第40話

そんなどこか掴めない善が人間らしくなるのが、「いと」が絡んだときだった。



例えば、大学2年の春休み。


まだ善が茉莉花ちゃんと付き合っていたころだ。百貨店の喫煙所で煙草を咥えてスマホを触っていた善は、「は?」と低い声で呟いた。



「どうした。茉莉花ちゃんから? 買いもん終わったって?」

「消しやがった」

「何を?」

「LINE」

「誰が?」



善は「いと」と言いながら、どこかに電話をかける。



「伊藤? 伊藤ってバドの? ダンスの? あ、法学部のあの美人?」

「いとだって」

「誰だよ」

「こっちも死んでる。意味わかんねえんだけど」

「電話番号も変わってんの? え、何? 誰?」

「友達」



善は珍しくも綺麗な顔を無遠慮に歪めて、ひどく苛立った様子で煙草をもみ消して、誰かにメッセージを送り始めた。



「機種変しただけじゃねえの? そのうち連絡先変えましたーっつって連絡してくるよ」

「いや、そんな信頼できるやつではねえわ、いとは。昔から何しでかすかわかんねえとこあんだよ」

「よくお友達でしたね?」

「くそ、だから嫌だったんだよな、大学離れんの」

「そんな保護者的な立ち位置なの? お前」



善は腹の底からため息を吐き出す。それは目を疑うほど珍しい表情だった。


そのうち、茉莉花ちゃんと俺の彼女がそろって喫煙所まで迎えにくる。そのことを伝えれば、善は生返事をするだけでスマホから顔を上げない。



「おい善、茉莉花ちゃん待たすとまた機嫌損ねんぞ」



善の腕を引っ張って喫煙所を出れば、茉莉花ちゃんは大層ご機嫌に善の腕に抱きついた。



「ねえ、善、すごいいい感じの香水あったんだけど、一緒に使わない?」

「いいよ」

「やった! あとさ、」



善に甘えるように可愛く上目遣いをしていた茉莉花ちゃんだったが、善が生返事ばかりするからむっとする。



「ねえ、善、何してるの? スマホ見るのやめてよ」

「無理」

「え?」

「ちょっと電話してくる」



善は一切茉莉花ちゃんの方を見ずに離れていった。


茉莉花ちゃんには、俺がわかる範囲で説明したり宥めたりした。しばらくすると善は戻ってきて「悪いけど帰るわ」と気もそぞろな様子で手を挙げた。茉莉花ちゃんは駆け寄って善の服を引っ張る。



「なんで? どこ行くの?」

「花乃んとこ」

「は? 女?? なんで? 私といるのにおかしくない?」

「いとと連絡つかねえんだよ」

「そんなの、そのうちつくでしょ」

「……帰る」

「やだって! 善!」



善は、服を引っ張る茉莉花ちゃんの手を払うような仕草で離させた。



「帰るっつってる」



対茉莉花ちゃんに限らない。誰かを容赦のなく低い声で跳ね除ける善を見たのは、これが初めてだった。




   

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