時間的棲み分け

 土蜘蛛との戦いを終えてから数時間ほど、カエデは休息を取った。といってもトンネル内(にある女性の遺体の傍)で座り込んでいただけだが。

 ぐりんぐりんと肩を回し、首も回す。休憩で鈍った身体を解す様はほぼほぼ人間。この如何にも人間的な仕草は、身体的特徴が人間に似ている事に由来する。人間と同じような問題……例えば腰痛など……が亡霊には生じるのだ。

 そんなこんなで身体の調子を整え、さあ次の狩りをするぞと意気込むが……しかし狩りの時間は終わりとなる。

 空が、明るくなり始めた。

 朝日が昇り始めたのだ。


【ォ、オ、ォ、オ】


 空の明るさに気付いたカエデは、少々ガッカリしたように肩を落とす。先程の意気込みはすっかり消えて、呼吸などしていないのにため息を吐く。


【オオォォォォ……】


 そして帰宅するサラリーマンのような、如何にも疲れた猫背姿勢になりながら前進し――――トンネルの壁をすり抜け、奥へと進む。するりと全身が壁の中へと入るまで。

 人の目には見えない場所まで来たカエデは、そこで座り込む。今日の活動はお終いと言わんばかりに、動こうともしない。

 事実、カエデはもう動くつもりはない。少なくとも次の夜までは。亡霊は基本的に、明るい場所朝から夕方では活動しないのだ。

 その理由は人間が恐怖しなくなるため。人間は様々な要因で恐怖するが、その中でも暗闇は特に効果が大きい。殺人事件があった現場、という『噂』があっても、昼間であれば多くの人間は恐怖せずに通るものだ。逆になんの噂もなくても、暗闇があれば人間は恐怖する。

 以前暮らしていた廃屋のように、中まで光が届かない環境であれば昼間に活動しても問題はない。真っ暗なリビングが、侵入してきた人間達から希望を奪ってくれるだろう。しかし今カエデがいるトンネルは、廃屋ほど奥まってはいないため外の明かりがよく入る。見通しが良く、どんな噂があろうと昼間に怖がる者はいない。

 それに、大多数の人間は朝方揃って行動する。所謂通勤時間や通学時間というやつだ。このトンネルも、朝であれば人通りは多い。人通りが多ければ怖さはますます薄れてしまう。

 そして怖くない環境では、『前向き』な気持ちも抱きやすい。

 実のところ本当の問題は恐怖されない事ではなく、ポジティブな感情を抱かれる点だ。正の感情が亡霊にとって毒なのは繰り返し述べてきた通り。よって朝や昼間に行動すると、この毒を受けやすい。

 毒のある時間帯は隠れてやり過ごす。人間の領域で暮らす亡霊が身に着けた、生存戦略の一つだ。

 尤も、感情のエネルギーはコンクリートの壁など容易くすり抜けるので、身を隠す事自体に意味はない。実際には休眠状態となって代謝を落とし、取り込む感情エネルギーを減らす事で悪影響を少なくしている。身を潜めるのは、休眠中に人間や他の霊に『悪さ』をされないための対策である。


【……………】


 コンクリートの中で膝を抱えて丸くなったカエデは、その姿勢で休眠へと入った。

 昼間に休眠するのは、カエデだけではない。土蜘蛛なども、明るい場所では休眠を行う。人間の正の感情を受けないよう、霊達は様々な工夫で日の当たる時間を耐えている。

 とはいえ全ての霊が、ただじっとしている訳ではない。亡霊や土蜘蛛などの『種』がいるように、霊にも多様性があるのだ。そして種が多様であれば、その生き方も千差万別。

 カエデが眠りに入ってから動き出す種も、一つや二つではない。


【シシシシシ……】


 カエデがいなくなってすぐに動き出したのは、黒くて丸いもの。

 体長は凡そ五センチ。足のようなものはないが、ふさふさとした毛のようなものが身体を覆い尽くし、この毛が足のように蠢いて動き回る。

 毛の動き自体が遅いのもあって、移動速度はアリぐらいだろうか。ちょこまかとした動き方をしているが、人間なら捕まえるのは容易だ。しばらく動いたら止まり、また動き出すなど、仕草は動物というより昆虫的である。

