律side

第72話

諒ちゃんが変だ。


いや、変なんだけど、クッションを抱きしめていることが可愛くて、タオルを俺に渡したせいであらわになった無防備な肩や首筋にそそられて、今は全くお呼びでない熱を意識から離そうと試みる。



何とかして諒ちゃんから視線を外したとき、諒ちゃんはぼそっと呟いた。



「茅野は、ま、満足…?」



諒ちゃんの耳や首の赤色が、白い肌によく映える。


何の満足度を探っているのか、諒ちゃんが重要な部分を隠したことでかえってはっきりと確信させられた。



「――諒ちゃん、不満ある?」



そういうことを聞いた理由を探れば、彼女は黙ったまま首を横に振った。まあ、相当安心して「よかった」と息を吐く。



「茅野は、足りないとか、ないですか? ……私で、その…大丈夫?」



その色や震えた声が俺をどれだけ滾らせるのか、彼女は知らないらしい。



「大丈夫ではないかな。ずっと諒ちゃんがほしくなる」



こわばった諒ちゃんの肩が大きく揺れた。


恐る恐る顔を上げて晒された、彼女の紅潮した頬と俺を窺う目。一度、俺と場所を変わって諒ちゃん自身に見せてあげたい。



「何かあった?」

「……ううん」

「何があった?」



諒ちゃんは視線を泳がせて、最終的に俯いた。



「同じ会社の人が、彼女の胸が大きくない、なら、浮気に走るのも仕方ない……みたいなことを言ってて、茅野は平気かなって、思って」



それは、そいつが最低なだけじゃなくて?


自分の嗜好は浮気の免罪符にはならねえだろ。



そんなことを思うと同時に、自分の胸を隠す諒ちゃんが可愛くて、不安になったことを素直に口にした彼女が愛しくて。



「俺は、諒ちゃんだったら、あとは何でもいい」



キスを落としながら彼女の重心を後ろに崩せば、肘掛けにもたれかかって俺を見上げる、揺れた目。


諒ちゃんはわかってない。何もわかってない。


邪魔をする、彼女の腕の中のクッションを奪い、その辺に放り投げた。



「足りないとか、浮気とか、不本意だな」



俺はその声に、その反応に、その熱に、その色に、バカみたいに煽られているわけで、諒ちゃんが好きだから、諒ちゃんのすべてを欲して毎日のように体を求めているわけで。


買い被られても困る。俺のどこにも、諒ちゃん以外を入れる隙間はない。そんな余裕、俺にあるわけがない。



「諒ちゃんしかほしくないって、言わなかった?」



すると諒ちゃんは、申し訳なさそうに目を伏せた。



「……ごめん、私、その…、前に浮気されたことが、あって、全然、気付かなかったから、ちょっと、不安で……ごめんね、それは茅野じゃないのに」



拙くん紡がれた言葉が、鼓膜を揺らして脳に到達する。



「(……言った)」



諒ちゃん自身が過去の一部を明かしてくれたことが嬉しい、なんて、誤解を生む言い方になるけど。


諒ちゃんに手を伸ばす。彼女の頬に触れ、頬を包み、髪を撫で、ぎゅっと抱き寄せる。



「……それ、1年のとき付き合ってたやつ?」

「あ、うん」

「俺の仇敵だ」

「(……仇敵)」



自分をさらに追い詰めるなら、そいつは、諒ちゃんの初めての彼氏で、諒ちゃんの初めてをいくつも、いくつも奪ったやつだ。


諒ちゃんを何度も「大好き」とはにかませたり、甘えるところも乱れたところも全部知っていたり、そのくせその影で気移りして傷付けたことなんか特に、「仇敵」としか言い表すことができない。



俺に返せ、って意味わかんねえことを思うし、その経験を代われ、って真面目に考える。多分一生これは治らない。


「諒ちゃんの初めての彼氏」なんて響きだけでにやけそうになるもの、俺に全部代われよ。俺なら絶対、離さなかった。絶対、泣かせなかった。


初恋の相手を傷付けた自分は棚に上げて、思う。



「……諒ちゃん」



俺は諒ちゃんをぎゅっと抱きしめて、目を背けていたものを内側から抉るような、痛いのかどうかもわからない鈍くなったそこを開く。



「――…俺は、傷付ける方だった。泣かせる方だった。だから、諒ちゃんは絶対泣かせないって決めた」



何年も前、俺のせいで傷付いているというのに、俺は当時の彼女を手放さなかった。


好きだから、なんて、幼い正当化だ。



でも、俺はもう繰り返さない。諒ちゃんとふたり一緒に考える。



「だから、裏切らねえよ。約束する。裏切らない」



そんな俺に諒ちゃんは触れた。


いつからか震えなくなったその手が、いつまでも俺に伸ばされる、そんな永遠を願う。



    

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