第28話
亜美は小さく会釈したあと、すぐに体の向きを変えて私の後ろに隠れた。
「諒ちゃん、知り合い?」
「あ、うん」
「すごいかっこいい人たちだね」
その言葉が聞こえたのか、昌くんと茅野は少し笑った。
さらに小さくなって「初めまして」と言う亜美に、2人も同じ言葉を返した。
「あ……おふたりは、諒ちゃんの友達、ですか?」
「まあ、そんな感じですね」
「そうなんですか。私はその、諒ちゃんの中学からの友達で……」
私は、意味なんかないけれど、茅野を見上げてしまっていて、亜美に向けた優しい笑顔に、まあそうだろうなあ、と現実を思い知らされる。
人見知りの亜美が一生懸命話す声に、2人は微笑ましそうに耳を傾けている。私はその空気を崩さないように合わせて笑うことだけに集中した。
しばらくして、亜美が「またね」と手を振って離れていくのをみんなで見送ったあと、私は2人に会釈をして踵を返した。
「諒ちゃん、」
そんな私の腕を引いて、茅野は何か言いたげに私を見つめる。
私は笑顔を浮かべてみたが、亜美に向けられた目との違いを知りたくなくて、急いで目を逸らした。
「ごめん、仕事だから」
茅野は私の腕を離す。
そう望んだのに、今度は自由になった腕が怖い。
離された腕を見下ろして、恐々と、茅野の靴の先からネクタイへと目で辿ってみたが、漠然と泣きそうなだけで言葉は何も出てこないし、顔を見ることもできない。
顎を引くとすぐに背中を向けた。
茅野と崇は、違う。
茅野との関係と崇との関係も違うのだから、不安を抱く状況じゃない。そもそも不安だと嘆く資格もない。
わかってるよ、そんなこと。
その日の夜。時間が押した分、残業が長引いて、会社を出るのがいつもより遅くなった。エレベーターを降りて、ロビーを突っ切って、自動ドアを抜け、駅に向かって足を踏み出す。
それも、会社の前で駐車中の車にもたれる人影が目に入れば、自ずと立ち止まっている。
「お疲れ」
「……お疲れさま」
そこにいたのは茅野だった。
泣きたくなる前に茅野から目を逸らす。
「諒ちゃん、このあと何か予定ある?」
首を横に振る。
「よかった。じゃあ乗って」
茅野は運転席に乗り込んだ。
戸惑いは消えないまま助手席に乗る。
茅野は、少しの沈黙のあと、静かに口を開いた。
「あの、夕方のことだけど」
夕方のこと。夕方、亜美と出会ったこと。
会社の前で私を待ってまで、話したかったこと。
「うん、何?」
「いや、まあ、気になっただけなんだけど」
気になった。
何が? やっぱり、茅野も亜美が……?
沈黙からこわばりや不安がバレてしまいそうで、私は慌てて平然を装う。
「何が気になったの?」
すると茅野は、私の横顔を探るような目つきで見つめた。
「諒ちゃんが気になって」
この流れで、「気になって」の前に私の名前が入るなんて思わなかった。
「諒ちゃん、変だったから。何つーか、泣きそうに見えた。だから、大丈夫かなって」
目が泳ぐ。
驚いて。衝撃的で。苦しくて。目が泳ぐ。
右へ左へと小さく揺れる視界が、次第に歪んでいく。視界の端が滲んだと気付くや否や私は茅野から顔を背けた。
「心配してくれたのか。ありがとう。でも、泣きそうじゃないよ。本当に違う。全然大丈夫だから、ごめん、ありがとう」
言葉とは裏腹にぼやけた視界は止まらなくて、私はひたすら俯いて、夜でよかった、と安堵する。
「ん、わかった」
すると、私の髪に何かが触れた。宥めるように撫でるそれが茅野の手だとわかると、私は隠すことも忘れて顔を上げている。
茅野は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに口角を上げて薄い笑みを見せた。
「嘘ばっか」
頭を撫でていた手を頬に動かし、涙を拭うようにそこを撫でる。
私は余計、止まらなくて。
黙ったままただぼろぼろと泣く私に、茅野は笑う。頭を撫で、ぐいっと引き寄せて、茅野の肩を濡らすことを許す。
「(…好き)」
茅野は暖かくて、茅野の手は優しくて。
「(好きなんだよ……)」
また知った、臆病なくせに贅沢な自分を。
私はひどく、醜いと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます