不埒な泥濘
第24話
茅野は優しい。
そんなの前から知っていた。
茅野はみんなに優しくて、男女問わずモテて、軽いけど本命の子には本気すぎて近付けない。
そんなことも、わかっている。
茅野の言う「好き」の言葉に深い意味なんてない。「可愛い」なんて、きっとみんなに同じような声で囁いている。触れた温度にも、なくなった距離にも、錯覚するような甘さにも、特別などどこにもない。
わかっている。
いや、わかっていなかったのか。
勘違いしないように言い聞かせながら、その裏で、小さな期待でも育てていたのかもしれない。
その日私は居酒屋で、同僚との女子会に参加していた。
のろけから愚痴まで、話したいままに口を開く時間。私はほとんど聞き役だったが、すごく楽しくて、たくさん笑った。
しばらくして私は、お酒に弱い後輩の酔いざましに付き添って、後輩と店の外に出た。そこで夜風に当たりながらぼーっとしていた。
「──ねえ律、聞いてるの?」
「聞いてるよ」
「律」の名前とそう呼ばれた人の声に、私の意識はクリアになる。
顔を上げて、可愛い女の子とその隣にある笑顔を見て、ああ、と思った。
律と呼ばれたのは茅野だった。茅野とその子はどこかへ行くようだ。私に気付くこともなく、前を通り過ぎていく。
「じゃあ答えてよ」
「んー?」
「律、私のこと好きじゃないの?」
「んー好きだよ」
「ならなんで…」
女の子の腕は茅野に絡んでいて、茅野はその隣で笑っていて、2人は同じ場所を目指して夜の街を歩いていく。
「(…ほら)」
茅野は好きかと聞かれたら「好き」って答える。
その呼応を、茅野は簡単に行う。
「(…わかってた)」
大学のときからそうだった。茅野の「好き」は愛嬌みたいなもので、出し惜しみしないサービスみたいなもの。
だから、痛い、なんて、そんなのおかしい。
その数日後。
恒例の大学の仲間内での飲み会で、いつものように盛り上がる中、茉央の隣で楽しくお酒を飲んでいた。
「そういえば諒、どうだった?」
「何が?」
「茅野」
茉央はふいにその名前を挙げた。
若干固まったものの、すぐにごまかそうと「茅野?」と笑ってみる。茉央はにやっと悪い顔で笑う。
「ごめん諒ちゃん、聞いちゃだめだった?」
「…何が?」
「いやー、この前抜けてから気になってて。風邪引いた茅野のところに頑張って行って、そのあとどうなったのかな、って」
茉央はわざわざ「頑張って」を強調する。
目を逸らして「特には…」と呟くが、茉央は完全に面白がった様子で「顔赤いけどなー」と笑う。私はさらにうなだれ「違う」と否定した。
「ごめんごめん、でも気になってたのは本当だから。諒、頑張れたかなって」
一体茉央は、何をどこまで把握しているのだろう。
少なくとも、私の気持ちは完全に見透かされている気がする。
「……うん、頑張れた」
「そっかそっか」
「ありがとう」
「どういたしまして。頑張れって言っただけだけど」
このとき無性に口を開きたくなった。
大学生のころから茅野に惹かれていたこと。それをようやく言葉にできたこと。そうしたら同じ言葉が返ってきたこと。すごく嬉しかったこと。
でも、やめた。一度口を開いたら最後、弱音まで吐き出してしまいそうだったから。
例えば、茅野が本当に好きな人のこととか、唇だけは重ねないこととか、そんな弱音。
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