適者生存

09

 雄役と出会い、取り込んでから長い月日が流れた。

 人間の暦に換算して凡そ二年。その間トンネルの中で眠り続けていたカエデの身体は、二年前と比べれば人間に近くなった。

 とはいえかつて四倍近く膨らんでいた腹部は、今でもとても大きい。丁度臨月を迎えた妊婦ぐらいの大きさだ。

 その大きなお腹の中には、次の世代が宿っている。

 霊であるメガタボウレイに、生物の繁殖方法を当て嵌めるのは厳密には正しくない。加えて霊の繁殖方法は種によって大きく異なり、系統的な当て嵌め方(哺乳類の大半が胎生であるのような)が出来ない。それを承知の上で言えば、メガタボウレイは『胎生』で次世代を育む。

 妊娠(ではないが)期間は平均して二十二〜二十六ヶ月。人間の倍以上の時間を掛けて、じっくりと次世代を育て上げる。メガタボウレイの身体は複雑かつ高度なものであり、単純な霊と違い素早く作り上げる事は出来ないのだ。

 時を積み重ね、カエデの子は十分育った。そろそろ出産の時である。


【……………ォ】


 二年ぶりにカエデは目を覚ます。ぽっかりと穴の空いた目を大きく見開き、寝そべっていた身体をゆっくりと起こす。

 メガタボウレイに『陣痛』はない。そのため人間のように、出産前に悶え苦しむ事もない。

 代わりに出産を知らせるのは、腹の奥底から込み上がる感覚。

 いや、感覚というのも厳密には正しくないだろう。神経を持たぬ霊に、生物的な感覚はないのだから。だが例えるならば圧迫感に似た情報が、腹から喉へと駆け上がる。喉を通り抜けたら口に辿り着く。


【オゴ、ボ】


 カエデは無意識に口を開く。

 その開いた口さえも押し広げ、喉から上ってきたものはカエデの体内から外へと出ようとした。カエデの口よりも遥かに大きな、雪のように白くて丸いものが、カエデの口をぐりぐりと押し広げていく。

 カエデは両手の指で掻き毟るように藻掻き、数分間の苦しみの後、ようやく白いもの吐き出す。

 カエデの口から出てきた白いものは、地面に落ちるのと同時ににゅるにゅると細長い触手を四本生やした。触手で身体を起こした後、更に触手は自らの身体を掻き毟り、全身を覆う白い表皮――――否、全身を包んでいた白い被膜を破る。

 被膜の中から出てきたのは、人間の頭部。

 ……のように見えるこれが、メガタボウレイの幼体だ。メガタボウレイは誕生直後は生首のような形態で生まれる。首の断面から生えている四本の触手を用い、これで移動するのが特徴だ。

 幼体は生まれてすぐ自発的な行動が可能。身体を包む被膜を自力で破る事は勿論、歩行さえ補助を必要としない。呼吸は元よりしていないので、産声さえ上げない。

 誕生直後でここまで自活出来るのも、母親の体内で大きく育ったお陰だ。二年間も成長した身体は外界でも十分生きていける『完成度』を誇る。


【ゼェ、ゼェ……ウッ、ブゥ】


 ちなみにこの大きな子は、一度に三〜四体生まれる。カエデもすぐに次の子が喉まで登り、これを吐き出すのに苦心する。

 ぼとり、ぼとりと、残り二体の子も口から出産。三体全ての子が無事生まれた。


【ウゥウゥウゥゥウ……】


 出産を終えると、カエデはその場に倒れ伏す。

 メガタボウレイの幼体は人間の赤子ほど大きくはない。しかしそれでも三体連続で生み出せば、肉体的負担は大きい。カエデも体力を使い果たしてしまった。

 人間の母親ならば、それでも頑張って我が子を抱こうとする者もいるだろう。だがメガタボウレイはそんな真似をしない。いくら人型をしていても、彼女達は人間とは異なる種だ。子供との向き合い方も違う。

 メガタボウレイは子育てなどしない。


【オオオオオオオオオオオオオッ!】


 産んだ子供に対する最初にして最後のコミュニケーションは、威嚇の唸り声で追い払う事だ。

 幼体達は四本の触手を使い、ささっと逃げてしまう。マンホールをすり抜けて下水道に逃げ込んだり、家の塀を乗り越えて家屋に忍び込んだり、道路をひたすら駆け抜けていったり……

 あっという間に、母であるカエデの前から姿を消した。


【……フウゥゥゥゥ】


 それを悲しいとも寂しいとも思わない。むしろ清々したと言わんばかりに息を吐く。

 薄情に見えるかも知れないが、これはメガタボウレイにとっては合理的な行動だ。

 出産直後の母体は非常に疲弊している。雄役を栄養にしたといっても、自身の身体のエネルギーも少なからず消費している状態だ。ここから三体の幼体を育てるのはあまりに負担が大きい。自分の分の食事を確保するのも一苦労なのに、子供の分の世話をする余裕などない。

