第21話

茅野は「日本料理の店行こうか」と缶を傾けると、ドリンクホルダーに置き、ギアに手をやった。


茅野がギアを変える前に手を伸ばして、茅野の左手の甲に指先で触れた。



「……ちょっとだけ、ごめん」



好きなせいだろう、触れたいと思うのは。


茅野への想いのせいだろう、触れるのが怖いのは。



嫌がらないで、と縋るように指を滑らせて、手の甲を包むように手のひらを重ねた。



茅野は何も言わない。でもそれは、決して受容ではない。


早く離さないと迷惑になるだろう。触れたいとか好きだとかいう感情はすべて、茅野にはないのだろう。



「ごめん」



手を離そうとした。その動作より少し早く、茅野は自分の手を抜いた。遅かったみたいだ。慌てて手を膝の上に戻す。


恥と後悔に俯く私に、茅野の声が届く。



「諒ちゃん、結構俺、我慢してんの」



茅野は私の頭を撫でた。



「もうちょっと我慢させて」



見上げれば、茅野は困ったように笑っている。



「(…我慢、)」



私は、一体どんな表情をしているのか。どんな色を晒しているのか。ただ間違いないことは変な顔をしているということだけ。


変な顔を見せられるわけもなく、ただ俯く。



茅野は少し笑うと左手を離し、車を発進させた。


車は国道に出て、窓に映る景色は緩やかに流れ始める。熱よ冷めろと願って景色を眺めていれば、ふと茅野に呼ばれる。



「諒ちゃん、手」



振り向けば、茅野はまっすぐ前を見ながら左手を差し出している。



「(手…?)」



私は怖々と、そこに指先を乗せた。


すると茅野は横目に私を見て、機嫌がよさそうに口角を持ち上げながら、ぎゅっとその手を握りしめた。



「……邪魔じゃない?」

「全然」



また募った。


騒がしく音を立てる心臓は声を上げるようだ。



好きだと言えば、茅野はどんな顔をするだろう。


以前みたいに、好きだと言ってくれるだろうか。それとも、LINEみたいにかわすのだろうか。



慣れた様子で運転する茅野の、涼しそうな横顔。


贅沢な私は茅野の熱を奪うように手を握りながら、本命とかいいな、と不相応な立場を羨む。茅野の中心を奪う、余裕を奪う、涼しい顔を崩す、見知らぬ人を妬む。



茅野が連れてきてくれたお店は、足が竦む一歩手前くらいの高級感溢れる造りだった。趣があって敷居が高い、でもおしゃれで惹かれる、そんな隠れ家のようなお店だ。


言わずとも料理はすべて美味しくて、車じゃなかったら日本酒もいただきたい、と思ったことだろう。「美味しい」とつい呟くたびに向けられる笑顔に、どうしようもなく酔いたくなった。



お店を出れば真っ暗で、気配はすっかり夜に染まっていた。


車の中で、奢ってくれた茅野に「ごちそうさまでした」と深々とお礼を言えば、茅野が「また来ような」と笑って、私は目を輝かせて頷いた。



そのあとはどちらともなく、口を閉ざす。



私が黙ったのは、次は、と考えてしまったから。


まったりドライブをして、美味しいご飯もいただいた。茅野は運転があるから、お酒を飲みに2軒目に行くとはあまり考えられない。じゃあ次は……?


このまま帰るのは、嫌だな。寂しいな。


私の沈黙は、それだった。



茅野は、何を考えているのだろう。


泊まりでと誘われたものの、どこに泊まるのか私は知らない。どちらかの家だろうか。ホテルだろうか。茅野の横顔はやや難しそうに窺える。今日のドライブデートでその気がなくなって、帰路の検討をしていたり、私にどう切り出そうかと検討していたりするのかもしれない。



「(それは嫌だ……)」



スカートの裾を握った。



お泊まりだと誘われた。私はあのときから浮かれている。嬉しいの、茅野に触れてもらえることが。茅野が、そういう目で見てくれることが。


こんなことを言ってもいいのだろうか。女から、というか、元カレの評価が散々だった私から、言ってもいいのだろうか。



「か、茅野…」

「ん?」



茅野は困るだろうか。


そういう目で見えない、と断るだろうか。



私は、爪を立てる強さで裾を握りしめ、ぎゅっと目を閉じた。



「……帰りたくない、な」



手や声は震えるようで、気を抜けば泣きそうだ。


車内に落ちた沈黙に、それらは煽られていく。



困っただろうか。俯いて、堪えようと唇を噛む。


そのとき、茅野の手が私の拳に重なった。



「――…帰さねえよ」



運転する茅野の横顔は、変わらず涼しいのに。


茅野の纏う空気が変わった気がした。



     

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