第61話
伝わったのだろうか。いとは笑って、両手で顔を覆い隠した。
「よかった、セーフだった」
過去の会話が蘇る。あいつは言った。
──顔とか見たら完全アウトだったわ。
「すっごくひどいけど、善くんがしたくないって言ったとき、ほっとしたんだ。善くんには理由があって悩んでるのにひどいよね。──いや、違う、反応してくれて喜んでるのが一番ひどい。こんなの聞きたくないよね。ごめんね。本当にごめん」
顔を隠している、その手に触れた。
いとはびくっと肩を揺らして、恐々と手を下ろした。あらわになったのは、赤くなった目を細めてできた、いつも通りの笑顔だった。
「泣かないよ」
「……いや」
「ひどいこと言ったね。ごめん」
「いや、」
「……あのね、私もほんとはしたくなかった。女扱いされるのも、大人なことするのも、本当は怖気付いてたんだ。本当は、ちょっと、避けたかった」
いとは笑う。
「だから私たちぴったりだねって、言いたかった」
いとの両手が伸びて、両手で俺の髪を撫でて、首に腕をまわして、胸元へ引き寄せた。
「すぐ余計なこと言っちゃう。ごめんね」
ぷつんと何かが切れた感覚が走った。
いとの肩を押し、再び床にくくりつける。
「わかった、伝わってねえのな」
呆然としているいとの下腹部に手のひらを当てた。
「ここ突いてると、暴力を振るってるみてえだなって思う。喘いでんのが苦しそうで、泣いてるように聞こえて、やっぱ暴力を振るってる感覚になる。俺が言ってんの、それな?」
「…、」
「それをいとにはしたくねえって言ってんの」
過去は、そうだからよかった。暴力を振るっているような感覚が、女への嫌悪感や拒絶感を晴らして、支配欲と征服欲に塗り替えて、性欲を満たしてきた。
でも、今は違う。
「触りてえっつった」
触りたい。優しく、できるだけ優しく。
「いとの触りたいってのと一緒にすんなよ。全部だ。いとが触ったことねえとこまで、全部、触りてえんだよ。なあ、わかるか?」
いとの顎を掴んだ。
「目、逸らすなよ。なあ、わかる? 俺がくそみてえなやり方しか知らねえだけで、そのやり方ではいとに触りたくねえってだけで、アウトだ何だっつう話は全く関係ねえんだよ」
「…、」
「昔のことは忘れろとは言わねえよ。けど頼むからわかって。今触りてえって思わせてんのも、葛藤させてんのも、反応させてんのも、全部いとだから」
俺が突っ込めば早い。今までのように、殴ってるみたいな行為で、助けを求めているみたいな声を上げさせて、性欲を満たせば、早い。そうすれば、いとの過去を塗りつぶして、新しいシーンで上書きできる。
もどかしく、解決能力のない自分に苛立って、もういっそ泣かせる方向で舵を切るかと考え始めたとき、いとがふと笑った。
「……なに?」
「いや、善くん必死だなって」
前髪を掴みため息をつけば、いとはより一層くすぐったそうに笑った。
「私は幸せ者だね」
笑いながら、両手を広げる。その腕の中に落ち着けば、いとは抱きしめながら、やっぱり笑った。
いとの隣に寝転がり、俺もいとの背中を抱き寄せる。
「……必死にもなるわ」
「そっか」
「そうだよ」
「ねえ、善くん、私もしてみていい?」
何を? と聞く前に、いとが首を伸ばした。それはキスと呼ぶのをためらう、唇同士をほんの一瞬触れ合わせ、音もなく離れていく、微かな接触だった。
いとは恥ずかしそうに、同時に、おかしそうに笑う。
「だめだ、私下手だね」
恥ずかしさだけが移った。
俺はいとの顔を自分の胸に押し付けてやり過ごしながら、なぜか、頭の中では変なことを思い出していた。
───まじ、ヤりてえ、なんてもんじゃねえからな、本命は。俺がぐっちゃぐちゃのどろっどろにして死ぬほど甘やかしてやりてえ、って感じだから。
[幸せ者の自乗]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます