有性生殖
少なくともその声は、カエデが発したものではなかった。
自分以外の、恐らく亡霊の声。
最初カエデは酷く緊張した。オガタボウレイだけでも手に負えないのに、また新たなライバルが来たとなれば本当にどうにもならない。
最悪な状況であるが、それで頭を抱えても問題は解決しない。現状を把握するべく、カエデは声がした方を見遣る。
自分達の頭上、空へと。
【オォオォォオォオ……!】
空にいたモノは、唸っていた。強い怒りと闘争心を露わにしている。
見た目は人間のそれ、即ち亡霊だった。真っ直ぐカエデ達の下へと降下し、堂々と道路に着地して……見せた姿は女性のもの。
メガタボウレイだ。カエデの同族であり、そしてオガタボウレイにとっては縄張りを奪い合うライバル種。
カエデにとっても、本来非常に厄介な相手である。メガタボウレイは群れや社会を作らない単独生活者。つまり同種といえども、基本的には縄張りから追い出す対象だ。何時もであれば戦う相手が二体に増えたようなもので、状況は非常に好ましくない。
しかし今回、カエデは色欲のエネルギーを発している。
これに惹かれてきたのだとすれば、このメガタボウレイは繁殖のためカエデを求めているという事。なのにそのカエデは今、オガタボウレイに襲われ、殺されようとしていた。そしてオガタボウレイは圧倒的優位に立っているものの、カエデとの戦いで多少なりと傷付き、カエデも弱ってはいるがまだ戦える。
どう行動すべきかは、そう難しい判断ではないだろう。
【オオアアアアァアアァア!】
やってきたメガタボウレイはほぼ迷いなく、オガタボウレイに向けて駆け出した!
オガタボウレイは一瞬迷ったように固まる。新手のメガタボウレイに意識を向ければ、今踏み付けているカエデに自由を与えかねない。しかしカエデへの攻撃を続ければ、メガタボウレイの元気いっぱいな一撃をもらう。
どうするのがマシか。考え込んでしまうのは、オガタボウレイが高い知能を持っているが故の行動だ。
そしてメガタボウレイもまた知能ではオガタボウレイに劣らない。カエデはオガタボウレイが迷っている事を見抜き、すぐに動き出す。
【オオオッ!】
カエデは勢いよく立ち上がり、オガタボウレイを押し退ける! カエデの突然の行動でオガタボウレイは体勢を崩した。倒れないよう、わたわたと腕を振り回す。
【オォアアッ!】
そのオガタボウレイに、メガタボウレイが手加減なしの鉄拳――――いや、ラリアットをぶちかます。
【ゴガッ!?】
渾身のラリアットはオガタボウレイの頭に命中。受け身も取れずオガタボウレイは地面に倒れ、転がり、歩道の柵をすり抜けて何メートルも離れた。
オガタボウレイはすぐに立ち上がったが、ふらふらとした体幹は実に弱々しい。致命傷ではないが、直撃に相応しいだけのダメージを受けたようだ。
カエデは立ち上がり、メガタボウレイの隣で両腕を持ち上げた構えを見せる。こちらはまだ戦うぞ、という意思表示だ。ダメージはまだ残っているので、一対一ならただの強がりであるが……助けてくれたメガタボウレイもいればこれは十分な威嚇と言えよう。
亡霊は賢い。少なくとも知能だけで言えば、人間に匹敵するぐらいには。現在の戦力差を認識する事は難しくない。そしてプライドがない故に、突き付けられた現実も素直に受け入れる。
【……………ォオォォォオ】
オガタボウレイは戦闘態勢を解くと、空へと浮かび上がった。
そしてそのまま、何処かへと飛んでいく。
どうやら戦力差を理解し、勝ち目はないと察してくれたようだ。今の戦力であれば問題なくカエデ達が勝てるだろうが、それでも戦わずに済むのが一番良い。肩から力を抜き、カエデは臨戦態勢を解く。
【オォオオオォォォオオォ】
……戦いとは別の意味で、メガタボウレイは興奮状態になっているようだが。
邪魔者は消えた。ならば早いところ『交配』しよう。メガタボウレイの意図を言葉にすればこんなところだろう。知能は高くとも理性がない彼女達は、本能のまま行動する。
カエデの本能も、繁殖を求めている。だからこそ色欲のエネルギーをばら撒いていたのだ。同種個体がその気ならば、拒む理由などない。
