迂回路〈いとside〉
第56話
好きだって言いたかっただけ。
初恋だから。再会したらあっけなくぶり返したから。下心を大事にしていいって言われて嬉しかったから。だから、好きって伝えたかっただけ。
でもそれは「変わって」って意味だったんだな。
私を女として見て。私に下心があるって気付いて。あわよくば、触れられたいとか、彼女に見せる顔を見てみたいとか、そういう欲もあったんだろう。
間違えた。独りよがりだった。私の変化を押し付けただけだった。困らせた。無理をさせた。私は、してはいけないことをしてしまった。
大我曰く「女性が少しだめ」な善くんは、「女性が少しだめ」な中でも好きになった人と付き合ってきたというのに、友達に「女として見ろ」と強制されて、それも私に強制されたのだから、善くんは想像よりもずっと嫌な思いをしただろう。
間違いは繰り返さない。
私は善くんが好きだから、もう困らせない。
女の私なんて早くいなくなればいいんだって、いつも、いつも思う。
9月の第一日曜日。
昼時に善くんから電話があった。
『今から行っていい?』
電話を切って10分ほどで善くんは玄関を開いた。
「部屋ちょっと散らかってて、」
「いいよ、どうでも」
「んー、じゃあいいか。どうぞ」
中に招いても、善くんは玄関先から一歩も動かず言った。
「今彼女と別れてきた」
「…、」
「上がっていい?」
え? と仰ぎ見て、善くんの目に捕まる。
「……別れたの?」
「うん」
「あ、そう…なんだ……その、だい、じょうぶ?」
「すげえ怒らせた」
「え、」
「いと、いいよって言って。上がっていい?」
そういう言い方をすれば、私が何でも言うことを聞くと思っている。そうだよ。何も間違ってない。私は俯いて一歩後ろに下がった。
「どうぞ」
すると、善くんは後ろ手で玄関の鍵をしめて、靴を脱いで、そうかと思えば、一歩踏み出して、私を正面から抱きしめた。
驚いて思わずもう一歩下がり、壁に阻まれる。
「あ、あの、善くん、」
「うん」
「(うん?)」
善くんは覆いかぶさるように抱きしめて、私の首筋に顔を埋めて、痛いほど強く力を込めてくるから、窒息してか圧迫されて死んでしまうと思った。
「善くん…!」
私の悲痛な声を聞いて、善くんは笑った。私くらい単純になると、善くんの機嫌がよさそうなのでもう死ぬくらいいいか、となってしまう。
どうしようもない。
よくわからないが、とにかくご機嫌らしい善くんに玄関で殺されかけていれば、善くんは私の顔を覗き込んで尋ねる。
「これから予定あんの?」
「何もないよ」
「じゃあ俺ここで寝ていい?」
「あ、うん、全然。ゆっくりしていって」
ただ、善くんに動く気配が見られない。
とりあえず中に入るよう言うと、善くんは言った。
「もうちょっと」
そうしてさらに強く抱きしめられる。
「(…どうしたんだろう)」
大丈夫と言ったのは建前で、ご機嫌なのは演技で、本当は彼女と別れて落ち込んでいる、とか?
やっぱり彼女のことが大好きだっただろうから、そりゃあ別れて次の瞬間には平気、だなんてことはあり得ないんだろう。
私たちは友達だ。これは、友達としての態度だろうと判断して、慰めるように背中をぽんぽんと軽く叩く。善くんはすぐに体を離した。どうやら間違えたらしい。やらかした、と慌てて謝ろうとしたが、謝罪は果たされなかった。
善くんは私をじっと見つめながら私の両腕を掴んで自分の首に巻き付かせ、再び私を抱きしめた。
なんとなく、これは友達のハグの仕方ではない気がした。
でも、どうしてこんなことをさせるんだろう。もしかして傷心なあまり、女の体をしているなら誰でもいいから、的なアレだろうか。
善くんの首から腕を下ろしながら考える。
善くんが再度体を離した。不満そうな顔をしてこっちを見ている。私はへらへらと笑った。
「まあ、上がってよ。何もないけどお水くら…」
「なあ、全然足んねえんだけど。これ、なんで?」
なんで…? 何が??
「何が足りないの?」
「いと」
「私が足りない?? ちょっとよく………あ、でも、それはやっぱり、善くんが悲しいからじゃない?」
「悲しいの? 俺」
「彼女と別れて堪えてるんだと思うよ」
「それはねえわ」
「あ、そう、なんだ……」
「怒らしてびびってるくらい」
「あー。善くん、女の人のそういうの苦手だもんね」
「……ね」
善くんは目を細める。
その表情が優しくて、何が何だかわからなくなる。
「ひ、ひとまず、上がってよ。少し寝たら、もしかしたらちょっとは楽になるかもしれない」
よくよく考えれば、なんで私の家で寝るんだろう、と思ったが、出口のない迷路に迷い込みそうだったので考えないことにする。
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