 そして数が多い。一体出てくると、続々と姿を見せる。瞬く間に何十何百もの数の黒いものが現れ、壁や道路を埋め尽くす。

 これはクロパサランという霊だ。

 白い毛玉ことケセランパサランの近縁種であり、都市部など人間の生活圏に多く生息している。彼等もまた亡霊と同じく人間の負の感情を餌としているが、亡霊と違い人間を殺す事はしない。というよりそこまでのパワーはないというのが正しい。

 当然殺さないので、強い恐怖心や絶望は得られない。しかしその必要もない。クロパサランはごく少量の、それこそ通行人が抱く「今日会社に行きたくない」や「期末テストで憂鬱」程度の感情でも腹を満たせる。このため殆ど人通りのない場所でも、数は少なくなるが生息可能だ。


【ウジュゥゥィィ】


【ウジュジュゥ】


 他に見られるものには、このクロミミズが挙げられる。ミミズのような外見をしつつ、色が黒い事からそう呼ぶ。体長は十センチ程度と、本物のミミズぐらいの大きさだ。

 クロミミズは普段、地面や壁などに隠れている。だが通行人など、感情を発する者が通ると頭だけ出し、周りにあるエネルギーを吸い込む。そして食事が終わるとまた引っ込む。こちらも人間を害するほどの力はなく、精々周りでうねうねするだけ。

 カエデの新しい縄張りである小さなトンネルには、この二種がとても多く見られた。環境が合っていたのだろう。数は少ないが他にも様々な種が生息しており、トンネル内は霊で埋め尽くされる。

 このような小さな霊の多くは

 亡霊達が『中毒』を起こす環境でも、問題なく活動出来るのだ。このためカエデの新しい縄張りであるトンネルだけでなく、ビルが建ち並ぶ都心にもクロパサランやクロミミズは生息している。個体数も非常に多く、下水道や路地裏など、ほぼあらゆる場所で埋め尽くすほどの数が見られるだろう。

 そしてクロパサラン達は、亡霊に比べて非常に『希薄』な種である。

 カエデ達亡霊は心霊物質を密にする事で、人間を襲うなど通常物質への干渉を行う。だがそれは、亡霊にから可能な事。クロパサランやクロミミズの身体に含まれる心霊物質は、体積当たりに換算して亡霊の十分の一しかない。

 その理由はコストの削減だ。心霊物質の生成には、大量の感情エネルギーが必要となる。維持に使うエネルギーも多い。だからこそ亡霊は人間が抱く死の恐怖という膨大なエネルギーを食べる必要があるのだが、クロパサラン達にその必要はない。ちょっとした日々の不快感だけで生きていき、繁殖する事が可能である。

 欠点はあまりにも希薄なので、人間を攻撃出来ない点か。しかしクロパサラン達は小さな負の感情だけで生きていけるのだから、わざわざ人間を襲う必要はない。欠点があっても、それが小さな霊の生活を脅かす事はなかった。

 心霊物質が希薄だと、光の反射も殆どない。このため地面を覆い尽くすほど繁殖したクロパサラン達の姿は人間に見えず、小さな霊達は素通りする人間達から思う存分感情エネルギーを吸い取れる。

 夜明けから夕方までは、この小さな霊達がトンネルの支配者だ。


【………………】


 クロパサランやクロミミズが通行人達……女性の遺体を発見した市民が通報。警察が大勢やってきた……の撒き散らす感情を貪り食う。休眠するカエデはその光景を見ていないが、もしも見えていれば、少なからず羨ましく思っただろう。

 と、これだけだと一見して亡霊よりもクロパサラン達の方が『優れた種』に思えるかも知れない。実際個体数や生息範囲の広さで考えれば、クロミミズなどの方が亡霊よりも繁栄しているのは間違いない。

