第67話

いろんなことって何だろう。デートとか? ピクニックとか? 遊園地で遊ぶとか? 動物園に行ったり、映画鑑賞したり?


考え込んでいれば、善くんは体を起こした。私のことも引っ張り起こすと、私が善くんとキスする前に持っていたリップを手渡しながら言った。



「なあ、年内に旅行行こ」



したいことの「いろいろ」の一つが、旅行だったらしい。


それはもう反射の域で「行く」と即答する。



「行く。行きたい。行こうよ」

「温泉どうすか?」

「温泉! すごくいいと思います」

「俺が宿選んでいい?」

「あ、じゃあお願いするね」

「おっけ」



善くんと温泉に旅行だなんて。


全ての単語が魅力的でにやけていれば、善くんは意味深な笑みを浮かべて私の顔をじっと見つめた。



「お願いあんだけど」

「なに?」

「一緒に温泉入ろ」



にやけた顔が固まった。


オンセンニ イッショニ ハイル……ということは……温泉ということだから、つまり、裸ということで、裸ということは、つまり、何も着てないということで……。


ぐるぐると同じところをまわっているとも知らず、頭を懸命に働かせている。そんな様子を善くんは楽しそうに見つめる。



「無理なら無理っつっていいから」



逃げ場を常に残してくれる、善くんは優しい。


「善くんは優しいな」と「善くんが好きだな」が同時に起れば、この世で一番簡単な女は気が大きくなる。



「全然大丈夫! ぜひとも一緒に入りましょう!」



善くんを見つめて力強く宣言する。善くんは信用していないような顔で笑うと、何も言わずに頬に口付けた。


それから、立ち上がる。



「じゃあ、俺も準備するわ」



軽く伸びをすると、少し離れた場所で自身のスウェットを脱ぎ始める善くん。綺麗な背中に見惚れながら「準備って何の?」と尋ねれば「デートの」と背中越しに返ってくる。



「あ、そうだ。これからデートなんだった」

「そうだよ」

「忘れてた」

「忘れんなよ」

「だって、善くんが」

「それはまじでそうだわ」



善くんが笑って、私も笑う。


リップを塗る。クローゼットを開いて、いい感じの可愛い服を探す。



「(ひらひらしたもの……)」



すると、去年買ったワンピースが目に止まった。


好きなブランドのもので、くすんだ青色が果てしなく可愛い。首元が開いていて、胸の下がきゅっと締まっていて、何だかスタイルがよく見える気がする。でも結局似合わないからと一度も着なかった。


そのワンピースに手を伸ばした。可愛いと思ったものを選ぼうとしている自分は、似合わないからと選ばない自分よりも、好きになれそうだった。



洗面所から出てきた善くんと入れ違いに駆け込んで、しっかりと鍵をかける。服を脱ぎ、ワンピースに袖を通す。意気込みだけは上等で、洗面台の鏡を見れば目を逸らしたくなる有様だったけど、まあ、仕方ない。今すぐには大きく変わらない。


ブスだなあって思うだろうか。他の女の子と比べたくなるだろうか。あ、でも、善くんに「隣を歩けない」って言われなければ、セーフだよね。


セーフ、だよね?



切ったばかりの髪をちょいちょいと手櫛で直して、はあ、と一度深いため息をつく。



「こんなのでいいのかなあ…」



できれば可愛くなりたいからしたメイクに、できれば可愛くなりたいから着たワンピース。じゃあ可愛くなったかというと、正直頷けない。



頭の中を最悪の想定が駆け巡る。善くんのがっかりする顔とか、引きつった顔とか、まあ見たこともない表情が鮮明にいくつも浮かんで、逃げたくなる。


でも、可愛いと思ってくれるかもしれない可能性にかけてみたいと思った。



「こんなのでも大丈夫かもしれない…!」



鏡の中の私と頷き合うと、意を決して洗面所を出る。すると、なんということでしょう、ドアの向こうで善くんが待機していた。


まさかそこにいるとは思わない。意を決したはずの私はひゅんと一瞬のうちに雲隠れしてしまった。壁にもたれている善くんを見るや否や、本能的にドアを閉めようとする。


それを見過ごすはずもない善様が、長い腕を伸ばしてドアを押さえつけた。必死の抵抗も虚しく、軽々とドアが開かれる。



せめてもの思いで俯き、腰を引かせ、命乞いをする。



「ま、まだ何も言わな……」



言葉尻がくぐもった。言い切る前に背中を引き寄せられたせいで、私は善くんの胸にダイブしている。


善くんの香りがする。優しい、甘い、善くんの香りに包まれる。善くんの腕の中にいる。ぎゅっと強く、抱きしめられている。



善くんの声が降ってきた。



「もう言っていい?」

「いや、ま…」

「死ぬほど可愛い」



覆い被さる勢いで善くんは体重をかけてくる。その物理的な重さもあいまって、善くんの言葉がどんと胸の中央に響く。



「か、わいい?」

「うん」

「……お世辞に聞こえない」

「お世辞じゃねえからな」



善くんは笑って、こめかみの辺りにキスをする。


褒め言葉が染み渡って無性に泣きたくなった。お世辞じゃないって言葉も嘘には聞こえなかった。どうしよう、こういう状態を「真に受けた」というのかな。



「(可愛いって言われた……)」



堪らず善くんに抱きついた。


私より強い力で抱きしめ返してくれる善くんは、いつまでも「可愛い」の言葉一つでかけた魔法を解いてくれない。






[ご褒美の序章]


    

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