いとside

第74話

会社からの帰り道、電車でLINEを受け取った。「梶」という文字が目に留まって、数秒、息を呑んだ。



【ごめん、勝手に連絡先聞いた。宮下久しぶり。元気にしてる?】



梶って……梶くん、だよね? 梶くんしか知らないもん、梶くんだよね?


かなり戸惑って、一度スマホを鞄に片付けた。でもすぐに取り出して、もう一度通知をじっと見てみる。何度読み返しても文章は変わらない。梶という文字が変わることもない。



「(……え? どうしたらいいんだろう)」



電車に揺られながら考える。


これって……え? どうしたらいいの? 私は返事をしていいの? するとしたら何て返事をしたらいいの?


あ、一応、善くんに相談した方がいい? よね? 短期間だったとはいえ元カレ……世間一般的な元カレとはレベルが違うけど、でも肩書の上では元カレだから、勝手に連絡を取り合わない方がいいよね?



【善くん、暇なときに連絡ください】



ひとまず善くんに連絡をして、多分ぼーっとしていたんだと思う、ちょうど目の前の扉が開いたからと、何も考えずに電車を降りてしまった。


そこは縁もゆかりもない駅だった。発車標を見上げると、あと7分で次の電車が来るらしい。ホームの椅子に座った。人が少なくて、静かで、することも意識を引かれることもなく、私は視線を宙に彷徨わせた。



別に忘れていたわけではないけれど、蓋が完全に開いたような感覚があった。あのころ癖付いた思考が蘇って、私を支配する。


私のことを好きになってくれる人もいるのかと、間違って思い上がった結果、どうなったのか──…。



何事もなければ、善くんといつかはそういうことをするんだと思う。善くんは優しいからどんな言葉も使わないかもしれないけど、善くんは優しいから、また間違えてしまうのは嫌だな。



体に触られたの、怖かったな。スカートの中に触れられたとき、どうしても耐えられなかったな。あれをするんだよね? あれよりもっとすごいことをするんだよね? だから、もっと痛いんだよね?


善くんとなら、善くんさえいいなら、私は何をされたっていいんだけど……。



「(ずっと後ろを向いている方法ってあるのかな)」



善くんが気を遣わずに済む自然さで問題を解決する方法や、善くんが嘘を吐く暇もないスムーズさでつつがなく終わらせる方法は、ないものだろうか。



考え事をしているうちに、7分が経ったらしい。アナウンスが鳴って、電車の到着を知らせるメロディーが流れた。


私は立ち上がって、乗客の列の1番後ろに並ぼうと足を向けて、すると、引き止めるかのように、手に握っていたスマホが振動した。



【今仕事終わった。どうした? 電話する?】



善くんだった。


挙動不審に違いないが、私は踵を返し、再び椅子に腰かけて返信を打った。



【電話は大丈夫! お疲れさまです。梶くんから連絡があったので取り急ぎ連絡したまでです。寝る前とかで大丈夫だからどうしたらいいか相談に乗ってほしくて】



文にするとくだらなすぎて申し訳なくなった。善くんごめん、と思う。でも、たいしたことじゃないに越したことはないよね、と言い聞かせて、意を決して送信の文字に触れた。


すぐに既読がついて、ものの数秒で電話がかかってきた。



「も、もしもし!」



ちょうど電車が発車して、その轟音に負けじと声を張る。



『ちょっと待って、梶が何て?』

「あ、何にも! ただ、元気?って」

『連絡先教えた?』

「私じゃない。梶くんは、誰かに聞いたって言ってた」

『……はー、そう』



電話の向こうで善くんは疲れたようにため息を吐く。



『返事した?』

「まだしてない。善くんに相談してからにしようと思って」

『返事するなよ。無視すればいい」



無視をするという選択肢が頭になかった私は、少し驚いたが「わかった」と引き下がる。それから、発車標を見上げた。3分後にやって来るという案内を確認する。



「善くん、ごめん、用事はそれだけです。話聞いてくれてありがとう。ばいば……」

『待っていと、今どこ?』

「え、今?」



私は、ホームをぐるりと見まわして、駅名標を見つけると、まったくなじみのない駅名を読み上げる。善くんは「なんでそんなところ……」と至極真っ当なことを呟いた。



『そっち行くわ。ちょっとそこで待ってて』



改札のそばで待ち始め、15分ほど経った。善くんが反対ホームから階段を下りてきた。善くんは私に気付くと、ずかずかと近付いてきて、私の顔を覗き込みながら頬に触れた。



「ごめん。寒かっただろ。どっか店で待たせてればよかった」

「全然寒くないよ。というか、善くん、ごめんね」

「は、なんで?」



善くんは寒そうに白い息を吐いて「とりあえず何か食お」と改札の外に向かって歩き出す。


可愛らしい外観の洋食屋さんに入った。雰囲気が落ち着いていて、小物まで可愛くて、何より暖かくて、私はすぐにこのお店を気に入った。



「いと何食う?オムライス?」

「オムライス!」



善くんはハンバーグにしたらしい。


オーダーを終えると、善くんは肘をついて項垂れた。



「それで梶に連絡先流したの誰だよ」

「あ、それはわからないんだけど」

「誰か手引きしてんだよな。同窓会のときもいただろ、あいつ。同窓会の日時を教えたやつは見当ついてんだけど、連絡先はな……」



善くんはまるで自分の身に降りかかったことかのように、若干の苛立ちを滲ませている。頬杖をついて眉を寄せていた善くんは、私の顔を見て眉間の皺を消した。



「なににやけてんの?」

「んー、善くん怒ってるのかなって」

「そりゃあ怒るだろ。梶とかねえわ」



善くんはわかりやすく嘲る。



  

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