第二章 人外なるものの王国】冒険行13)骸骨剣士

 次の日の朝、食堂の大蜘蛛からせしめた朝飯を腹一杯に詰めてから、我が輩は指定された場所へと向かった。

 空き地は無人のままだ。我が輩はそこに置いたままの木箱を開けると、中の武器を触ってみた。

 中に入っている剣はどれも作りは頑丈で、装飾の類が一切ない。ほとんどの剣の柄には丈夫な紐がついている。刃は丹念に磨かれており、錆一つ見当たらない。

 武器というものには、奇妙に男の心をとらえて放さないものがある。我が輩は剣というものに、子供のころからあこがれていた。

 長剣の一本を手に取り振ってみる。とてもバランスがよいのがわかる。これは剣の練習に使っていいような鈍な代物ではない。我が輩の国ならば、どこで買っても目の玉が飛び出るような値段のする業物だ。これが練習用だとすれば、ゼベデー城は見た目よりもさらに豊かだということになる。

「良い心掛けだ」

 背後で声がしたので振り返ると、肩の上に大きな壺を載せている黒の鎧の騎士が立っていた。

 夜そのものから切り抜いてきたかのような漆黒の鎧。銀の線が装飾として入っていなければ、まさに闇の人形、そのものだ。兜の面頬の中から、淡い緑の光がもれ出ている。

 骸骨剣士のウォー。

 地響きを立てて、重い壺を地面に降ろす。その手が伸びると、壺の蓋を開けた。壺の中は縁一杯にまで真っ白い液体が詰まっている。

「これは何です?」

「魔法の傷薬」一言だけ答えを返すと、ウォーはそれを実演してみせた。

 彼は短剣を使って我が輩の手のひらに小さな傷をつけると、傷口の上にその白い薬を塗りこんだ。たちまちにして傷口が塞がるのを見て、我が輩は唖然としてしまった。痛みもすっかりと消えてしまっている。

 たしかに魔法だ。これが魔法でなければ、いったい何が魔法だというのか。

「これだけあれば、一年は持ちますね」

 我が輩が感想を述べると、ウォーは首を横に振って言った。

「一週間だ」

 まさか、とばかりに我が輩は眉を上げて自分の疑念を示して見せたが、ウォーの黒の兜は揺らぎもしなかった。

「説明しよう」剣を抜きながらウォーは言った。

「一人前の剣士を鍛えるのに、いったいどれぐらいの年月がかかるか知っているか?」

 我が輩は沈黙で彼に答えた。ウォーの剣はやや細身で鋭く、すらりと長い。

「二十年だ」自分でそう答えると、ウォーは剣を振った。風切り音がする。

「だがきみに与えられたのはたったの一年」

 もう一度、ウォーは剣を振った。さきほどよりも速い。

「悠長に訓練している暇はない」

 また振った。もう我が輩の目には剣の動きが見えない。風切り音がするだけだ。

「だから実戦できみを鍛える」

 また振った。目に見えないばかりか、風切り音さえしない。ただ剣が振られたという衝撃の感覚だけが、我が輩の顔を叩きつける。

「そのための薬だ」

 その言葉を、最初は冗談だと思った。ウォーは滅多に冗談を言わないことを知ったのは、ずっと後のことになる。

 一人で剣を振る練習も、筋肉をつけるために重いものを持ち運ぶなどということも、ウォーは一切勧めなかった。その代わりに彼は、まったく手加減することなく、我が輩を徹底的に叩きのめすことだけに専念した。

 痛い思いをしたくなければ、それを防ぐしかない。彼の攻撃を受け切れないとなれば、その攻撃の矛先を鈍らせるためだけにでも、こちらも攻撃をしなければならない。いきおい我が輩は、彼の剣の動きを見て、その動作を真似ることになる。

 魔法の傷薬がなければ、ウォーのこうした教え方に、我が輩は耐えられなかっただろう。

 彼の剣が振られるたびに、我が輩の体に傷がついた。もちろん彼も手加減はしている。我が輩の目に見える速さに剣の動きを抑えていたし、致命傷にならないように気をつけていた。でなければ最初の一撃で我が輩は死んでいただろう。

 困ったことに、死人に対しては魔法の薬も役には立たないのだ。

 驚くなかれ、彼の言った言葉通りに、我が輩は魔法の傷薬をわずかに一週間で使い果たしてしまった。

 するとウォーはどうしたのか?

