは賭けで擦っちゃった。武器も持ってない冒険者。バカにされたと思ったんだろう。実際バカにしてる。ロベルトは顔を真っ赤にする。

「女! 覚悟しろっ!!!」

 ロベルトが凄まじい速さで踏み込んで長剣を真上から振るった。それと同時に酒場中から悲鳴のような声が上がった。きっと誰もがラルナがやられたと思っただろう。

 ――でも、そんなわけないよね。

「……っな」

 膝を突いたロベルトは自分の剣を見つめて絶句している。信じられないのだろう。私だって信じらんない。彼の剣はいつの間にかポッキリと根元で折れて柄だけになっているのだから。

 ラルナは手ぶらだ。武器も魔法も使っていない。なのに、あの一瞬の交錯でロベルトの剣を叩き折ったんだ。すごい、すごすぎる――。

「まだやる?」

 今度はラルナが見下ろす番だった。這い蹲ったロベルトに相変わらずの薄笑い。だけど、ロベルトには全然違って見えただろう。

「貴様ぁ!!!」

 折れた剣を握り締め、ロベルトは破れかぶれでラルナに突っ込んでいった。

 次の瞬間、その体は宙を舞い、そのまま店のドアを突き破って飛んでいく。

 一瞬の事だった。ただ壊れたドアの向こうに覗く闇が何が起きたのかを報せている。

「ロベルト様!?」

 取り巻き二人が壊れたドアから出て行って、そしてもう戻らなかった。夜風が舞い込み、ふわりと、何かが宙に浮いた。

 紙切れはふらりふらりと宙を舞い、やがて、カウンターの向こうで呆然としてたおじさんの手に落ちる。

「……この者、魔王を倒せし勇者なれども、狂気に犯され、我が息女ユリスティアを攫う。この者を殺せし者に100億ダーナルの賞金を与う。勇者の特徴。少女、真っ赤な赤毛、頭頂部にアホ毛と渾名される癖毛あり。狂った勇者、ラルナ・エスターシュミット……」

 おじさんがはっとした顔でラルナを見つめた。真っ赤な頭のてっぺんが、ぴょこんと一房跳ねている。誰が呼んだか、不羈のアホ毛。それからおじさんは、私に顔を向けた。視線の先には漆黒の髪。