 しかし何事にも欠点というのはある。

 クロパサラン達の弱点は『弱さ』だ。僅かな感情で腹を満たせる身体は、ハッキリ言って極めて貧弱。いや、正確には強く出来ないと言うべきだろう。強い力を生み出すには多くのエネルギーが必要であり、日中の人間達が発する負の感情程度では到底賄えない。また正の感情の耐性にもエネルギーを使うため、余計強さなんて追求出来ない。

 このためクロミミズやクロパサラン達の身体は、全く『強さ』を追求する事が出来なかった。人間が知る生物で言えば、正に昆虫やナメクジのような存在なのである。

 それだけ弱いのなら、から見れば魅力的な獲物と言えよう。


【キキ、キキキキッ】


【キキキキキィー】


 繁栄を謳歌するクロパサラン達の頭上から、急降下してきたのは正にその捕食者の一種。

 ヤタガラスだ。外観は普通のカラスによく似ているが、注意深く観察すれば、足が三本あり、目玉の代わりにぽっかりと空いた穴があると気付くだろう。翼の形も、何処となく人間の手に似ている。

 薄気味悪い様相をしているが、しかしヤタガラスが人間を襲う事はない。心霊物質が希薄なその身体は、人間に干渉する事が出来ないのだから。

 だが五十センチもある『巨体』であれば、クロパサランやクロミミズのような小動物にとって十分強大だ。


【ウジュゥゥゥゥー!】


【シシシシシシシッ】


 クロミミズの大多数は、ヤタガラスの出現に気付いて逃げ出す。クロパサランも最寄りの壁へと向かう。地面に潜るもの、壁をすり抜けるもの、電柱に入り込むもの……逃げ込む場所は様々だ。

 しかし一部の個体は逃げ遅れた。通行人の発する感情を貪るのに夢中で、敵の接近に気付かなかったのである。間近まで迫られてようやく動き出すも、ヤタガラスの方がクロパサラン達よりもずっと速い。


【キッ、キィ!】


 地上まで来たヤタガラスの一羽は、素早くクロパサランの一体を嘴で摘む。

 捕まったクロパサランは無数の毛を動かし、必死の抵抗を行う。しかしヤタガラスにとって、そんなのは暴れているうちにもならない。

 頭を上向きにすれば、クロパサランはするりとヤタガラスの喉奥に落ちてしまう。


【キッキキィー】


 クロパサランを丸呑みにして、ヤタガラスは上機嫌な様子だ。

 ヤタガラスは多種多様な霊の中でも、他の霊を食べる『捕食者』に属する種である。他の霊を食べる目的はごく単純。獲物達が持つ心霊物質と感情エネルギーをするためだ。

 だったら強い力でクロパサラン達を追い払い、通行人から感情を得れば良いと思うかも知れない。だが事はそう簡単ではない。

 先程述べた通り、人間達が日中に撒き散らす負の感情はごく少量だ。大きな身体や、無駄な戦闘能力を待つ余裕はない。クロパサランやクロミミズはそういった無駄を排除した種であり、彼等と同じものを糧とするには、彼等と同じ立場……ある程度弱くならねばならない。よって通行人の感情で腹を満たそうとすれば、彼等と真っ向から生存競争をする羽目になる。

 確かにクロパサラン達は弱いが、それはあくまで戦闘能力に関してだ。自然界で生き抜くには戦闘能力だけでなく、繁殖力や毒物耐性、飢餓耐性や環境適応力なども欠かせない。クロパサラン達は力が弱い代わりに、他の部分がずば抜けて優れていた。

 全ての人間が常に発する、密度は薄くとも量は膨大な資源を手中に収めている種が『弱者』な訳もない。この生き方に最適化した進化を遂げたクロパサラン達は、この生き方においては誰よりも強い種族と言えよう。こんなのとまともに競争して勝てる筈もない。

