第18話

善くんの車に乗ると、善くんはエンジンをかけることなく私を見据えた。眉間に皺が寄っている。



「なあ、いと、煙草の匂い移ってない?」

「え、嘘。なんでだろ」

「梶? え、あいつも煙草吸ってんの? は? あいつに何された?」



善くんは怖い顔をする。


私は慌ててかぶりを振った。



「梶くんは煙草吸ってたみたいだけど、何も、ほんとに何もされてないから」

「俺、梶に信頼ねえんだよ」

「いや、信頼していいと思うよ」



本当の本当に何もされていない私は、善くんを宥めようと、よくわからないフォローをする。


煙草の匂いが移ったとすれば梶くんの車に乗ったからだろうか。そう考えてそれを伝えれば、善くんはさらに怖い顔をした。余計なことを言ったらしい。



「は? 車? なんで車?」

「話がしたかったみたいで」

「話なんか外でできるだろうが。ほいほいほいほい車に乗んな。まじで何考えてんだよ」

「でも何もなかっ」

「結果論だろうが」

「以後気をつけます」



善くんはため息をつく。


しばらくして、エンジンをかけて車を出したが、いつまでも疲れが抜けない様子なので、申し訳なさが募る。明るい話をしようと、私はへらへらと笑いながら話題転換を試みた。



「そうそう、梨花ちゃんいたね。昔から可愛かったけどより可愛くなってて、同性だけどどきどきしちゃった」

「あー」

「善くんは話できた?」

「したんじゃない? あんま記憶ねえけど」



善くんは嫌そうな顔で笑う。



「同窓会どころじゃなかったんだよ、まじで」



「私関係で」と付け加えられたわけでもないのにどきっとする。下心のある人間はこういうふうに浅ましい。


浅ましい私は、恥も知らず、「可愛くなりたかった」と思った。私がもしも可愛かったなら、私は今、善くんに「好き」って言いたかった。



2人きりの車内。音楽もラジオもかかっていなくて、善くんだけの声がする。



「梶に嫌なこと言われなかったか?」

「全然。むしろいいこと言ってくれたよ。昔言ったことは全部嘘だって」

「は? 今さら何言ってんの? 調子よすぎるだろ。まじであいつ一回産まれ直した方がいいわ」

「なんで善くんが怒るの?」



おかしい。


なんで善くんは昔からこんなにも怒ってくれるんだろう。善くんには関係ないのに、とっても不愉快そうに怒るから、容赦なく梶くんをこき下ろすから、その珍しい言動がおかしい。



くすくすと笑っていれば、善くんは車を止めた。赤信号じゃない。そもそも信号機がないし、後続車もいない。着信の音もしない。路肩に寄せて停車する必要がすぐにはわからなかった。


何事かと善くんを窺えば、善くんと目が合った。こんな些細なことで息が詰まる。



「いと、うんって言って」



善くんは、助手席のシートに手をつく。距離がぐっと近くなる。



「しようか」



何をかは言わず、形だけの質問を投げかける。イエスもノーも待たない、端から私の意思表示など求めていない、それはとても乱暴な態度だった。



固まってしまった私に情けをかけることなく、善くんは指で顎をすくい、顔を寄せた。多分、私の心臓の音は善くんにも聞こえている。緊急事態に、どうでもいいことを考える。


私は、善くんの顔を見ることすらできなくて、ただただ善くんの服を見ていて、静かに、善くんの柔らかい唇が触れた。



この日、善くんと生まれて初めてキスをした。




    

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