第二章 人外なるものの王国】冒険行14)ブリッジトロール

 ゼベデー城における我が輩の一日の日課は、朝起きるとまず骸骨剣士のウォーと剣の訓練を行うことから始まる。それから疲れた体を引きずってブリッジトロールのイムカナイのところに行くと、昼はそこで魔法の勉強をして過ごす。体力が回復した夕方にはまたウォーとの訓練だ。他には何もなし。それだけだ。ほんのときたまだが、ウォーたちが何か別の忙しい仕事に巻きこまれたときなどには、自由な時間が生まれることもある。


 今回は我が輩のもう一人の教師であるイムカナイについて述べようと思う。

 イムカナイはブリッジトロールだ。一言で彼を表現するなら、醜く巨大化した人間と言える。体は人間の大人のほぼ三倍。しかしその姿は、我が輩が幽霊城で見た巨人のゴルナスともまた違う。ゴルナスは大きささえ考えなければ人間としても通るが、イムカナイは無理だ。全身を覆う剛毛。大きな顎。山のように突き出た頭部。やぶにらみの目。足はがに股で短く、その代わりに前腕が異様に長い。

 彼を見て、眉をひそめない人間はいないであろう。その容姿は醜いの一言に尽きる。しかし誤解しないでもらいたいのだが、我が輩は決して彼を責めているわけではない。我が輩が彼の姿を醜いと思うのと同様に、彼もまた我が輩を醜いと感じていると教えてくれていた。この辺りは、お互いさまである。

 我が輩がブリッジトロールを見たのは、後にも先にも、ここゼベデーの城の中だけである。イムカナイ本人の説明によると、ブリッジトロールという種族はもともと数が少ない上に、ある特徴を持った橋の周辺でしか生存できないという話だ。その魔法的な特殊性ゆえに絶滅しかけたブリッジトロールたちは、生き延びるために魔法の勉強を開始した。その結果がゼベデー城への滞在と相成った。そういう次第である。

 いまではゼベデー城のあちらこちらでブリッジトロールたちは建築作業に勤しんでいる。本来の住処である橋の下に戻るつもりは、すでにないらしい。やろうと思いさえすれば、誰でも新しい生き方を見つけることができるという良い見本であろう。


 我が輩の教師となったのは、ブリッジトロールのイムカナイ。彼はブリッジトロールの中でも、我が輩のような人間種族に偏見を持っていない一人であるという話であった。他の連中の中には、我が輩とは決して会話をしない者もいたことを考えると、その話は本当ではないかとも思える。

 そもそもブリッジトロールとはあまり人付き合いの良い生物ではないらしい。

 イムカナイの授業の場所は、城の中の建設現場であった。ゼベデーの城の中の増改築のすべてを一手に握っている彼は、建設現場の監督がてら、我が輩に魔法を教えることにしたようだ。

 最初に我が輩が考えたのは、魔術師ゼベデーのように腕を一振りするだけで、壁を壊してしまうような魔術を教えてくれるのかということであった。そうなれば我が輩は魔術師ウェトニクスである。

 魔術師ウェトニクス。わああお。何という素敵な響き。

 我が輩のこの想像に対して、イムカナイは断言した。

「それ、百年、かかる」

 百年だって! 冗談じゃない、我が輩はこの城には一年しかいられないのだぞ。

「方法、ない、ことは、ない」

 イムカナイは小さな目でじっと我が輩を見つめながら言った。

 こうして正面から見ると、イムカナイの目はけっこう可愛いとも思える。その他の部分を無視すれば、の話であるが。

「しかし、たぶん、ウェトニクス、死ぬ」

 イムカナイはその大きな手を伸ばすと、我が輩の両肩の上に載せて、自分の言葉を強調してみせた。イムカナイが我が輩を見る目が、すでに死人を見る目であることを悟って、我が輩はこの考えをあきらめた。

