第16話

シャワーを浴びて戻ってくれば、寝転がってスマホを触っていた茅野は「すっぴんだ」と笑った。「すっぴんだよ」と返しながら、私は椅子に座る。



「諒ちゃん、昌がありがとうって」

「昌くんが?」

「うん。今日来てくれて」

「ああ、いやいやこちらこそ。結局お金払わずだ。茅野渡しておいてくれない?」

「いいよ、俺らが持つから」

「嫌だ。春香と違って、私はごちそうになる理由が……」

「まじでいいって。プライド的に金払いたい男ばっかだから。奢らせてよ」



強情で面倒臭い私は、ただ頷くのは嫌だった。



「じゃあお言葉に甘えて、今回はごちそうになります。ありがとう。次はどさくさに紛れて払うね」



すると茅野は眉を寄せる。



「もうだめ。次とかねえよ」

「……確かにまあ、会う機会もないかもしれないけど」

「ないよ」

「えー……じゃあ、茅野にお礼する。何かない?」



しばらく考えて、茅野はにやっと笑った。



「ミニスカ履いてほしい」

「……」

「…嘘です」



茅野はバツが悪そうに目を逸らす。



「……飯、食いたい」

「ご飯? ルームサービス頼む……と高いか。買って来るよ。何が、」

「じゃなくて、」



茅野は苦笑しながら遮ると、



「今度、作りに来て」

「……私?」

「うん、諒ちゃん」



茅野は私を見つめた。


見つめ返せず、目を逸らして、くすぐったくてにやけそうになる唇を噛んだ。



「何が好きなの?」

「何でも好き」

「……何が嫌い?」

「何も嫌いじゃない」

「なんで嘘吐くの? 野菜ほとんど嫌いでしょ」

「バレてる」



茅野は無邪気に笑った。



「別に食おうと思えば食えるから」

「そうなんだ。じゃあメイン野菜でいいか」

「え?」

「え?」

「いや、まあ、……あの、ピーマン以外なら、全然……」



小さな強がりと口ごもる様子が子どもみたいで、おかしい。



想いがバレたくないのは、1番に、失うのが怖いから。


失いたくないのは、きっとこんな時間。取るに足りない些細な時間。



茅野はシャワーを浴びに行った。私は椅子の上で膝を抱えて座って待つことにした。



「(……ご飯、)」



小さく笑いながら自分の指を見下ろせば、そこに残っている自分の噛み痕に、隅に追いやろうとしたさっきの情事が思い起こされた。どこかが痛い気がして、目を閉じる。


そのまま眠ってしまったようだ。



それは夢とも呼べない曖昧なところ。


私は茅野といて、茅野は笑っていて、でも、茅野はどんどん遠のいて、遠のいて――私の手を払って、顔をしかめて、低い声で言った。



「そういう目で見えない」



背中を向けた茅野は女性の隣に並ぶ。


その女性は、元カレと結婚した亜美だった。



「(茅野と亜美は、まだ……)」



他人だよ。


夢が端から壊れていって、瞼を持ち上げる。目の前に茅野がいて、心臓が大きく跳ねた。茅野は水を滴らせながら「起きた?」と笑った。



「そこで寝るなよ、体痛くなる」



かさついた男の指で、私の頬を摘む。


茅野はタオルで雑に髪を拭きながらベッドに向かった。私はバレないように、茅野が触れた頬に手を伸ばして、まだ触れてくれた、と顔を俯かせた。



「──俺が言えたことじゃねえんだけど、」



ベッドに腰かけ、タオルを頭にかぶせて、茅野はどうでもいい話をする要領で私を現実に戻すのだ。



「諒ちゃん、簡単に男について行かねえ方がいいよ」



瞬きが止まる。



「そういうときは俺呼んで」

「……そういうときって?」

「寂しいときとか、やなことあったときとか、流されてもいいなってときとか」



違う、全然違う。


そんな曖昧なものなんかじゃない。



「(私は茅野が……)」



茅野だから、茅野だったから、私は──…。



利用した。茅野の単なる気分を、茅野が好きだから利用したんだ。


私は、茅野が思っているよりずっと、狡猾だ。



日ごとに黒く塗りつぶされていくものが、また一つ汚れた気がした。


私の気持ちは、もうどこも綺麗じゃない。



    

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