愚かに惑う
第13話
それから2週間ほど経った日の夜。
帰る時間が重なった春香と一緒に会社を出れば、会社まで昌くんが春香を迎えに来ていた。仲のよろしいことで、何よりだ。「じゃあ」と手を振って2人から離れようとする。
「あ、待って諒ちゃん」
昌くんは私を呼び止めた。
「今から飯食いに行って、春香を友達に紹介するんだけど、よかったら諒ちゃんもどう?」
「いや、そんな大事なところにお邪魔は……」
「え、呼んでもよかったの?! 諒! お願い、一緒に来てよ」
「いや、でも……」
「お願い! ついてきて!」
両手を合わせて拝む春香に、呆気なく負けた。
「緊張する」と私の腕に抱きつく春香を励ます昌くんの声を聞きながら、本当にいいのだろうか、誰だよってならないのだろうか、と悶々とする。
その葛藤は解決しないまま、到着してしまったらしい。何やら雰囲気のいいお店の前で足を止めて「ここ」と昌くんが言った瞬間、春香と私は揃って沈黙した。
可愛い。可愛らしいお店だ。
でも、すごく高級そうに見える。
「…え、私こんなすごいところで紹介されるの?」
「あの私、持ち合わせが……」
「何言ってんの。こっちが持つから」
1人落ち着いている昌くんはおかしそうにそう言って、店内へと足を進める。
「足震えてきた」と私の腕に抱きつく春香を「私もだから大丈夫」と励ましながらあとに続いた。
部屋にはもうみなさんお揃いらしく、昌くんは慣れた様子で店員さんに会釈し、部屋に向かって歩いていく。
そのうち、昌くんが「あそこだよ」と先を指さしながら振り返った。笑顔の昌くんはどこかに目を留め、ぴたっと固まった。その視線の先を追って後ろを向いた私は、奥まったところに見えた人影に目を見開いた。
壁にもたれる背の高い男性と、彼に体を擦り寄せる女性の影。
擦り寄る女性の腰に手を置いて笑うのは、茅野だった。
女性は茅野の首に腕をまわしていて、2人はすごく近い距離にいる。あまりにお似合いなせいで、私たちは見惚れてしまって動けずにいるが、茅野たちがこっちに気付く様子はない。
女性は何かを言って、茅野がそれに返事をすれば、女性は拗ねたように口を尖らせた。すると、茅野は女性の髪を耳にかけ、その手で首の後ろを撫でながら何か囁く。その言葉に女性は笑うと、茅野の首に細い指を伸ばしてそこを辿り、服で隠れないところに吸いついた。
春香は照れたように顔を背け、昌くんがそんな春香に目を移して微笑むそばで、私は仲良く笑う2人から目を逸らした。
話し声はろくに聞こえなかったが、女性が「バイバイ」という声は聞こえた。見送ろうとしたのだろうか。こっちに視線を向けた茅野は石像のように動かなくなった。
「おい、律! 何してんだよ!」
「こっちのせりふだよ。何見てんの?」
茅野はしゃがんで、疲れたように息を吐いた。
「おとなしく部屋にいろっつったろ」
「トイレくらい行かせろ」
「なんでそれでああなるんだよ」
「たまたま知り合いに会ったんだって。断ったんだからいいだろ」
茅野は面倒臭そうに髪をかき乱しながら立ち上がった。
昌くんを睨みながら近付いてくる。
「つーか何してんの?」
「何が?」
「だめだろ」
「だから何が?」
「あいつら結構飲んでるから連れてくな、つってんの」
「だから何がだよ」
昌くんは答えが何なのかをすでにわかっているかのような態度で笑う。
茅野は苛立ったように眉を寄せると、
「諒ちゃんだよ」
低い声で唸った。
私のことだとは予想外がすぎて、驚きのあまり「え?」と素っ頓狂な声が漏れた。そんな私に機嫌の悪そうな目を移して、茅野は「送るから帰ろ」と決定事項のように述べた。
昌くんは私の腕を引き、茅野から距離を取らせる。
「待て待て。諒ちゃんを連れて帰られるのは困る」
「は?」
「知らないやつらばっかじゃ、春香が不安だろ?」
「昌がいればいいだろ」
「さらに諒ちゃんにもいてほしい」
「……怒るよ?」
ぴりぴりとした空気。居心地が悪い。
何となく春香の方を見れば、春香はすごく不安そうな顔で私を見つめ返した。私は根拠もなく「大丈夫」と口パクで伝えると、2人に――ほとんどは茅野に向かって宣言する。
「あの、私行きます」
昌くんと春香は「本当!?」と嬉しそうな顔をして、対照的に茅野は不機嫌そうに眉を寄せた。
「茅野に迷惑はかけないようにするから」
茅野は何か言おうとして、けれども諦めたのか、無言で目を逸らした。
そんな茅野の肩に昌くんは手を置く。
「さすがのあいつらも仲間内の女には手出さねえよ」
茅野は不機嫌な顔のまま昌くんの手を払うと、私に視線を移す。
「諒ちゃん、いっぱい嘘吐いて」
「え?」
「俺の女っていう嘘いっぱい吐いて。話合わせるだけでいいから」
了解? と首を傾げる茅野。
私は頷いて、目を伏せた。
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