 死んだ魔術師よりも、生きている見習い騎士のほうが百倍も良いに決まっている。

 まあ、そういうわけで、我が輩が習ったのは魔法の基礎的な部分だけだ。

 魔法と魔力の関係。魔力とはどこから来るのか。四大精霊の力について。魔法を武器にこめるとはどういうことなのか。

 そうこうしているうちに、イムカナイが魔法の習得には百年かかると言ったのが嘘ではないことが、徐々にわかってきた。学んでも、学んでも、覚えなくてはならないこと、理解しなくてはならないことが、山ほどあるのだ。おまけに我が輩は、あまり良い生徒ではなかったらしい。イムカナイはその大きな体を震わせてため息をつくことがよくあった。我が輩への失望のあまりにだ。

 そのうちに我が輩はこう思うようになった。騎士であることのもっとも大きな利点は、魔術師への道が閉ざされても、ちっとも悔しくないことだと。

 じきに我が輩は魔術師の勉強を辞退したいと、イムカナイに頼むようになった。

 そんなときには、イムカナイは首を不器用に左右に振りながら、必ずこう言った。

「中途半端、知ること、とても、危険」

 彼はとても辛抱強く、賢い教師であったのだ。

 ブリッジトロールの言葉が変なのは、その大きな顎のせいであることに我が輩は気づいていた。

 元来、ブリッジトロールは人間の言葉を話すようにはできていない。それが証拠に、この建築現場にはイムカナイの他に数人のブリッジトロールがいるのだが、彼ら同士で会話をするときには、実に流暢な、しかし我が輩には理解できない彼らの言語で指示を出しあっていたからだ。それはカエルの鳴き声に似てはいたが、遥かに語彙が豊富で、しかも速かった。一つの語彙に対し複数のアクセントが加わり、更にこれに細かな身振りが加わることで、信じられないほど正確な指示を短時間の間に行うことができるとは後で知ったことである。

 かってアリョーシャ神父は我が輩に対して、神に作られた人間こそは地上で一番賢い種族だと教えてくれたが、この点に関してだけは間違っていたと我が輩は知った。

 我が輩が教育を受けている周囲では、ブリッジトロールたちが建築を行っているのだから、見ようと思わなくても、その光景は目に飛びこんで来る。

 まず最初に、たった二人のブリッジトロールが大の男十人でも持ち上げられないだろう岩を運んで来る。その岩がすでに半分積み上げてある壁の上に載せられる。不安定だ。いまにも落ちそうに岩が揺れる。素早くもう一人のブリッジトロールがやって来ると、その岩に手にしたハンマーの先を軽く当てながら何かの呪文を唱える。ハンマーを当てられた岩は身震いし、岩の下から細かい岩の破片が転がり落ちて来るようになる。その流れはしばらく続き、やがて岩のかけらの代わりに砂とほこりが吹き出して来るようになるのだ。最後に岩を押えていたトロールたちが手を離すと、後には隙間もなくぴったりと載せられた岩が残る仕組みだ。

 こんなやり方は見たことも聞いたこともない。

 我が輩の表情を読むと、イムカナイが説明した。

「調和の魔法、岩そのもの、力、借りる」

 魔法による建築とは、真にもって奇妙なものである。

 もちろん、実際に建築に使われるのは魔法だけではない。ブロッジトロールたちは岩を削り、寸分の狂いもなくそれを仕上げる。そうして作られた石の部品は、ぴたりと別の部品と組み合わさる。それを見れば、彼らの知能が低いなどという幻想は微塵に打ち砕かれてしまう。

 それらをすべて差し引いたとしても、ブリッジトロールたちは生まれつきの天才建築家だ。彼らの哲学によると、建物には善い悪いがある。悪い建物は住んでいる者を徐々に殺してしまうのだと、彼らは強く主張する。

 こういった考え方の元は、ブリッジトロール自身の性質にあるのかもしれない。彼らはある決まった形の橋の近くでしか生きられないのだ。橋を離れて生活するブリッジトロールはだんだんと弱まり、最期には衰弱して死に至る。

