第50話
久しぶりの善くんの車に揺られていれば、いろいろと思い出して、善くんのおかげで私は、あの夏から冬まで密度の濃い時間を過ごしていたのだと自覚する。
善くんは今、彼女と密度の濃い時間を過ごしているのだろう。
「まだ慣れねえわ」
「ん、なにに?」
「いと。昨日も思ったけど、雰囲気変わったよな」
「あ、そうなんだよ。今朝は大我が褒めてくれた。コンタクト入れるのすごいって」
そう言って笑えば、善くんも笑う。
善くんのその笑顔が私はやっぱり……ううん、ただ、善くんにはずっと笑っていてほしいなと思う。
「私も慣れないな。善くん、煙草吸うんでしょ? そのイメージないし見たこともないから、喫煙者の善くんはちょっとまだ私の中でなじんでない」
ヘビースモーカーだと聞いても、善くんとはうまく結びつかない。だって、善くんや善くんの車からは煙草の匂いが全くしない。
すると、善くんは眉を寄せる。
「煙草吸ってるって大我から?」
「大我から聞いたし、さっき洸くんも言ってた」
「……あー」
「なに? だめだった? 内緒だった?」
「いや、いとには隠してたから、バレたと思って」
「私に知られたくなかった?」
「そうかも」
善くんは苦笑する。
善くんのその表情は優しいから、「私には知られたくない」という言葉とは裏腹に、拒絶を感じさせない。
「……ヘビースモーカーだって聞いた」
「そこまで吸ってねえよ」
「大学に上がってすぐに煙草を覚えた」
「…そんなすぐではない」
「茅野善はワクだ」
「何だその口調」
「善くん情報まとめ。善くんの大学生のころのこととか知らないから、なんかね、嬉しいんだよ」
そう言ってしまってから、今のは友達の態度だっただろうか、と不安になった。
ごまかさなければならないと焦って、善くんを見れば、善くんは赤信号で止まって、私を綺麗な目で見つめ返した。
「俺も知りてえな」
左手が伸びてくる。
「……ショートのいと、小学校以来じゃない?」
善くんは私の髪を1束、さらりとすくった。
善くんと目を合わせているのは、苦手だ。
でも、目を逸らすのは後ろめたくて、顔に熱が集まらないことだけを願ってへらへらと笑う。
「大学生のときも短かったんだよ」
「成人式のあと?」
「あ、は、はい、そうです。あの節は申し訳……」
「写真ねえの?」
「写真はない。写真は嫌いなんだ」
「なんで?」
「落ち込むし、恥ずかしいし、悲しい…?」
信号が変わって、善くんは再び走り出す。
左の肘をアームレストに突いているせいで、善くんとの距離が近い気がして、そんなことを思う自分がそこはかとなく気持ち悪い。
窓の外見て気を紛らわそうとすれば、善くんが普通にコンビニを通り過ぎるので、一瞬で紛れた。
「善くん!?」
「あーごめん間違えた」
「嘘だ……」
「嘘だよ」
善くんのこういう態度の一つ一つに惑わされないようになるには、どうすればいいんだろう。
「なあ、大学のころの写真出てきたら見せて」
「ないよ」
「出てきたら」
「絶対嫌だ」
「見てえのにな」
「……善くん、そういう言い方したら私が言うこと聞くって思ってるでしょ?」
「うん」
「写真に関しては違うからね」
すると、善くんは笑って、私はその笑い声にくすぐられないように服の裾を握った。
市内を無意味にぐるっと回ってコンビニに行く。善くんがもつカゴにノンアルの缶を入れながら、私は疑問を投げかけた。
「善くん、全然煙草の匂いしないよね。今日はまだ吸ってないの?」
コンビニへの入店前に、お店の前で喫煙していた人の前を通っただけで、煙草特有の匂いを嗅いだ。でも善くんからあれが匂ったことはないな、と疑問を抱いたのだ。
「来る前吸ってたけど、シャワー浴びたし洸の香水振ってる」
「あ、そうなんだ」
「でも完全には消えねえと思うけど」
そう言って、善くんは距離を詰めた。
抱きしめられていないのに抱きしめられたのかと思った。体が触れ合う寸前で止まって、善くんの言う洸くんの香水の匂いに包まれる。
「どう?」
「……わからない」
「いと、鈍感だろ」
は、と笑って離れる善くん。
動揺したあまり固まってしまい、早く普通の反応をしないとと焦るばかりで全く動けず、ひたすらに俯いていれば、善くんはふと私の耳に触れた。
「切ったから隠せねえな」
多分、そこが赤くなっているんだろう。
「……ご、めん、」
「こういうの困る? 俺触んねえ方がいい?」
「…や、」
私は友達。下心はもうない。頑張るのは間違いだ。
知識を組み合わせて足りない頭を必死に働かせる。
「いや……うん、わ、私、彼氏できた、から、ちょっと困る、かもしれない」
出てきたのはくだらない嘘だった。
こんなくだらない嘘に、善くんはさらりと返答する。
「へえ、よかったな」
そんな態度から、私は眼中にないという事実を改めて感じ取って、私は心の底から安心した。
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