 彼は何も言わずに次の壺を持って来ると、我が輩の訓練を続けたのである。

 ウォーの行った訓練は一風変わっているようであって、それでいて理屈が通っているものであった。

 我が輩が最初に受けた訓練は、剣を使っての防御であった。

 盾のほうが防御には有効であるが、剣のほうが常に身近にある。だから剣を使っての防御ができれば、生き残る可能性が大幅に上がる。そうウォーは言った。

「我が輩は、盾を忘れて戦に出陣するような間抜けな騎士だってことですか?」

 我が輩は不平をもらした。

「違う」ウォーは答えた。

「ひとつ。きみはまだ騎士でさえない。ふたつ。戦場以外でも戦いは行われる。ベッドのなかに盾を持ちこむのは難しいが、剣を抱きしめて寝ることはできる。夢に惑わされて、剣にキスをしなければな」

 ウォーが片目をつぶってみせたように思えたのは、気のせいだろうか。もちろん彼には目蓋というものはない。

「構えろ!」

 ウォーは命令した。彼がそう言ったからには、躊躇している暇はない。反射的に我が輩は剣を体の前に構えた。

 まるで蛇が獲物に跳びかかるかのように素早く、ウォーの剣が我が輩の剣の横をすり抜けてきて、我が輩の腕を貫いた。

 痛みはさほど感じなかった。かわりに感じたのは熱さだ。熱く焼けた鉄棒を押しつけられたみたいだった。それも体の奥深くに。

 一瞬遅れて、それが痛みに変わる。骨に届く傷が生み出す激痛だ。我が輩はあまりの痛さに短く叫ぶと、思わず剣を取り落とした。すると今度は首筋に痛みが走った。

 ウォーが剣の腹で、我が輩の首筋を打ったのだ。

「剣を落とすな。その愚かな行為で、きみはいま死んだのだぞ」

「手が痺れているんですよ」我が輩は抗議した。

「手は二本ある」ウォーは冷たく言い放った。

「じゃあ、両手が痺れたらどうするんです?」

 この抗議に対して、ウォーの返事は微動だにしないものだった。

「口がある」

「うへっ。口で剣をくわえるですって? そんなことしたら、相手の剣を受け止めたときに歯が折れますよ」

「命より歯が大事か?」

「じゃあ、聞きますが、歯が折れたら今度はどこで剣を持つのです? 足ですか?」

 ウォーは我が輩に座るように指示した。魔法の薬壺から一練り分を取り出すと、我が輩の傷口にすりこみながら、話を続けた。

「足で剣を使う武技もあるのだ」

「我が輩にそれも覚えろと?」

「そうは言わない。それを習得している時間はないからな」

 ウォーは手の動きを止めた。腕の傷口の痛みが消え、代わりに猛烈なかゆさが襲う。それからまるで何もなかったかのように、皮膚が盛り上がると再生した。後に残るのは傷跡など一つもない滑らかな肌だけだ。

