第64話

善くんはスマホをテーブルに置き、ソファに座り直した。隣を軽く叩いて、そこに座るようにと暗に言う。


素直に従うと、善くんの手が私の髪に触れた。癖みたいに髪を撫で、耳に触れる。くすぐったくて少し笑いそうになる。



「なあ、明日どっか行く?」

「行く。行きたい」

「どこ行きたい?」

「それは本当にどこでも」

「じゃあ買い物付き合ってほしいんだけど」

「あ、もちろん!」



お願いのような口調が珍しく、嬉しく、誘ってくれた! という喜びもあいまって、私はにやけることがやめられない。


善くんは、少し笑って私のにやけ面を見ながら、髪を撫でていた手を滑らせた。



「ひらひらしたもん着てんの見てえな」



ひらひらしたもの? 尋ね返すのが遅れた。


平然と話しながら善くんがうなじを撫でるから、まあ、くすぐったかったのだ。反射的に身をよじって逃げようとすれば、大概のことはお見通しな善くんは、私の肩に額を乗せてそれを妨げた。



「……ひ、らひらしたもの、とは、」

「ワンピースとかスカートとか、なんかそういうの」

「ああ。好きだね、善くん、そういう格好」



ほんの少し意外でもあり、微笑ましくもあり、可愛いなと思って笑えば、善くんは肩口に顔を埋めたまま、当たり前みたいに言う。



「好きなのいとだろ?」

「わたし?」

「ひらひらしたもん好きだろ、昔っから」



虚を衝かれて、黙る。


善くんは笑った。



「ほら、否定しねえ」



ワンピース。スカート。善くんに言わせれば「ひらひらしたもん」なる、女の子らしい服装。


好きだった。だって、可愛いから。



でも、私がそういうものを選んだことはなく、姉のお下がりをもらったことはあるものの、人前で着たことは一度もない。



「(……はず)」



蚊の鳴くような声を絞り出し「なぜそう思われたのですか?」と尋ねれば、善くんはあっけらかんと私が知られていないと自認していた事実を列挙した。



「俺が来たら即着替えるけど、部屋では愛ちゃんのお下がり着てた。雑誌でいとがガン見すんのは、ひらひらしてる服着たモデルばっかだった」

「……なるほど」

「あと、」

「はい」

「たまに愛ちゃんに遊ばれて、服着替えさせられたり髪いじられたりしたとき、嬉しそうな顔してた」

「……そ、のようなことは、、」

「わかりやすいよな、いとは」



善くんは私の首に擦り寄りながら、大層機嫌のよさそうなご様子でお笑いになった。



「……びっくりした」

「なんで?」

「よく見てるなあって」

「は?」



すると、善くんは体を離し、私の顔を覗き込んだ。美しいとしか言い表せない顔が緩んで、「美しい」と「愛らしい」がそろってちょうど100乗される。



「やっぱいと、鈍感だろ」



私はどんどん欲張りになるようです。


欲張りな私は、両手を伸ばす。善くんの頬を包み、綺麗な目を見つめる。



「……善くん、いいよって言って」

「いいよ」

「…、」

「しろよ」



大概のことはお見通しな善くんはやっぱり今度もお見通しで、でも、「いいよ」を得たことに変わりはないので、善くんに近付く。


頬に唇を軽く押し当て、離れる。すると、善くんは私の頬に顔を寄せ、ちゅ、と音を立てて離れた。唇に同じことをする。すると、善くんは唇を重ねて、音を立てて離した。


私の真似をする善くんに私は思わず笑ってしまう。



「善くんと私の、全然違う」

「すぐ一緒になんじゃねえの?」

「そうなの?」

「そうだろ」

「じゃあ、善くんが下手になったら私のせいだな」

「下手な方に寄んの?」



後頭部を引き寄せられる。音を立てながら角度を変えて何度もついばむ。


善くんは余裕そうに、簡単そうに、私の慣れないものを与える。経験値の差がもどかしい。でも、呼吸の乱れた私の耳を撫でる善くんの目が優しいから、急がなくていいんだろうな、と思う。



「明日着て。嫌?」



私の顔を覗き込んだ善くんから、目を逸らした。


似合わないのにとか、可愛くないのにとか、他の女の子と比べたくならないのかな? といろいろ思っても、善くんの「着て」には敵わない。



「………きる」

「うん」

「着る」

「そう」

「うん」



それから目を合わせれば、善くんの目が変わらず優しいままで、ほっとする。


善くんの髪に触れた。柔らかくて、気持ちいい。



「善くんといると、私、女の子になれる気がする」



それが嬉しい。それがくすぐったい。それが幸せ。


へらへらと笑えば、善くんも少し笑った。



「可愛いこと言うね」

「善くんも可愛いよ」

「なんで俺が可愛いの?」

「わからないけど、不思議なことに可愛いんだよ」

「へえ、意味わかんね」



善くんは顔を寄せる。キスだ。珍しく察した私は目を閉じる。唇が重なる前に、善くんは少し笑った。



「──…かわい、」



低く、でも甘ったるく、ちょっと掠れた囁き声が、お腹の奥を触った気がした、なんて、変なことを思う。



    

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