友人の春〈純平side〉
第62話
「今彼女いんの?」と尋ねる。それは、まあ、俺の知る男の中で1番モテている男・善にのみ発動する癖だった。
この癖は、「いる」と言われたら、次はどんな女と付き合う気になったんだ、と興奮するし、「いない」と言われたら、じゃあどのレベルの女をキープしてんの? と結局興奮する、どうせ面白がれる構造をしているのだ。
とはいえ、「いない」という返答の方が確率的に高いだろうな、という予測が根底にあった。年齢的にどうしても結婚がちらつくせいだろう。恋愛童貞の善は、近年、交際そのものを避けている傾向にあった。
だから、つまり、驚きの上に驚きが重なる事態になったわけだ。
「彼女いんの?」と尋ねると、テーブルに肘をついていた善は、その手のひらで口を覆った。
「まー……いますね」
目線はカラになったラーメンの器に落ちている。
俺は割り箸を落として目を丸くするしかない。
「え!? いんの!!??」
「うーん」
「どんな子??」
「可愛い」
「いや、んなことは、お前の彼女って時点でわかってんだって!」
「幼馴染」
「おさな、」
「いと」
環境さえ許せば、甲高い声で悲鳴をあげていたに違いない。
「いとと付き合った!? やっと!?!? まじかよ! よかったな!?」
善の肩を叩いて祝福すれば、善は涼しい、美しい、とってもとっても整った顔を歪めた。
「やっとって何だよ」
「いや、やっとだろうが! 俺はいとを知ったまさにその日に、お前がいとを好きなことに気付いてんのに」
「は? 言えよ」
「言って何になんの? お前が聞くわけねえわ」
休みが合ったので久しぶりに「飲みに行くか」と誘えば、善から「昼ならいける」と返ってきた理由を察した。お前、これからいとに会うんだな?
駅の喫煙所で待っていれば、中に入ってくることなく電話で呼び出された理由を察した。どうせ、いとと付き合ったから、禁煙でもしてるんだろう。
「つか、いとと連絡ついたんだな」
「あー、去年な」
「はあ? 去年?」
「去年の夏」
「言えよ、冷てえ。俺心配してたのに」
すると、善は再び背もたれに背中を預けた。
「必死だったんだよ」
まるで似つかわしくない言葉を使うらしい。
「……あなた、必死って言葉知ってたの?」
「知ってましたが?」
「いや、でも2回目か」
「は?」
「俺の知る中でお前が必死だったの、2回目だ。いとと連絡つかなくなったときも、お前、くそ必死だったもんな」
ついたらついたで必死だったとは、善が必死こくのいと関連ばっかじゃねえか、と微笑ましかったり。
このどイケメンもついに恋愛童貞卒業かと思えば、にまにまが抑えられなかったり。
善は、おそらく俺の「連絡がつかなくなった」発言を受けて、嫌なことを思い出したと言わんばかりに眉を寄せている。その無駄に色気を放つ横顔に近付き、声をひそめた。
「それで、どうだった?」
善の若干疎ましそうな目が向く。
「なにが?」
「なにって、わかるだろ?」
「は?」
「だから、全然違っただろって。すっげえよくなかった?」
「だからなにが?」
「なんでわかんねえんだよ。いととすることに決まってるだろうが」
その瞬間、善は黙って、そうかと思えば俺の肩に手を置いて立ち上がった。
「お前奢れよ」
その一瞬、見えた。面白くなさそうな横顔が。
古びたラーメン屋の似合わない綺麗な男は、首の後ろに手を置いて、野太い「ありがとうございましたあ!!」という店員の声を背中に受けながら、店の外へと出ていった。
俺は思い出す。大学生の善だ。
タイプもへったくれもない、気の向くままに誘いに乗ってはいろんな女に跨ってきた善を、優しさも情も余韻もない一夜を絶えず繰り返していた善を、思い出す。
「……まじかよ」
なんで、念願叶ってようやく本命を落としたのに、まだ何もしてねえんだよ。お前もしやドMか??
「てか、善、幼馴染っつった……?」
幼馴染? いとって幼馴染なの? 幼馴染って幼いころからの顔馴染みと書く幼馴染? お前、幼いころからの顔馴染みに長年片思いしてたの?
そんでまだ手出してねえの?
俺とは無縁な概念だが、稀に本命にこそ手を出せないヘタレな輩がいると聞く。その片鱗はあったとはいえ、善が完全にその輩側だったとは……。
「いや、面白すぎるだろ」
ラーメン屋を出て、迷うことなく駅に向かっていた善に追いつくと、善は振り返り凄んできた。美人が凄むと怖いと言うが、微塵も怖くない不思議。
善は言う。
「お前、女抱いたことあんの?」
「なんでねえと思った?」
「ヤるじゃなくて抱くの方、あんの?」
「あるよ」
白昼堂々、いい年をして大人が何の話してんだ、とか最早どうでもよくて、ヤると抱くの違いなんてものが善の中に存在していたのか、と感動を覚えていれば、善はまるで苦虫を噛み潰したような顔をして踵を返した。
こいつ、人間味増したよなあ、と思いながら、善の後をついていく。
「善はねえの?」
「めちゃくちゃあるわ」
「絶対ねえだろ」
「は、」
善はどうでもよさそうに笑い、俺はそんな友人に無機質でない体温を感じる。
「なあ、俺、いとに会いたいんだけど」
「無理」
「なんで!?」
「変なこと言うだろ? 余計なこと言うだろ? にやにやするだろ? いとにだる絡みするだろ? ほら、最悪」
「信用ねえなあ。善くんはいとのことが昔っから大好きでしたよ、しか言わねえよ」
すると、善は大真面目に「だから昔っていつだよ」と頼んでもいない天然を発揮するから、これはいとも大変だなあ、とまだ見ぬ友人の彼女に同情を覚えるのだ。
[友人の春の花見客]
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