第9話


夏季休暇が終われば、何ということはない、善くんと再会する前の日常に戻る。


当たり前だが、あれ以降善くんから連絡はなく、私は日常の業務をこなしながら、気を抜けばむくむくと芽を出しそうな下心の滅殺に励んだ。



「早く他の人を好きにならないと……」



成人式を迎えた5年前から変わらない。私は、善くん以外の誰かに恋をしようと必死だった。


善くんじゃない人に恋をすれば、善くんの女友達に戻れるかもしれないというバカみたいに身勝手な幻想があった。



残念ながら私は可愛くない上に、ヘタレで口下手で要領が悪い。だから、合コンみたいな場はとても苦手なので、出会いの方法としてアプリを利用している。


アプリは危ないという話も聞くが、自分がどうこうされるような女だと思えないので、便利なツールとしか捉えられない。



9月の中ごろのこの日も、ベッドに寝転がってアプリを開いていた。善くんでない男の人かつ好きになれそうな男の人を探していると、メッセージアプリが音を立てた。



【今暇?】



慌てて起き上がった。


それは前触れもなく届いた善くんからのメッセージだった。



「善くんだ……」



やっぱり、善くんは悪い。何ということはないメッセージを送るだけで、簡単に心を動かしてしまうんだから。


成人式の後、善くん断ちをした私の判断は正しかったと思いながら「暇です」と返信する。すると、間をおかず、善くんから電話がかかってきた。



「電話だ…!」



あたふたと一通り暴れた後で、電話を取る。



「もしもし!」

『いや、うるさ』

「あ、ご、ごめんなさい……あの、いとです」

『はい、善です』



善くんは私を真似て名乗り、笑う。


その声が鼓膜のすぐそばでなって、耳元で囁かれているような錯覚に、下心が簡単に芽を出し、むくむくと大きくなっていくのを感じた。



「(善くんが悪い)」



理不尽な怒りに唇を噛む。



「……何かありましたか?」

『いとの連絡先が生きてるか確認』

「え、だ、大丈夫だよ、もうしない」

『まあ、別にいいんだけど。いとがその気なら俺もやることやるから』

「そ、その気はないって……」



善くんは電話の向こうで笑う。


ああ、笑ってる、可愛いなあ。こう思うのはセーフだろうか。



『なあ、同窓会すんだけど来る?』

「小学校の?」

『小中高の選りすぐり』

「……行かない」

『なんで?』



返答に窮した私に、見透かしたのか、善くんは言う。



『梶は来ねえよ』



梶くん。その名前を聞いて、私は同時に対照的な2つのことを思い出した。思い出したくなかったことと、私を救ってくれた善くんの横顔だ。


心が反対方向に引っ張られて忙しくて、気付けばへらへらと笑っている。



「梶くんに会いたくないとかじゃないよ。私、連絡先消してるから、よっちゃんとか花乃かのちゃんに殺されそうだな、と思って」

『骨くらい俺が拾ってやるから』

「それはもう手遅れじゃないですか……」

『まあ、来いよ。俺いんのに怖いもんねえだろ』



善くんは今も昔も、私にとってただ1人の王様だ。



『──…もっかい、いとに会いてえなあ』



ほんの少し切なそうにつぶやく、確信犯。


作戦だとわかっていながら、私は立ち上がった。



「行く!」

『言ったな? 絶対来いよ』

「い、行きます……」

『ちょっと怯んでんじゃねえよ』



善くんの無防備な笑い声に、体のどこか奥深くをくすぐられる。



『同窓会の前、どっか行くか?』

「え、あ、わ、私に言っていますか?」

『どこがいい? いとが決めていいよ』

「えっと……」

『まあ、テキトーに車で走るか。うち誰もいねえならうちでもいいし』

「ぜ、んくんのいえ、には、もう、行かない」



拒絶がカタコトになってしまった。すると、生まれながらに余裕というものの器が違う善くんは、大層強気に笑って、私の拒絶の意を受け流した。



『いと、この前の格好可愛かった。またああいうの着てきて』



「じゃあな」の言葉を残し、善くんは一方的に電話を切る。


私はしばらく呆然としていた。我に帰った5分後、枕に顔を埋め足をばたばたと動かして暴れ始める。


可愛かったって。可愛かったって。可愛かったって!



善くんは、深い意味はなく言ったとか、面白がって言ったとか、さもなくば全人類に向けている挨拶的な立ち位置の褒め言葉を口にしただけなのに、私はこんなにも……。



「……もう、善くん嫌いだ、、」



どきどきしすぎて泣くという奇行に走りながら、私は、どうせなら善くんのことを嫌いになりたい、と切に願った。



ただ、どうしようもなく単純な私である。ワンピースを探して店をさまよった。全店舗可愛い服だらけで、私にはとても決められなかったため、大学で会った友達の千代ちよに頼った。



「戦闘力の上がるワンピースを選んでください!」

「ねえよ」

「そこを何とか! お願い、ほんと、すごい人に会うので! すごい人に会うに相応しいワンピースを何とか1着! 何卒よろしくお願いします!」

「そんなことよりカラオケ行こうよ」

「そうだね!」



結局千代が一日中付き合ってくれて、もしかしたら似合うかもしれない1着を見つけてくれて、戦闘力を2くらい上げることに成功した。


2上げたところで蟻は蟻だけど、まあ、いいんだ。




    

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