第15話

飲み会が無事に終わり、茅野と二人、夜道を歩く。


夜風が心地よくて、頬を撫でるそれは不相応な熱を奪っていく。



ひどい浮遊感に侵されて背中を追っているだけで、どこまでついて行けばいいのか未だにわからずにいる。


何度目だろうか、茅野の背中を見上げて地面に落とした。



でも、地面を見ていれば、茅野とはぐれるんじゃないかと不安になる。茅野との帰り道が気付いたら途絶えているんじゃないかと怖くなる。


すると、私は用もないのに茅野の名前を呼んでいる。



「茅野、」

「んー」



茅野は振り返らないが、返事をして、その程度で帰り道はまだ重なっていると、都合のいい解釈をする。


何か用事を探して、探して、当たり障りのない話題に手を伸ばした。



「みんな、楽しい人たちだったね」

「……そうか?」

「うん。元気がよかった」

「けど暴走してたろ。あいつらが酒飲むとろくなことねえ」



そう言って笑った茅野は今、眉を寄せた笑顔ではないんだろうという気がして、私は勝手に嬉しくなる。



「諒ちゃんは楽しかった?」

「楽しかったよ」

「じゃあ、よかった」



茅野は目の前にいる。


その背中は近くはない。



「また春香ちゃんにごめんって言っといて」

「ごめん? なんで?」

「部屋入る前、怖いとこ見せたから」



手を伸ばして、背中に触れて…。


そんな妄想をしては、勇気のない、臆病な自分を知る。



「……怖く、なかったけど」



むしろ……と喉の奥から出ていきそうな言葉は飲み込み、ただ「わかった」と頷く。



「あと、諒ちゃんもごめん」

「なんで?」

「嘘吐かせて」



生暖かな浮遊感の終わり。



「彼氏いるのにあんな嘘吐かせて、ごめんな」



なんで茅野が謝るの?


茅野は私のために嘘を吐いてくれただけなのに、どうして謝るの?



「謝るのは、友達を騙させた私の方だよ。けどその前に、ありがとう。嘘を吐いてくれてありがとう。本当にごめんなさい」



茅野はようやく後ろを振り返って、とても無防備に笑った。



「んなのは全然、いいんだよ」



茅野はすぐにまた背中を向けようとする。


私は思わず茅野を呼び止めていた。茅野が「ん?」と眉を上げてから、また何らかの用件を探さないといけないことに気付く。早く何か。何でもいいから何か――。焦る頭ははたと、少し前から言い忘れていたことを思い出した。



「ごめん、私、彼氏いないんだ」

「――…え?」

「言い忘れてた。飲み会のとき裕也くんに言ったのは、嘘、です。友達に嘘を吐いて、ごめんなさい」



頭を下げる。


訪れた沈黙に恐々と頭の位置を戻しながら、飲み会から何日経ってるんだ、とか、友達に嘘を吐くなんて、とか、想定される茅野の怒りにぎゅっと手を握った。



「……そっか」



怒っている様子はなかった。茅野は噛みしめるようにして呟いた。


茅野が一歩、二歩と近付いて来る。



「俺てっきり……」



腕を掴み、腕を引っ張り、途端に距離を詰める。


半歩寄れば茅野の心音を聞くことのできる近さで、私の目を見つめる。



「諒ちゃん、困る?」



茅野はわずかにも瞳を動かさない。



「帰んないでって言ったら、困る?」



茅野の首には痕があって、茅野が触れるたびに「本命じゃないよ」と念を押されているとわかっていながら、まだ触れてくれるのかと嬉しくなって。


いや、私はただ、甘い錯覚に惑わされたくて――。




それ目的でないホテルに入ると、後ろから抱きしめられる。その腕に触れたいと伸ばした手は、茅野の舌を首に感じたことで、声を殺すために慌てて自分の口を塞ぐ。


茅野は耳を舐めながら、その手に触れた。



「……声聞きたい」



弱く首を振れば、茅野はすぐに「そっか」と手を離した。


立ったまま攻め立てると、脱力した私を抱き上げてベッドに向かっていく。思わず茅野の首に抱きつけば、茅野は少し笑った――ような気がした。



私をベッドに下ろして組み敷いた茅野は、やはり錯覚を生む目をしていた。瞳の奥にあるものは、単なる欲に浮かされた熱だ。何度もそう言い聞かせ、茅野から目を逸らす。


指を噛んで、シーツを掴んで、



「(途中で嫌にならないのかな…)」



顔を背けて、目を閉じる。



「(……茅野の顔、嫌そうだったりして)」



与えられる刺激に、びくっと腰が跳ねた。



「(こんな顔は見せられないし)」



それでも不安が勝って窺えば、茅野は汚れた自分の指を舐めとっていた。その姿があまりに妖艶で、見惚れてしまう。


私の視線に気付いた茅野は目を細めた。それだけのことで、背筋に弱く電気が走って、ぱっと顔を背ける。



隠さないと。


自分がどんな顔をしているかくらいわかるから。



茅野は私の頭を撫でると、そこにキスを落としながら「後ろ向かせていい?」と言った。


抗わずにそうして、背後に茅野を感じながら、これならどんな顔をしていても茅野にはバレないな、と思って、でもセフレみたいだ、と思った自分を嘲った。



みたい、じゃなくて、もはやそれなのだろう。


歯を食い縛って殺したのは、喘ぐ声だけじゃない。



     

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