変化〈大我side〉
第42話
あのとき見た善の顔が忘れられない。
去年の夏だ。居酒屋で、梨花の懸命なアピールを受け流しながら、善はビールを飲んでいたが、賑わいを潜り抜けて届いた声に不意に目を動かした。
「──宮下を迎えにきました」
善の瞳はわずかに揺れた。
いとが電話番号を変えて連絡手段を断った20歳の冬、善は珍しくも静かにキレ、珍しくもわかりやすく機嫌が悪くなった。
いや、機嫌が悪いのは元々だった。
高校を出て、善といとは大学が離れて、それなのにいとは休みにすら地元に帰ってこなくて、善は正体不明の何かの発散ができなくなって、それをごまかすように煙草を咥えた。
そのせいで彼女の永野先輩とよく揉めていた。「煙草やめてよ」と言われて、何に対しても基本的にいいよと頷くスタンスの善は、ちっとも悪びれることなく「ごめんな」と言った。
煙草の量は日に日に増える一方で、いとの連絡先が消えてからは、善は、そのどうしようもない焦燥や喪失感までもを煙草で補おうとしている節があった。
正直、目も当てられなかった。
「煙草うまい?」
「まあまあ」
「いとはいいの?」
「そのうち慣れるらしいよ」
善はそう言って、何かをバカにするかのように笑うのだ。
だから、いとと居酒屋で5年越しに再会したあの夜、善はもっと感情的になるかと思った。想像はできないが、怒鳴ったり泣いたり縋ったり、何か、もっと生身の感情を吐き出すのかと思っていた。
でも、違った。善は、愛ちゃんを車に乗せるのを手伝って、いととどうこうなることもなく、すぐに戻ってきた。
「愛ちゃんどうだった? 大丈夫なの?」
「おー。普通に酔ってるだけだった」
「いとは? 元気そう?」
「元気っつうか、まあ、普通だった」
「連絡先、聞いた?」
「や、聞いてねえ」
「え、なんで??」
「なんかすげえびびってるから、やめた」
善のその顔に、生きていたからいいや、くらいのあきらめを見て、俺は1人でもどかしくなる。
「びびらしてやればいいよ。いとが悪いもん。追い詰めて逃げらんねえようにしてもバチ当たんねえよ」
「そういうもんか」
「遠慮してたらまたどっか逃げるよ、あいつは。いいんだって。だって全然慣れねえんでしょ、善」
すると、善はしばらく黙って、頬杖をついて、ついさっきまでいとが立っていた場所をぼーっと眺めて、不意に少し俯き、それから、俺と目を合わせて笑った。
そんな顔して笑うなよ。俺は黙って目を逸らした。
翌日の昼時、部屋でゲームをしていたら声がする。
「大我ー。善くん来たよー」
善と夜飲みに行く約束しかしていなかったので、不思議に思いながら部屋のドアを開けようとすれば、善が先にドアを開けた。
「善。なに? どしたの? 連絡しろよ。てかノックしろよ。どうすんだ、俺がやばいもん見てたら」
「気にしねえよ」
「俺が気にすんだけど」
善は、はは、と笑うと、お菓子やらジュースやらの入ったレジ袋を俺に押し付け、部屋に入ってくる。
「何これ」
「大我にやろうと思って買ってきた」
「スパダリじゃん! いいよ、ゆっくりしてけよ」
「おー」
善は読みかけの漫画に手を伸ばしながら言った。
「今日飲み行くの、日にちずらしていいか?」
「いいよー。なに、急用でもできた?」
「ねじ込んだ」
「ねじ……いや、あなたおバカなの? ドタキャンすんならせめて不可抗力感を醸し出すんだよ」
「だからごめんっつってんだろ」
「言ってねえのよ1回も」
善は子供か? ってくらい無防備に笑うので、俺みたいなやつは、まあ仕方ねえか、となるわけで。
善が、彼女のわがままを聞いてではなく自ら予定をねじ込んでリスケするなんて珍しいので、それを伝えれば、善は淡々と「いとに会う」と言った。
反応が5テンポぐらい遅れた。
「え、いと? いとに会うの? よかったね!?」
「なんか知んねえけど、愛ちゃんと一緒にうち来たから、飯行こうっつった」
「すげえじゃん!」
「LINE聞いた」
「すげえじゃん!!」
「飯どこ行けばいい?」
「どこ行けばいいんだろうなあ!!」
顔を両手で覆うという、乙女顔負けな有様で叫べば、善は「うるせえ」と笑う。
「でもまじすげえじゃん。よかったなあ」
「うん」
「うん!」
「多分いと、全然変わってねえわ」
「うん! よかったなあ!」
善は綺麗な顔に微笑を浮かべて、そうして少し遠くを見た。
「──…もうヘマできねえな」
ヘマ?
「俺、わかってねえから。いとがなんで連絡先消したか。だから、何したらまたおんなじこと起こんのかわかんねえ。ちょっとびびってる」
善は目を伏せ「だせえ」と口角を曲げる。
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