第15話
梶くんは、私の初めての彼氏だった。十中八九、最後の彼氏でもあるのだろうな。
一時的に、という前置きがつくが、梶くんは私にとって救世主だった。
私の姉は、顔が整っていて、天真爛漫で、スタイルがよくて、誰にでも優しい、女神という概念を具現化したみたいな人だ。「可愛い」は姉の言葉。姉だけの言葉。異論はない。だって可愛いのは姉なんだから。
昔からそうだった。血の繋がった妹だからと期待されては裏切ってきた。
そんな私に春がきた。高校生のとき、他クラスの同級生の梶くんが「好きだ」と言ってくれた。
もちろん驚いたけど、とても信じられなかったけれど、「この人は私でもいいのか」という嬉しさが勝ってしまった。
「──よろしくお願いします」
いの一番に善くんに「彼氏ができた」と報告した。善くんは「よかったな」と笑って祝福してくれた。
男の人というものの基準が善くんでできている私は、善くんが彼女を想うみたいに想われるのだと思い込んでいたし、私も善くんが彼女にそうするみたいに大事にしよう、と決意した。
好きの言葉をくれた梶くんに私は安心した。あるいは、信頼した、と言うべきか。目を見て話したり、たくさん笑ったり、たまに甘えたりした。
私も梶くんの目を通せば女の子になれると思った。梶くんの目を通せば女として価値のある存在になれた気がした。
普通の人ならわかる。私は一目惚れされるような顔じゃない。ろくに話したこともない人に告白されるような、何かに秀でている人でもない。
でも、わからなかった。私はとてつもないバカだった。
梶くんは私の顔なんか見ないし、私と外でデートなんかしない。楽しそうに笑うこともない。普通の人ならわかる。でも、わからなかった。
だって、善くんは好きな子としか恋愛をしない。
梶くんは手が早かった。すぐに押し倒そうとした。制服の裾から手を突っ込んで、裸にしようとした。気持ちが追いつかなくて拒むと、何度目のことだったか、梶くんはひどく苛立ったような顔で言った。
「なあ、まじいい加減にしてよ。お前ブスなのになんで付き合えてると思ってんの?」
ああ、そうだった。
「ブス」は私の言葉だった。
梶くんにはその日のうちにふられて、ふられた翌日には学年のみんなが私たちの破局を知っていた。
好奇心と軽蔑と嘲笑を混ぜ合わせて、ぐちゃぐちゃに固めて、それがいくつもの槍になって、私をめがけて飛んできた。逃げたくても逃げられなかった。
みんなの記憶から私という存在だけがきれいさっぱり消えてしまう。そんな空想ばかりを描いて、毎日、制服に袖を通した。
「こいつ、宮下とやったんだって」
ある日の放課後、廊下を歩いていたら、梶くんのクラスからなじみのある声が聞こえてきた。
「やめて。まじ黒歴史なんだけど」
「そもそもさ、なんでお前、宮下行ったの?」
「聞いてやるなよ。さっさと童貞捨てたかったんだろ。本命と初体験失敗したら立ち直れねえもんな」
「あ、そうなん? いや、でも、だからってそこ行くか? 宮下って、普通勃たねえだろ」
「まあね。顔とか見たら完全アウトだったわ」
賛同するように続いたげらげらという笑い声もくすくすという笑い声も、何もかも全部、どうやって跳ね除けたらいいかわからない。
恥ずかしい。そのとき感じた最も大きな気持ちはそれだった。恥ずかしくて、消えたくて、ああ、やっぱり私はバカだったんだ、なんて思いながら、踵を返そうとした。
そしたら、後ろに誰かが立っていた。
「いと、花乃が呼んでる」
善くんだった。
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