第9話

ホテルの扉を閉めると同時に茅野は腰を引き寄せ、焦らすようにそこに触れながら首筋に舌を這わせた。


そのまま耳を舐める茅野に、唇を噛みしめながら、



「(声、出そう…)」



溺れまいと足を踏ん張る。



中に入り、ベッドに押し倒して私を見下ろす茅野の目にも、特別だと錯覚しないように何度も言い聞かせる。


体に触れる手は優しくて、落とされるキスはまるで愛されているかのようで、どうしてものぼせてしまう私は必死に顔を背けた。



想いの溢れた顔を見せられるわけがなかった。


それがバレることは、あまりに怖すぎた。



茅野は容赦なく攻め立てる。そのせいだと言い訳させて、生理的なものだと逃げさせて、涙を堪えなくなったとき、茅野は優しく額にキスを落とすのだ。



「(……好きだ)」



顔を背け、指を噛んで声を殺し、シーツを掴んで耐える私に、茅野は何も言わない。


ただ頭を撫でて、優しく触れるだけだ。



彼氏にふられたときも、そばで笑わせてくれた。何も聞かず、何も言わず、でも、普通にしようとする私に気付いて、同じように接してくれた。



「(好き──…)」



気付くな。どうか、バレないで。


知られたら私は、茅野に敬遠されるのだろう。だって応えられない。茅野は、こんなものに。




事が済み、シャワーを浴びに行く。体を洗いながら鏡に映った自分が、わかりやすい顔をしていて、私は思わず苦笑する。


これではバレるのも時間の問題だ。



「(普通の顔、普通の顔……)」



頬を引っ張って下げたり、摘んでみたりしながら、私は隠し事に勤しんで、するとふと鏡の中の打算的な女と目が合った。



「したたかなやつ……」



ぼそっと呟けば、苦笑が漏れて。



「……本当、何してんだろ」



俯いて頭からシャワーを浴びる。


一線を踏み越えた想い諸共、水に流されろと願う。



計算と保身。まっすぐぶつかる勇気もないくせに、想われている疑似体験は求める。


そんな私の抱く気持ちは、ひどく汚れてるように思えた。



部屋に戻ると、ベッドに寝転がりながらスマホを触っていた茅野が顔を上げた。



「諒ちゃん、すっぴんじゃん」

「普段詐欺とか言わないでね」

「言うかよ。俺、女の子のすっぴん見んの好きだし」

「……へえ」

「なんか可愛いよな、照れた感じが」

「あー、そう」



じゃあ照れもせずに晒してる私はだめだな、と思って、可愛い女の子になら唇にキスするのかな、なんて、面倒臭いことを考えた。


本当に面倒臭い自分に嫌気がさし、俯く。



「昌さ、毎日ってくらい春香ちゃんの話してんの」



そう語る茅野は、どことなく嬉しそうだ。


茅野は昔からそうだ。友達のことに関して、自然に優しい目を向ける。


今も茅野は、喜びに満ちた顔で笑っていて、私はぼんやりと想いを自覚するのだった。



「春香、すごい幸せそうだよ」

「今日もかなり仲良かったしな」



安心した、と茅野は笑って、



「諒ちゃんも彼氏いるんだろ?」

「え?」

「裕也に聞いた」



彼は、私が以前、嘘を吐いて誘いを断った男性の名前を挙げた。



「よかったな。おめでとう」



おめでとう。茅野は祝福した。


ならありがとうって返さないと。頭ではわかっていて、いやその前に彼氏がいないことを伝えないいけないと、それもわかっていて、けれども依然として言葉にならない。



「まあ、俺が言えたことじゃねえか」



無言の私に苦笑を浮かべる茅野。



「……悪かった」



謝らないで。


ただ一言さえ声にならない。




    

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