暴力性〈善side〉
第53話
弟たちが生まれるずっと前は、母親が今より感情的で、突発的に泣いたり怒ったりしていたから。
小学生のとき、告白を断れば「泣かせるなんてひどい」と女子が集団になって詰め寄せてきたから。
中学のとき、話したこともない同級生の女が、実家の前で待ち伏せしていたから。学校で、俺の持ち物を盗んだり、俺の触ったところに触るのが流行ったから。
高校のとき、本気か冗談か、顔も知らねえ女が、バレンタインのチョコに経血を入れた、と言ってきたから。不規則に時間を変えても、いつも同じおばさんが同じ車両にいて、抱きついてきたり、鼻息荒く体を擦り付けてきたから。移動教室の間に、知らない3年の女が、着替えたばかりのジャージの匂いを嗅いでいたから。
だから、と繋げることが正しいのか正しくないのか知らないが、女は怖い。気持ち悪い。面倒臭い。信頼できない。関わりたくない。
そういった、前向きとは言いがたい感情が女全般に向いていることを自覚している。
女に対する嫌悪感や不信感があって、女を嘲り蔑む心があって、それらの感情と「性欲処理の対象が女である」という事実は、俺の中ではうまく共存していた。
ワンナイトが1番いい。ただ一夜、性欲処理のためだけに関わって好きなだけ奉仕させて別れる。その扱いが1番性に合っている。
彼女を作るのは面倒臭い。すぐ泣く。すぐ拗ねる。すぐ嫉妬する。すぐスマホを見たがる。電話が長い。当たり前みたいに時間を奪う。俺が動いたり奉仕したりすることが多い。
でも、矛盾するが、彼女がいると楽だ。やばい女に当たる恐れがない。勘違いした女を断ち切れる。相手を探すところから始めなくてていい。誘いを断る真っ当な文句ができる。
何よりも、俺のことが好きだと語る顔がいい。俺に惚れ込まれていると思っている顔がいい。自慢できる彼氏がいる自分に浸っている顔がいい。
それはおそらく支配欲。征服欲。嗜虐心。
顔が可愛い。スタイルが好み。自己主張が激しいからわかりやすい。尻軽だから執着心が薄い。自己表現が得意だから、行動や感情が予測しやすい。自分が「彼女」なのはそんな理由だと気付きもしないで俺の愛情表現に満足する、その顔がいい。
女が感情的になることへの恐怖心さえなければ、もっと手ひどく扱っていただろう。性欲が湧く対象が女じゃなければ、女とは一切関わっていなかった。
行為の中にある種の「暴力性」を見つけたから、俺はきっと行為を繰り返している。
女はいいやつもクズも苦手。清楚も清楚じゃないのも苦手。年上も年下も苦手。大人も苦手。でもなぜか、いとは苦手じゃなかった。
いととは子供のころからの付き合いだ。頻繁に会話をするでも、休み時間や放課後に一緒に遊ぶでもなかったが、いとのことはずっと平気だった。
これといって大きな出来事やきっかけもなかった。雰囲気が柔らかいから。媚びてこないから。嘘っぽさがないから。泣かないから。疑わなくていいから。理由はいくらでも浮かぶが、そのどれもが不正解なような、そんな曖昧な感覚を持って、いとは俺の中で「女」の分類から外れていた。
いとといると落ち着く。癒される。いとに会いたくなる。いとの声を聞きたくなる。でも会話がなくてもいい。いとのいる空気が近くにあればいい。
俺の中でいとは「女」ではない。
彼女はいなくてもよかった。行為の暴力性への依存からはいつでも抜け出せた。
でも、いとの部屋で、いとのベッドに寝転がって、いとの気配の中で眠る。他愛もない話をするいとの声を聞いている。静かに緩むいとの顔を見ている。そんな時間だけは、何に変えてもずっと手放したくなかった。
中学のとき、頻繁に私物を盗まれる俺に気付いていたんだろう。いとは同情するでも深入りするでもなく、雑談のついでみたいに言った。
「私シャーペンとか消しゴムとか10個ずつくらい持ってるから、忘れたらいつでも使って」
「なんでそんな持ってんの?」
「私がすぐなくすからだよ」
高校のとき、手作りは食えないことを打ち明ければ、いとは傷付くでも気分を害するでもなく、ただ「そうなんだ」と頷いた。
「じゃあバレンタインはアルフォートのファミリーパックでいい?」
「そのサイズはいらない」
「え、じゃあチロルチョコ一つ?」
「間はねえの? お前ん中に」
そういう態度が、いとの部屋に俺をくくりつける。
いとといるとき、俺は何もしなくていい。ヤらなくていい。キスしたり抱きしめたりしなくていい。話を聞いているふりをしなくていい。表情筋を動かさなくてもいい。
そっけない返事にも、いとは笑う。寝転がっていても黙っていても何も言ってこないし、髪に触っていてもいとを見ていても、いとは怒りも照れもしない。しなだれかかっても来ない。
いとといれば眠くなって、微睡の中でいつも思う。
──いとだけは絶対、傷付けたくねえな。
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