手放したくない葛藤〈律side〉

第69話

例えば「晴れの日は一緒に出かけましょう」みたいな、雨なら「部屋で独り占めをしてもいいですか?」なんて。


そんな、取るに足りない日常が転がっているような、記憶から抜け落ちそうな毎日が続いていくような、不確かな永遠の、何歩目かの小さな始まりで。



理想はゼロじゃない。妥協が必要なことだって、きっとあるんだろう。


でも、結局は、彼女の笑顔が1番に欲しいもので、それを見失わず、終わりをずっと先に設定して「今」をいくつも重ねていけたら――。



始まりを迎えて描いた未来。


抱えきれないほどたくさんの、小さな幸せを願おう。




朝を知らせるアラームに意識が浮上する。目を閉じたまま音源に手を伸ばし、それを止めると、眠りへともう一度逃げるように寝返りを打った。


起きねえとと思いながら枕に顔を埋める。意思に反して二度寝しそうになった、そのとき、ふいに近くで何かが身動きする気配――。重い瞼を持ち上げる。薄くぼんやり開いた視界に、あどけない寝顔を捉えた。


無抵抗に覚醒を迎えるしかない。



すやすやと寝息を立てる、無防備な寝顔。


それに見惚れる、性懲りもなくやられる、一体何度目の朝になるのか。



「(……可愛すぎねえの?)」



もはやなす術もなく手を伸ばした。


柔らかな頬に触れ、柔らかな髪を耳にかけ、布団から覗く華奢な肩に昨夜の情事を思えば、綺麗な素肌を撫でたくなって、どこかで止める自信もなく俺は彼女から手を離した。



朝。それも、出勤の準備をしなくてはいけない早朝。


体を起こすこともせず、彼女を見つめる。



心地よさそうに眠る彼女を眺めるだけで、安心したような無防備さを目の当たりにするだけで、俺はどうしようもなく朝を好きになれるらしい。



しばらくしてからだ、彼女が目を覚ましたのは。それまでに、時計の針は90度回っていたが、そんなものはこの際どうでもいい。


諒ちゃんは、ぼんやりと目を開いた。眠たそうにゆっくり、2、3回瞬きをする。寝惚けたまま黒目を少し上げると、俺に見られていることに気付いた。諒ちゃんは恥ずかしそうに笑いながら、顔を両手で覆う。



「おはよう」

「……はよ」

「早いですね」

「そうですか?」



布団に隠れようとした諒ちゃんに、俺は言う。



「相当可愛かったですよ」



諒ちゃんは一瞬固まって、「やめてください」と、布団に顔を埋めるだけでなくそのまま背中を向けてしまった。


それでも覗く耳の温度は決して低くはない。



「(……照れてる)」



朝からこんなに可愛いとかどうなの? これがこの先ずっと続いていくとか、俺どうなんの?


俺はそのうちどうにかなってしまうのだろう。確信に近いものを抱きながら、後ろから諒ちゃんを抱きしめる。他には誰もいない寝室で朝からぎゅっと隙間なく。



いっそ抱き潰したいと思い、一生離れたくないと思う。でも、物理的に無理だから、1番彼女に近付けるところに行きたいと欲情するが、何せ時間と諒ちゃんの体力が足りない。



「――…早く60とか70になんねえかな」

「……年?」

「うん」

「なんで?」

「縛り、減るじゃないですか。好きなだけ諒ちゃんにくっついてられる」



仕事に行く時間も気にせず、抱きしめていられる。ずっと離れなくてもそんなに問題はない。


偏った願望を口にした俺に、諒ちゃんは小さく笑った。



「それは、茅野、おばあちゃんになっても一緒ってこと?」

「一緒じゃねえの?」



諒ちゃんは俺の手にそっと触れた。


その触れ方はいつもくすぐったくて、妙に煽られるものがある。



   

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