カエデはメガタボウレイの方へと振り向き、そして近付いた。
――――さて。ここでメガタボウレイの性について述べよう。
メガタボウレイは一般的な生物として見た場合、所謂雌雄同体の種である。一個体の中で雄と雌の機能があり、どちらの役割もこなせる。ただし一個体の中でその機能を完結させる事、つまり単為生殖は不可能だ。繁殖には別個体がいる。
故に交配時は、一方が雄、もう一方が雌の役割を担う。
雄役は遺伝子を渡す側、雌役は渡された遺伝子を元に子供を育てる側と言い換えても良いだろう。子供を育てる側である雌型の方が、エネルギー的な負担は大きい。人間の『子作り』でも、子供をお腹の中で育む女性の方が、男性よりも負担が大きいのと同じだ。
ではどちらがどちらの性を担うのか。その決め方は明白だ――――「縄張りを持っているかどうか」である。縄張りを持っている個体が雌役を担い、持っていない方が雄役を担う。今回のケースでは、カエデが雌役、新たに現れたメガタボウレイが雄役となる。
何故縄張りを持つ個体が雌役をするかと言えば、栄養状態の良さが理由である。縄張りを持たない個体は、基本的には長らく人間を捕食していない。また安定した狩り場も持たないので、今後も改善する見込みは(新たな縄張りを獲得するまでは)ない。次世代を生むには大量のエネルギーが必要であり、縄張りを持たない放浪個体では子に十分な栄養を渡せない可能性がある。より確実に子孫を残すためには、縄張りを持つ側がより多くのエネルギーを出すしかない。
とはいえ、では雄役が気楽な立場かといえばそれも違うのだが……
【オオォオ……!】
【オ、オォ、オオオ……!】
カエデとメガタボウレイは軽く唸り合う。双方に交配の意思がある事、それとカエデが縄張り持ちである事の最終確認だ。
【オ、オ、オ】
雄役が決まると、メガタボウレイは跪くように足を曲げる。正確には、雌役の口許よりも頭頂部の位置を低くするのが目的だ。
カエデは頭を低くしたメガタボウレイの頭頂部に、そっと自らの口を付ける。傍目には口付けのように見える、少しばかり情緒的な光景だ。
尤も、亡霊達に恋愛感情なんてものはない。そもそもこれは繁殖行動の一環である。
【オッジュウゥ】
そしてメガタボウレイの繁殖行動は、雌役が雄役を頭から吸い込む事で始まるのだ。
比喩ではない。現にカエデは今、雄役を務めるメガタボウレイをじゅるじゅると吸っている。中身を吸われた雄役のメガタボウレイはしわしわと萎んでいく。カエデの腹はでっぷりと膨らみ、亡霊ではない別の妖怪のように変容した。
何故こんな共食いのような真似をしなければならないのか? それは亡霊含めた霊が、人間など一般的な生物とは異なる存在だからだ。
もっと具体的に説明しよう。人間など一般的な生物(正確には雌雄を持つ種)は、繁殖の際に配偶子を用いる。配偶子とは所謂精子や卵子の事。それらが合わさる事を受精と呼び、受精卵が育まれる事で新たな生命の誕生となる。
ある程度の大人ならば一般常識である生命の誕生だが、霊達はこの仕組みを用いない。何故なら霊は配偶子に含まれる遺伝情報ことDNAがないから。デオキシリボ核酸もまた通常物質であり、心霊物質で出来た霊達の身体には含まれないのだ。そもそも霊の身体は細胞で出来ていないため、細胞小器官すらないのだが。
しかし遺伝子がない訳ではない。仮に遺伝子がなければ、それは身体の設計図がないようなもの。次世代を作ろうにもランダムに物質を並べる事しか出来ず、まず生命として機能しない。
では何が霊達の設計図となるのか。それは彼女達の身体を流れる、感情エネルギーだ。
霊達は感情エネルギーを消費して活動しているが、これは言い換えれば感情エネルギーが全身を巡っている事を意味する。さながら血液のように。
その流れに合わせて心霊物質を配置する事で霊達は身体を形作るのだが、流れの『通り方』には個体差がある。流れ方に違いがあれば、配置される心霊物質の量や配列も違う。それは霊達の体質に直結し、姿形や生態などの個体差を生み出す。