 “北方の花”イスティニア王女ユリスティア・マリーティアは艶のある美しい黒髪をしていた――。


「ま、まさか……。お前ら……」

 わなわな震えるおじさんに私は借りてたエプロンを脱いで返した。

 ラルナが麻袋を二つ片手で投げて遊びながら戻ってきた。一つは私のやつだ。さっきロベルトに捨てられたやつ。また拾ってきたんだろう。もう一つは……。

「さっきスっといたんだ。流石は騎士様だ。清貧でいらっしゃる」

「ただ、貧乏なだけでしょ」

 やっぱりロベルトのやつか。さっきの決闘の間に懐から盗んだんだ。

 ラルナは二つの麻袋をカウンターに置く。

「おじさん、ごめんなさい。いろいろお世話になったのに。これじゃ足りないと思うけど、許してくれる?」

「本当にごめんなさい。お世話になりました」

 ラルナと私は一緒に謝る。おじさんはやっぱり良い人で、「いや、んなことはいいんだけどよ」すぐに手で打ち消した。

「あのエセ騎士様には困ってたし、ドアなんてどうでもいいんだが……。んなことより、お前らマジで……」

 手配書と見比べてるおじさんに、ラルナはトンと首を叩いてみせる。

「この首を取って、修理費にする? 黄金のドアを付けられるよ」

 おじさんはじっとラルナを見つめてから、

「…………いや、あの勇者がこんなのらくらなわけねえな」

 苦笑を浮かべて、手配書を捨てた。

 さっきまで呆然としてた客達もそろそろ事態を掴み始めたみたいだ。これ以上、ここにいたら危ない。私達じゃなくて、おじさんの店が。

「じゃあ、行こうか。……わたしのお姫さま」

 ラルナが差し出した手を、私はいつかと同じに取る。

「うん、行こう。……私の勇者さま」

 ぎゅっと握った瞬間、強烈な力で引っ張られ、私は走り出していた。

「お、おい! 奴らが逃げるぞ!」

「待て、てめえら、手配書の……」

 今更、客達が邪魔をしに立ち上がる。だけど、止まらない止まるわけない。ふわり、体が浮き上がって、気付けばラルナに抱き抱えられている。私よりずっと小さいのに、軽々私を抱き上げると、ラルナは一気に駆け出した。喚声を後ろにして、壊れたドアを飛び出せば、直後、私達は空へ跳んでいた。

 風を切って、あなたは屋根から屋根へと跳び移る。教会の尖塔、街で一番高い場所まで跳んでくると、あなたはすとんと私を下ろしてくれた。

「さあて、どうしよう。もうこの街にもいられない。おまけにまたしても、文無しだ」

「……ごめん……」

 あんな男の悪口、本気にして怒ったから……。

「そうだよ。私達は世界中から追われる身なんだよ? バレたら一応ヤバいんすよ? いい加減、自覚して頂かねば困りますなぁ、姫さま」

「うるさいっ……。だって、むかついたんだもん!」

 なんで、あんなにむかついたのか、分かんないけど、もう我慢出来なかった。だけど、あの時の気持ちを思い出すと、なんだか気恥ずかしくなってくる。そっぽを向いて、つい、一歩足を踏み出し掛けると、もう床が無かった。気付いた時にはもう遅い。ぐらり、体が落ちていく。

「きゃっ!?」

「おっと」

 危ない所で、ぎゅっとラルナが私を抱き留めてくれた。

「あ、ありがとう……」

 ラルナは何にも言わない。もう大丈夫なのに私を離さない。むしろ、ゆっくりと私を抱き寄せて、強く抱き締めた。

「ら、ラルナっ……?」

 ラルナは私より頭一個小さいから、だから、ぎゅっと抱き着かれると顔が見えなくなってしまう。見えるのはただぴょこんと跳ねたアホ毛だけ。何だろう? 戸惑いつつも、ラルナの背中に手を回そうとした時だった。

「ありがとう。私のために怒ってくれて。嬉しかったよ、ユーリ」

 不意にラルナが顔を上げて、そんなことを言う。琥珀色の瞳が真っ直ぐに私を見つめて、きゅっと胸の奥が騒いだ。

「ば、バカッ! なんなの急にっ!」

「でも、なんであそこで怒るのかなあ。口説かれても怒らなかったのにさ」

「だって……。っていうか、助けてよ! 気付いてたら助けろよ! 寝てたよね、ラルナ! 私、困ってたのに!」

「ちゃんと助けたじゃん。今だってね」

「遅いよっ! 私があんなことされて、なんとも思わないの!?」

「なんともってなにを?」

「だ、だからっ……!」

 えっと、その。だから……。っっっっ!!!!

「ふふっ……。ごめん。冗談だよ。ちゃんと分かってるよ」

 うんっと小さな背を伸ばし、ラルナは私の頭を撫でると、月下の地平に目を流し、唇を歪めた。

「言ったはずだ。きみを攫うって……。あの地平の果てまで……攫ってみせるって」

 満月が、あなたを照らしていた。月光が差すその横顔は、あの薄笑いを湛えたその横顔は、世界からくっきりと浮き彫りになったように美しく、だからこそ、まるでこの世ならざる物かのように浮き上がって見えた。

 ラルナ――。私は幸せになったよ。あなたが私を幸せにしてくれたよ。だけど、ラルナ――あなたはどうだろう?

 魔王の狂気に当てられて、姫を攫った狂った勇者……。綺麗なあなたの瞳には、時々狂気が翳って見える――。

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