「両手を潰され、歯も折られたら、次は逃げるのだ」

 ウォーは話を続けた。

「後ろも振り返るな」

「逃げる、ですか? それが勇気ある行いだと」

「勇気とは無駄に死ぬことではない」ウォーは静かに言った。

「傷は癒えるし、機会もまた巡ってくる」

「我が輩にはわかりません」

「いや、きみの頭がわかりたがらないだけなのだ。きみの体は生まれながらにそれを知っている」

 それからウォーは我が輩を立たせた。我が輩はまた剣を握りしめた。

「逃げることが恥となるのは、たった一つの場合だけだ」ウォーは宣言した。

「どんな場合です」剣を構えながら我が輩は尋ねた。

「仲間を見捨てた場合だ」

 ウォーは断言した。

「剣を構えろ。もう一度、同じ攻撃をする。痛い思いをしたくなければ、きみの剣でわたしの剣を受け止めてみせろ」

 我が輩は剣を構えた。ふたたびウォーの剣が同じ軌道をたどって、滑るような動きで我が輩の剣の横をくぐってきた。我が輩はそれに剣を叩きつけようとしたが失敗した。

 熱さ。激痛。

 傷つけられた右腕のあまりの痛みに涙がこぼれたが、我が輩は意地で、剣を握りしめ続けた。熱い血が腕の周りを流れるのが感じ取れた。

 ウォーは軽く手首をひねると、我が輩の痛みに痺れる手から、剣を地面に叩き落としてみせた。

「腕が使いものにならないと感じたら、すぐに剣を持ち返るのだ。意地を張っても、何の益もない。もっと考えて行動しろ」

「どうやって考えるのです。痛みに耐えるのが精一杯です」我が輩は叫んだ。

 派手に血を吹き出す手首に、自分で魔法の傷薬を塗りつける。

 痛みが徐々に引いてゆき、出血が止まった。

「それが無理ならば、死ぬのだ」またもや冷たくウォーは言い放った。

 甘えというものを一切認めない、氷というよりは鉄の冷たさだ。現実に生きる剣士としての張り詰めた厳しさなのだと、ようやく我が輩は理解した。

 ウォーの視線が真っ向から我が輩を捕らえる。

「痛みに耐える自分と、戦う自分を別のものだと考えろ」

「そんなことができるものですか」

「できるとも。大勢の剣士がそうしている」

 ウォーは剣を持ち上げた。攻撃の合図だ。

「学び、努力するのだ」

「我が輩には無理です」我が輩の返答は、悲鳴に近かったように思う。

「できるさ。どのみち、それ以外に逃げ場はないのだからな」

 ウォーは我が輩の癒えたばかりの手首をつかんで、我が輩の顔に押しつけた。

 それから面頬を上げて、自分の骸骨の顔をさらしてみせた。

「見よ。この城の中には死という逃げ道さえ、存在しないのだ」

 そしてウォーは一歩だけ後ろに引くと、剣を体の前に立てて言った。

「構えろ!」

 我が輩は構えなかった。そうすれば、彼の剣を防げるとでも言うかのように。

 ウォーの剣が我が輩の体を三回貫いた時点で、歯を食いしばり、我が輩は剣を取った。彼の言葉は正しい。どこにも逃げ道はないのだ。戦い、学ぶ以外には。

 ウォーの剣を弾けるようになるまで、我が輩は百回は死んだ。いや、本当に死んだわけではない。だが、そのことごとくが、普通ならば死ぬような深い傷だった。

「よくやったぞ」かすかに喜びを含んだ声で、ウォーは言った。

 兜がなければ、白い歯をみせて笑っていたかもしれない。骸骨の顔だから、どんな笑いでもそうなるのであろうが。

 それからウォーは剣を振るう速さを変えた。それは蛇というよりは矢が飛ぶのを連想させる速度であった。

 もう百回、我が輩は死んだ。

 だが驚くべきことに、我が輩は何とかそれを捉えることに成功するようになった。たしかに我が輩は進歩している。

 すると、ウォーはもう一段階、速度をあげた。

 そう、もう一段階だ。

 それはもはや我が輩の目には見えなかった。風がひゅっと吹いたと思ったら、我が輩の手首から血が吹き出している。

「見えないものをどうやって防ぐんです!」我が輩は悲鳴をあげた。

「考え方が根本から間違っている」ウォーは答えた。

「見てから、考え、それから防御していたのでは遅すぎるのだ」

 そこまで言ってから少し言葉を切り、ウォーはまた続けた。

「人間の目はそういう形にはできていないし、人間の頭もそうだ。剣の動きのほうがずっと速い」

「じゃあ、どうしろって言うのですか?」

「相手の構えと、こちらの構えから、剣が動ける範囲は自ずから決まる。それを予測して動く」

 ウォーはそれを実演してみせた。

「そして、見て考えて動くのはではなく、見て動くのだ」

「どういうことです?」我が輩は混乱した。「つまり考えるなと?」

「そうだ。すべての動きを直感に任せるのだ」ウォーは頷いた。

 簡単に言うが、兜を被ったまま頷くのは、結構難しい。

「我が輩は農夫だったんです。剣の動きを直感するなんてできません」

 我が輩は抗議した。騎士物語にはこんな風景はでてこなかったぞ。

「もちろん、できるはずもない。きみは剣を握ったまま生まれてきたわけではないからな。だがじきにできるようになる。直感とは、絶え間ない訓練と経験から生じるものなのだ」

 それから、ウォーは命令した。

「構えろ!」




   いやはや。厳しい師匠であった。

   こうして書いて見るとウォーという人物はお喋りな男に思えるかもしれない。

  しかし実を言えば、いつものウォーはとても無口な男であった。

   普段の彼は言葉ではなく行動で我が輩に教えを与えた。

   百の言葉よりも一つの行動が彼の信念であった。

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