第57話

善くんはソファに寝転がった。仰向けになって目を閉じる姿を見て、10代のころを思い出す。善くんは昔もこうやって寝転がっていた。私の部屋で、特別、何をするでもなく。


近いだろうか、と思ったが、他に座る場所もないのでソファの前に善くんに背中を向ける形で座った。



「――…なあ、いと、俺いとに話あんの」

「話? なに、どうしたの?」

「……」

「善くん?」



返事がないので振り返れば、善くんは本当に眠かったらしい、あどけない寝顔を無防備にさらしながら寝息を立てて眠っている。



以前うちに泊まりに来たとき、善くんは「疲れないと眠れない」と言っていた。今は相当疲れているんだろうか。それとも、あの告白の前には、誰かと同じベッドでは、という条件がつくのだろうか。


私は善くんのことを何も知らない。



しばらく本を読んでいたが、ふと、来客があるのにすっぴんでは失礼だと思い、メイクくらいはしようと思い立つ。


テーブルにメイク道具を広げれば、メイク中は基本YouTubeを見ている私は、癖のようにアプリを起動している。音がうるさくて起こしてはいけないので、有線イヤホンを繋いだ。


メイクをしながら好きなチャンネルの動画を2、3本見たときだった。不意にイヤホンの線を引っ張られる。目を動かして探れば善くんが起きていた。動画を止めてイヤホンを外す。



「ごめん、起こした?」

「いや、勝手に起きた。なんか真剣に見てんね」

「うん。メイクの動画見てたんだ。一緒に見る?」

「いや、、、うん、見る」

「(見るんだ……)」



若干驚きながらイヤホンジャックを抜いて、ソファに背中をつけて、善くんにも見えるようにスマホを持って動画を再生する。私と年のそう変わらない綺麗な女の人が秋服のコーディネートを紹介している様子を、なぜか2人で黙々と見る。


私は楽しいけど善くんは楽しいのだろうか、と疑問に思いつつも、私の方は見たかった動画なので画面に集中していれば、善くんが私の髪に触れた。やっぱり楽しくないのだろうか。


善くんを窺うと、善くんは私の髪に触れながら動画をぼーっと見ている。退屈そう……いや、善くんの顔は存分に眠そうだ。



「……別の動画見る?」



すると、善くんは私に目をやった。真顔が綺麗なんて善くんって世界一とんでもない人なのではないか、と大真面目に考える私がいる。



「いとが見てえのでいいよ」

「でもこういうの興味ないだろうから」

「いいよ。俺そのうちまた寝るだろうし」

「ああ、それは全然寝てくれたらいいんだけど」



善くんがいいならいいか、と思い、いや、善くんの「いいよ」は信用できないんだよ、と頭を抱えたくなる。



善くんも楽しいような動画に変えた方がいいのかな。でも、男の人が見る動画って何だ。自慢じゃないけど、私は男の人と動画を見たことなんかない。


悩みながらもお言葉に甘えて動画を見ていれば、不意に善くんが私の左手に指を絡ませた。それはもう盛大に驚いて振り返った。善くんは目を閉じて眠っている。眠すぎて彼女と間違えた説を支持することにして、私は動画を止めた。



手を離すのも忍びなくて、ソファに背中をつけて、ぼーっとしていると、いつの間にか私も座ったまま眠っていたらしい。


夢の中で、私は善くんに抱きしめられていた。暖かくて、いい匂いがして、善くんも嫌そうではないことを知っている、幸せな夢だった。



どのくらい眠ったあとか、目を覚まして、全てが夢なわけではないことを悟る。私は善くんの腕の中にいて、善くんの胸に横向きにもたれかかる形で膝を抱えていた。


事態が把握できず固まっていれば、善くんは当たり前みたいに髪を撫でる。



「起きた?」



その声の近さに事態を把握した。謝りながら急いで離れようとして、未だ善くんが手を繋いだままでいることに気付く。


友達ってなんだっけ?


善くんと手を繋いだまま、存分に近い距離で向かい合って考える。考えても、わからない。



「……ごめん、なさい、重かったね」



善くんは私の髪を撫でていた手を下ろし、大きな掌で頬を包んだ。目を細めた表情が、聖母顔負けなくらい柔らかくて、善くんという人がもっとわからなくなる。


友達はこういうときどうしているのが正解なのかわからず、ひたすら善くんの足元を見ていれば、善くんは今度は正面から私を抱きしめた。割れ物でも扱っているかのような優しい抱擁で、胸を押そうとした手が宙をさまよう。



「なあ、いと、聞いて」



善くんの声が耳元で鳴る。



「結婚しよ」



……けっこんって、、


けっこんって、何だっけ?



どう考えても善くんのせいだが、初めて日本語を聞いた宇宙人みたいな頭になってしまった。



「……あ、それはどういう」

「いとのこと縛る理由が欲しい」

「…、」

「結婚しよ」



恐る恐る善くんを見上げれば、善くんは私を抱きしめたまま目を合わせた。視線が絡む。なおさら、頭がうまくまわらなくなる。



「………けっこんしなくても、私、いるよ?」

「うん」

「もう連絡断ったりしないし、必要なら判子押すし、とても一生かけても払えないような額の罰金を支払うっていう契約書を作って……」

「うん、でも結婚しよ」

「…え、、っと、」

「一緒にいたい。できるだけ会いたい。いとが黙ってどっか行ったら追いかけていい理由が欲しい。いとが勝手に俺の前からいなくなれない理由が欲しい。それを俺はお前になんて言えばいいの?」



結婚して。


善くんは私を見つめる。



     

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