亡霊のように有性生殖を行う種は、この流れ方を混ぜ合わせる。そうする事で自分達とは異なる流れを生み出し、新たな形質の個体……次世代を作り上げる事が出来るのだ。
しかしこの方法の問題として、他個体のエネルギーの流れを読み取るには『全身』を取り込まねばならない点が挙げられる。
エネルギーの流れ方自体が遺伝子のため、腕には腕の、頭には頭の情報しかないのだ。よって交配する時は、どちらか一方がもう一方の全身を飲み込む。更に言うとエネルギーの流れを解読する際、身体を作る心霊物質は邪魔なので分解してしまう。
これが雄役のデメリット。繁殖時に必ず死ぬのだ。
生物学的に考えれば、繁殖行為後に個体が死ぬ事自体は大した問題ではない。死んだとしても子孫を残せれば、それは有効な繁殖戦略だ。例えばミツバチの雄は交尾後すぐに死ぬが、女王蜂がその後子孫を残すため子孫繁栄の上での問題はない。メガタボウレイも同じで、雄役が死んだとしても雌役が子孫を生むので次世代は残せる。
だが、死なない雌役はその後何度も交配を行い、その度に新たな子孫を生み出す。即ち一回の繁殖で死ぬ雄役よりも、何倍も多く子孫を残せる。
繁栄する生物とは、より多くの子孫を残したもの。雄役よりも雌役の方が子孫を作れるならば、個体としては雌役になるのが好ましい。故にメガタボウレイは誰もが雌役になりたく、より栄養状態の良い個体がその役割を独占しているのである。放浪中の個体が雄役に甘んじるのは、縄張りを見付けられずそのまま餓死した場合残せる子孫がゼロであり、尚且つ大抵の個体は縄張りを得られず死ぬため、一回だけでも子孫を残せる方がマシだからだ。
【ォ、グェップゥゥ……】
雄役を丸ごと飲み干し、カエデは大きなゲップを吐き出す。
繰り返すが、決して共食いをした訳ではない。メガタボウレイの口は『総排出孔』と呼ばれる穴であり、単なる口ではなく様々な機能を持つ。食事は口が持つ一機能に過ぎない。
取り込んだ雄役は体内にある『繁殖袋』へと運ばれ、そこで身体である心霊物質を分解しながらエネルギーの流れを解析される。解析結果は体内の酵素(これも心霊物質で出来たもの)に転写・圧縮され、コンパクト化した上で保存する。ただしこの働きは完璧なものではなく、時折転写ミス……突然変異も起こす。
今回カエデの中では転写ミスは起こらず、雄役のエネルギーの流れは正確に記録された。突然変異は進化の原動力であるが、ランダムな変異のため大抵は生き残りに不利な『障害』となってしまう。つまり生まれた子の大半が死ぬという事。長期的になら兎も角、短期的には突然変異なんて起こらない方が良い。だからこそ霊も生物も早々突然変異は起こらない、起こさせない仕組みを持つ。
【……………オ、オ、ォォォ】
雄役の情報を解読し終えると、カエデは動き出す。自分とほぼ同じ体躯の仲間を丸飲みにした身体は、腹だけが今までの四倍近く膨れ上がった異様な体型となっていた。妊婦など比ではない歪さは、歩行さえも困難にする。
どてどてと鈍く、不気味に歩いたカエデが向かう先は縄張りであるトンネルの中。そのトンネルを作る壁に近付くと、カエデは壁をすり抜けて中に入り込む。
そしてまだ夜明けになっていないのに、安全な壁の内側で休眠状態になった。
雄役を丸飲みにするのは交配のため欠かせない事だが……それとは別にメリットもある。分解した心霊物質やエネルギーをそのまま取り込み、栄養にする事が出来る点だ。次世代を生むには大量の物資とエネルギーが必要だが、成体一体分もあれば十分賄える。わざわざ狩りをする必要なんてない。
ならば下手に外へと出ず、安全な場所で休み続けるのが合理的と言えよう。雌役が余程飢えていれば狩りもするが、そもそも栄養状態が良くなければ縄張り持ちの個体は繁殖行動を行わない。それは病気など、異常事態が起きた時の話だ。健康優良なカエデには当てはまらない。
次に彼女が目覚めるのは、体内の次世代が十分に育った頃になるだろう。
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