第72話
どんなに冷たくされても、どんな扱いを受けても、記憶の中の「彼氏だった善くん」が消えない。
彼氏だったころの善くんなら、こう言ってくれるだろうな。こうしてくれるだろうな。そういう思考の積み重ねが、あのころの善くんに戻ってほしい欲求を膨らませて、あのころに戻りたい欲求を募らせる。
何度突き放されても懲りずに善くんの彼女に戻りたがるのは、私だけではなかった。2番目の彼女も3番目の彼女も、善くんと別れたあとも関係が継続することを望んでいるみたいだった。
いや、元カノに限った話ではない。善くんに遊ばれた女の子のほとんどが「もう一度」を狙っていた。彼女たちは、善くんの彼女の扱いを見て来たから、願いが消えないのかもしれない。選ばれたらあんなに優しくされる、特別扱いされると、夢を見るのかもしれない。
善くんは誰も特別視することなく、気が向いたら応えるという態度を貫いていたけど、いつだって、善くんはその中から突然彼女を作ってきたのだから、きっとセフレはみんなが平等に、不安と期待を抱いて善くんとの関係を望んでいた。
セフレでいいから触れてほしい。バカげた願いを大切に、大切に抱いている。善くんに彼女ができたら心にぽっかり穴が開く。彼女と別れたら、行為の間だけでいいからこっちを見てほしくて、求める。善くんに抱かれているときは、全身の力が抜けて、頭が真っ白になりながら「幸せだなあ」って思う。
善くんに抱かれている時間だけが本物なの。道具みたいな扱いでも、使い捨てるみたいな一夜でもいい。善くんの一番近くにいられる時間が、この恋を慰めるの。
でも、善くんとの行為に溺れている子なら、みんな、矛盾する気持ちを抱いたことがあるだろう。
──体の関係が一切ないのに善くんのそばにいられる女の子ってずるいよね。
宮下いとちゃん。
小学生のころから知っている女の子だ。可愛いよねって思ったことはない。スタイルがいいとか、何かが飛び抜けてすごいということもない。
そんないとちゃんに、なんでだろう、善くんは構いたがった。
「いとー、寒くねえの?」
「さむくないよ??」
「セーターは?」
「朝ココアこぼして、洗濯中」
「貸してやろうか?」
「え! いらないいらないいらない」
「はい、万歳」
「わ、、」
「俺の預かってて。学校終わったら取り行く」
いとちゃんはずるい。何にもしてないのに善くんに構われる。何をしても、何もしなくても、善くんに優しくされる。同じ「彼女じゃない女の子」なのに、なんで?
なんで善くんに構ってもらえるの? 彼女じゃないのになんで優しくしてもらえるの? 「善くんのお気に入り」だから? なんでお気に入りなの? なんで善くんの特別なの? なんで体を許してもないのに善くんの特別になれるの?
いとちゃんが可愛いならわかるのに。男子たちに裏で何て言われてたか知ってる? 「あの顔じゃさすがにその気にならない」って言われてるんだよ? そんなレベルの女の子が、ねえ、なんでなの?
私、いとちゃんのこと嫌いなの。
寝てもないのに善くんのことを独り占めする女の子なんて、ずるいよね。
20歳のころ、いとちゃんが連絡先を消したって知って、すっごく安心した。
善くんといとちゃんの関係は終わった。これで善くんはいとちゃん以外のものだ。これからは、可愛いかどうか、相性がいいかどうか、面倒じゃないかどうか、そんな明確な評価基準で「善くんの特別」が選ばれる。
不正はない。例外はない。だから、他の女が特別になってもあきらめがつくし、私が特別に舞い戻るルートだって現実味を帯びる。
善くんといとちゃんの関係の終わりは、間違いなく、別れて10年経っても彼女の座を狙い続けたあきらめの悪い私に与えられた、ただ一つの吉報だった。
厳正中立な選定が行われたのは、たかだか5年だった。
だって、善くんといとちゃんが再会してしまった。
いくらあきらめの悪い私でも、善くんがあの夏の居酒屋で5年ぶりにいとちゃんを見つけたときには、ああ、と思った。
ああ、またいとちゃんが善くんを奪っていく。
「いいんだって。だって全然慣れねえんでしょ? 善」
「──…そうだな」
付き合っていたときでさえ、善くんは私にそんな顔を見せたことがなかった。
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