第3話


「いとちゃん、ごめんね」



翌朝、姉は起きるなり私に抱きついた。



「また飲みすぎて迷惑かけちゃった。ごめんねいとちゃん、夜遅くに迎え来させてごめんね」

「いいよ。大丈夫。気にしないで」

「気にするよー。お礼とお詫びを兼ねて何かお姉ちゃんがプレゼントする!」

「いい、いい。いらない。大丈夫」

「ううん、プレゼントする!」



姉は決まりごとのように笑う。


笑うととても可愛いところ。底抜けに明るいところ。適度に自己主張ができるところ。甘え上手なところ。姉の羨ましいところを探しながら、私も笑う。



「じゃあお言葉に甘えようかな」

「うんうん! 準備して出かけよう」



私の笑顔と姉の笑顔はやっぱり違う気がする。私の笑顔は作り笑顔だから、いびつで価値がないもののように感じるんだろうか。



姉は涼しげなワンピースを着て出かけることにしたらしい。腕や首元の露出はいやらしくなく、けれど肌の白さが際立って、同性ながら目を奪われる。


姉は私を見てむっとした。



「いとちゃん、また眼鏡」

「目が悪いんだって。外したら何も見えないよ」

「コンタクトにしたらいいのに」



縁の大きな眼鏡。黒のトップスにスラックス。私はこういう格好がとても落ち着く。かわいらしい格好は、ましてや姉のような服装となると余計に、私にはきっと生まれ変わっても似合わない。


姉は助手席に乗るとすぐに言った。


 

「ねえ、ショッピング行く前に一軒寄ってもいい?」

「どこ行くの?」

「善の家」



善と聞き、昨晩の綺麗な顔を思い出す。



「私、迷惑かけたでしょ? ケーキでも持ってお詫びに伺おうかなと」

「そうだね。たしかに、助けてくれたしお礼はした方がいいかも」

「そうだよねー。記憶がちょっと残ってる分には、すごく迷惑をかけたみたいなんだよ」



姉は顔を覆ってため息を吐いた。



「じゃあまずはケーキ屋さんに行けばいい?」

「うん! 善って甘いものが好きだったよね?」

「うーん、どうなのかな。子供のときはそうだったかもしれないけど、今はわからないな」



私は苦笑しながら車を発進させた。



「いとはもう善と関わりないの?」

「ないよ。成人式以来会ってない」

「そっかー。寂しいね」

「寂しくはないかな。元々仲良くなかったし」

「うそー」



姉はからかうように笑う。



「昔何度か家に来てたよね、善。私、2人は絶対付き合ってるんだと思ってた」

「善くんが私と付き合うなんてあり得ないよ」



私が笑い飛ばせば、姉はもう突っ込んでこなかった。



善くんの実家に着く。


私は車で待っているつもりだったが、姉に懇願されて呆気なく折れた。緊張しているらしい姉を背中に庇うようにして、なぜか私が呼び鈴を押す。



「はーい」



対応してくれたのは綺麗な中年の女性だった。善くんのお母さんだ。善くんのお母さんは姉と私を見てぱっと顔を輝かせた。



「どちら様? もしかして善の彼女さん?!」

「あ、いえ、すみません、違うんですが、善くんにあの、少しお話? があって……」

「わかったわ。ちょっと待ってて」

「はい。すみません」



深々と礼をして女性を見送る。


背中に隠れていた姉はひょいと顔を覗かせた。



「おばさん、彼女が訪ねてきたって思われたのかな。嬉しそうにされたのに申し訳ないね」

「うん、申し訳ない」



姉とひそひそと話していれば、スウェットを着て存分に眠たそうにしている善くんが玄関にやってきた。


彼は私と姉を見て怪訝な顔をする。



「なに?」

「す、すみません、あの……」



姉に横目をやれば、姉は小さくなって真剣に首を横に振っている。戦線離脱らしい。まさかの事態に盛大に焦りながら、私は善くんを見上げ、作り笑顔を浮かべた。



「急にすみません。昨夜のお礼にまいりました」

「ああ……いいのに」

「いえ、ご迷惑をおかけしたので、ぜひ受け取ってください。こちらケーキなんですが、甘いものは食べられますか?」

「うん」

「ではよかったです。姉からです。お納めください」



頭を下げてケーキを差し出せば、「ありがとう」と男性らしい低く掠れた声が降ってくる。



善くんがケーキの袋に手を伸ばす。


指が長い。指が綺麗。骨張っている。血管が浮いている。がっしりしている。ああ、男の人の手だ。そんなことを思っていれば、その手は袋でなく私の手を掴んだ。大袈裟に肩が揺れる。



「いと、今からどっか行くの?」



姉が後ろで声なき悲鳴をあげている気がする。私の代わりにあげてくれたのかもしれない。



「……か、買い物に」

「何時に終わる?」

「何時……えっと……」

「まあ、いいや。今日の夜どっか食いいこ」



綺麗な人というのは、自己主張が得意なのかもしれない。決まりごとのように話すのが上手なのかもしれない。だって姉と善くんがそうだから。


私の意見は聞く気がないらしく、善くんは至極だるそうにしながらポケットからスマホを取り出す。



「連絡先教えて。LINEでいーから」


 

嫌だって言える人なんかいるのだろうか。


私は頷いて自分のスマホを取り出して、気がついたときにはもう連絡先を交換していて。



「また連絡する。じゃあ、わざわざどーも。愛ちゃんもありがと。ばいばい」



何が何だかわからないうちに、家を後にしていた。


車に乗ると、私と姉は顔を見合わせた。



「……え、何事?」

「…お姉ちゃんにはわからない」



姉は真っ赤な顔を両手で覆って、ため息を吐いた。



   

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