 そして体内で大きく育てた子供は、親の世話がなくても生きていける。少なくとも自分で食べ物を捕まえるぐらいは可能だろう。

 ならばこれ以上の『コスト』は費やさない。それがメガタボウレイの繁殖戦略なのだ。


【……………オ、オ、オォ】


 母親から一体の亡霊へと戻ったカエデは、トンネルの中で寝そべり始める。

 新たな獲物が来るまで、静かに夜を過ごすために……






 これが、亡霊ことメガタボウレイの暮らしの一例である。

 亡霊と呼ばれながらも、その『生き様』は極めて生物的だ。当然だろう。例えその身を作るものが人類未発見の物質でも、活力が感情なんてあやふやなものでも……何かを消費するのであれば、それを上手く利用する生態でなければ生きていけない。

 ましてやそれが有限の資源ならば、奪い合い、より多くを独占したものが繁栄する――――生存競争が起きる。

 亡霊達は数多の生存競争を経て、今に至るまで生き残ってきた。それは彼女達が、非常に優秀な種である証と言えるだろう。

 ……しかしどんなに優秀な種でも、環境が変われば衰退していく。

 今、亡霊達はその個体数を大きく減らしている。メガタボウレイの総個体数はたったの二千体。しかも神奈川県や大阪府、京都府など多くの地域で個体群が絶滅している。数百年前までは全国に分布し、総個体数は十万体以上もいたというのに。

 ここまで数を減らした原因は、人類文明の発展にある。

 そもそも亡霊は人間を専門的に襲う事で繁栄した。感情自体は他の生物……ネズミや鳥でも抱く。昆虫や軟体動物でも快不快程度の感性はあり、それは感情のエネルギーを生む。ただしその量はごく僅か。巨大な脳を持ち、本能を抑え込むほどの知能を持った人間が放つ感情は、他の生物とは比較にならない。個体数も体重五十キロ以上の『大型動物』としては異常なほどに増えた。亡霊は人間という巨大資源を、上手く活用する進化を遂げた種と言えよう。

 だが人間の進歩は、亡霊の進化よりも早かった。

 数百年前までの人間は、暗闇を恐れた。廃屋の幽霊も信じ、死者が続出すれば本心から恐怖した。されど今の人間は違う。死者は解剖して現実的な原因を突き止めて、暗闇を人工の明かりで照らし、様々な恐怖を払拭した。そして発展と共に幸福も多くなり、個体数の多さと相まって超高濃度の正の感情で生活空間を満たす。

 他の霊であれば、それは決して致命的な問題ではない。何故なら霊というのは本来、自然界で野生動物などが発する感情を糧にして生きてきたのだから。人間社会が生活に適さなくなったのなら、自然界に戻れば良い。現実には森林伐採や外来種問題、地球温暖化や乱獲などの自然破壊を人間は引き起こしているため、多くの霊が生存を脅かされているが……全く生きる方法がない訳ではない。

 しかし亡霊にはそれが出来ない。人間に依存した生態であるがために、人間がいない場所では十分なエネルギーを得られないのだ。

 ならば環境変化に適応するよう進化するしかない。それが不可能でない事は、ヒトダマやクロパサランなど小型の霊が証明する。彼等は現代の人間社会に適応する進化を遂げ、人間には見えないが、地上を埋め尽くすほどに繁栄した。

 だがこれも亡霊には難しい。

 進化には世代交代と淘汰が必要だ。具体的には①生まれてきた子が生存競争を行う ②より環境に適した(食べ物を多く得る、天敵から効率的に逃れるなど)個体が生き残る ③生き残った子が自分と良く似た形質の子孫を生む ①生まれてきた子が生存競争を行う――――という流れを繰り返す。これにより少しずつ環境に適した種へと変化していく。

 しかし人間社会の変化はあまりにも早い。亡霊は妊娠期間だけを見ても繁殖に二年掛かるが、二年も経てば人間社会では新たな技術が生まれ、町並みは少なからず変わってしまう。二年前の適応者の形質が、全く通じなくなる可能性があるのだ。先の流れでいえば③の段階で、いきなり②の条件が変わるようなもの。生き延びた形質が適応的でないのなら、進化なんて出来ない。

 クロパサランなどの小型霊は、種によっては二週間程度で世代交代を行う。生まれてくる子も何十何百と多く、その分多様性も豊富だ。これならば急激な環境変化にも対応し、都市部で繁栄する事も出来る。だが亡霊の繁殖形態では、人間社会の変化に追随出来ない。