 ヤタガラスはクロパサラン達に勝てないからこそ、クロパサラン達を食べるしかないのだ。そんな気持ちを持って進化したのではなく、クロパサラン達という『資源』を利用する種として繁栄した、というのが正確だが……ともあれ肉体的に強ければなんでも出来るというのは、思い違いである。強いからこそ出来ない事もあるのだ。

 勿論、種としての成功と、個体の幸せは別問題である。あっさり食べられる側と食べる側、どちらが幸せかは言うまでもないだろう。


【キキキー】


 もう一羽のヤタガラスはクロミミズを捕まえており、こちらのクロミミズも身体を振り回して抵抗していたが、やはりあっさり飲み込まれてしまう。体格差があり過ぎて、暴れたところでダメージ一つ与えられない有り様だった。

 このまま抵抗を試みても、クロパサラン達がヤタガラスを返り討ちにする事はないだろう。シロアリの大群が、アリクイに勝てる訳がないのと同じように。

 襲われた仲間など見捨てて、さっさと逃げるのが得策。クロパサランやクロミミズにそれを考えるだけの知性はないが、本能的にどうすべきかは知っている。仲間が食べられているうちに、他の個体はさっさと逃げていた。もうこの場に、クロパサラン達の姿はない。

 しかしヤタガラス達は、虫けら同然のクロパサラン達よりも少し賢い。


【キキ、キキッ】


【キッ、キッ、キッ】


 辺りにクロパサラン達がいないと知るや、ヤタガラス達は様々な場所を嘴で突き始めた。地面や電柱、更には壁……

 今し方、クロパサラン達が隠れた場所を的確に狙っていた。


【キキィィー】


 何度も突けば、浅い場所にいた ― 厳密には仲間に押し出されて奥まで行けなかった ― モノが捕まる。一匹二匹三匹と、クロパサランもクロミミズも関係なく捕まえては食べていく。

 五匹も食べれば、ヤタガラス達も満足したのだろう。ご機嫌に鳴きながら羽ばたき、颯爽と空へと浮かび上がる。羽ばたくといっても、空気を押し出しているのではなく、エネルギーの噴射角調整のためだが。

 そうして飛び立ったヤタガラス達も、安寧とは言えない。トンネル上空の広々とした空間に出るや、何処からか現れた体長二メートル近い双頭のヘビに襲われたのだから。


【シュァァァァ!】


 フタマタオロチというこのヘビは、ヤタガラスよりも上位の捕食者。大きな身体にはたくさんのエネルギーが必要であるが、ヤタガラスなど中型の霊を食べる事でこれを賄う。

 霊達も、その身体は物質とエネルギーで出来ている。それは人間達の知る、通常物質で出来た生き物と変わらない。変わらないからこそ、食う食われるの生存競争……いや、霊が行うのだから霊存競争と言うべきか……が起きるのだ。

 しかし亡霊は、そうした競争から少し離れた位置にいる。

 人間に直接干渉出来るほど濃密な心霊物質を持つ亡霊は、ヤタガラスやクロパサランとは比にならない力を持つ。子供と戦車ぐらいの違いがあると言っても良いだろう。まともに戦っても勝ち目などないため、例え体格で勝る大型の霊でも、亡霊を襲おうとする種は殆どいない。

 亡霊達もそこらの霊を襲おうとはしない。大量の心霊物質で身体を構成している亡霊にとって、クロパサランやヤタガラス程度の物質量やエネルギー量ではオヤツにもならないからだ。むしろ狩りの手間の方が大きい。余程しつこく襲われない限り、反撃すらしないだろう。

 生物学的には同じ起源を持ちながら、互いに干渉しない。それが亡霊と霊の関係なのだ。

 とはいえ、では亡霊に天敵がいないかと言えばそれもまた否であるのだが……この時間帯で起きる出来事でもない。

 少なくともカエデが休眠から目覚めるまでは、彼女にとって退屈で平和な時間が流れるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る