 人間に依存したがために、人間社会の変容に追いつけない。そんな亡霊達が衰退するのは必然だろう。

 されど、絶滅するかは別の話。


【オ、ォ、オ】


 とある都市の地下深く。灰茶色の汚水が音を立てて流れるその場所に、一体の亡霊がいる。

 生首から触手を生やしたその個体は、カエデの子の一体だ。

 カエデから逃げた後、あちこちを放浪しながらこの幼体は都市部に辿り着いた。下水道の壁を虫のように駆け、埋め尽くすほど繁殖しているクロパサランやクロミミズなど、小さな霊を捕食している。捕食方法は触手を伸ばして絡み取るという、中々にショッキングな絵面だ。

 亡霊の幼体は、小さいうちはクロパサランなどの小型霊を獲物とする。少しずつ身体を大きくし、数年もすれば人型となって人間を襲うようになる。それが普通の、今滅びようとしている亡霊の生き方だ。この幼体も同様の生き方をしている。

 だが、少し違うところもある。


【オォ、オォ】


 カエデの子は十分な食事を行うと、下水道の壁の中をすり抜けた。その内側で一休みするためである。

 本来、こんな場所でのんびり休憩なんて出来ないのに。

 何しろ此処は大都市。地上では大勢の人間が昼夜問わず活動している。負の感情も多いが、正の感情も非常に多い。栄養豊かでありながら、毒素が充満した環境とも言えるだろう。並の亡霊ならば生きていけない。

 だというのにカエデの子は平然としていた。毒素に苦しむ様子はない。

 それには二つの理由ある。一つは、この幼体は正の感情に強い耐性があるため。有性生殖で生じた個体差により、親であるカエデ達よりも正の感情に強くなったのだ。とはいえこれだけで都市部での活動を可能とするほどではない。

 一番の要因は、この地下空間は正の感情が地上よりも遥かに薄いからだ。

 薄い理由は、下水道を埋め尽くす小型霊達にある。クロパサランやクロミミズ、ヒトダマなど様々な種が存在しているが……なんとそれらの霊の一部は、能力を獲得していた。本来猛毒である感情を食べ、栄養にしてしまうのである。

 何故霊達にとって正の感情が毒かといえば、エネルギー源である負の感情と反する性質によりエネルギーが中和されてしまうため。では何故霊が負の感情をエネルギーにするかと言えば、自然界では圧倒的に負の感情の方が多いからだ。自然界は牧歌的な環境ではない。何時も食べ物に困り、何時も敵に狙われ、暑さも寒さも雨も日差しも防ぐ手立てがない。常に不快と恐怖と怒りに満ちた環境であり、正の感情を生む時など食事と交尾ぐらいだが、そういった時でも敵を恐れて周囲の警戒をしなければならない。

 自然界にある正の感情などごく僅か。人間社会も、数百年前までは自然界と似たようなものだった。

 誰も手を付けていないからといって、その資源は果たして本当に有用なのか。得られるエネルギー密度は、個体の生命を維持出来るほど潤沢か? 仮に個体は維持出来ても、天敵による捕食などを経ても種が絶滅しない個体数を養えるほど豊富か? これらの問題を前にして、正の感情エネルギーの利用は現実的ではなかった。

 しかしここ百年の人間社会は違う。家屋内の環境をコントロールし、危険を可能な限り排除した。先進国なら食に困らず、娯楽も大量に生み出す。新たな不幸も増えたが、幸福の総量自体が比にならないほど増えた。

 潤沢にあれば、それを活用して種を存続させられる。誰も利用していない資源を独占し、多くの子孫を生み出せる。

 小さな霊の一部は人間の作り出した環境に適応し、正の感情を利用する『新種』としてその勢力を広げつつあった。そして新たな生命が増えれば、それは環境の変化を生む。正の感情を消費する個体が増えれば、当然その場の正の感情エネルギーは低下していく。

 一部の下水道は、亡霊達にとって安全な環境となったのだ。

 いずれ亡霊達の住処は、幽霊屋敷から都市部の下水道へと移り変わるだろう。そこで細々と生き延びながら、新たな環境に適応した個体が増えていく。

 それがどんな進化となるかは分からない。危険な地上を避け、小型霊を食べるだけでも満腹になるような、身体能力を弱体化させる進化もあり得るだろう。だがもしかすると、一層正の感情に強い耐性を持ち、短時間なら都市部で堂々と活動出来る個体も生まれるかも知れない。

 そうなれば、亡霊は地上に再進出出来る。自由に、思うがままに、人を食える。


【スピュゥゥ……スピュゥルル……】


 眠るカエデの子は、遠い未来の事など考えない。

 自分の子孫が生命と霊の競争、新たな生存霊存競争を生む事になるなんて、予想すらせぬままに。

 生き物達と同じように、彼女もまた己の情報を後世へと繋ぐため、今日を必死に生き抜くのだ。

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霊存競争 彼岸花 @Star_SIX_778

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