 だからブリッジトロールは橋を作る。

 生き延びるために。

 だが橋を作るにも限界がある。彼らがどこから来たのかは謎だが、どこに行くのかははっきりしていた。すべての死に絶えた生物の行くところ。死神の隠された懐深くだ。

 イムカナイはそんなブリッジトロールの一人で、試練を越えてゼベデー城を訪れた者の内の一人だ。魔術師ゼベデーが彼に提供したのは、いまやすべてのブリッジトロールの胸につけられている石で作られた橋の形の飾りである。ブリッジトロールが必要としている何らかの魔法の効果を、それは作り出しているらしい。こうしてブリッジトロールたちは、橋の呪縛から解放されたのだ。その石の飾りさえあれば、遮るものとてない平原の上でも自由に歩くことができる。

 奇妙な話だ。こうしてみると、魔術師ゼベデーは決して悪魔などではないように思える。

 しかしまあそれでも、ブリッジトロールたちは依然、建物の良否については口うるさい。城壁の修復現場でも、支え壁の作り方について、十人を越えるブリッジトロールたちがその周りに集まって、壁の作りについて一日中、喧嘩に近い議論を行っていたこともある。

 いまにも殴り合いが始まるのかと、イムカナイの授業もそっちのけで、傍観者たる我が輩は心中わくわくしながらこれらの光景を見守っていた。我ながら野次馬だなとは思うが、自分の生き方は止められない。

 さて、結果はどうなったかと言うと、喧嘩は起こらず、かわりに二つの異なる支え壁が出来上がることとなった。

 それからブリッジトロールたちはそれぞれの壁の周囲に座りこみ、その良い悪いとやらの具合を調べ始めた。

 次の日、一方の壁の近くに座っていたブリッジトロールたちは一斉に立ち上がると、自分たちの作った壁を無言で壊し、議論はそれで決着がついた。論より証拠。彼らは自分たちの体で、自分たちの理論を証明してみせたのだ。

 ブリッジトロールたちが怪物だって?

 とんでもない!



 さて、騒音に満ちた建築現場のど真ん中で、イムカナイが行った最初の授業はどのようなものであったのか?

 それは彼が聞き役に徹することであった。

 我が輩がどの程度の知識を持っているのかを確かめるために、彼は我が輩に身の上話をするようにと命じたのであった。習うほうがひたすら話し続けるというのも奇妙な授業であったが、我が輩は自分の体験を語り続けた。イムカナイはときどき相槌を打ち、短い質問を間に挟むことで、我が輩の記憶を鋭く引き出していった。

 我が輩の話が、荒野の中で狼の群れに囲まれたところにかかると、彼は我が輩の話をさえぎり、こう言った。

「それ、少し違う。狼、誇り高い、人、襲わない。子作りの時、除く、群れ、作らない」

 イムカナイは我が輩を襲ったのは狼ではなく、野犬だと説明した。野犬は群れをなし、人でも他の動物でも見境なく襲う。強いと見れば逃げ、弱いと見ればとことん食らいつく。

 なんとも、はや。

 我が輩はどうして野犬はそこまで獰猛で貪欲なのかと彼に聞き、それが人間のせいであることを聞かされた。人と暮らして来た長い年月の間、人間は元の狼を改良し続け、命令に忠実な、そしてずる賢く、なおかつ獰猛で貪欲な生物を作り続けて来た。狡猾でしつこい性格の犬だけが残され、次の世代を産む。その結果が我が輩を襲った野犬の群れであるのだと。

「人間、触れるもの、みな、歪む。イムカナイ、それ、悲しい」

 本当に辛そうにイムカナイはそれを喋った。イムカナイの言う人間という存在が、我が輩の種族のことを示しているのか、それともこうして喋ることのできるすべての知性ある存在を示しているのかは、とうとう最期までわからなかった。

 その日に続く三日というもの、我が輩はずっと話を続けた。それからイムカナイは考え、決定し、我が輩の教育を開始した。


 イムカナイの性格は極めてねばり強く、物覚えの悪い我が輩を決して叱ろうとはしなかった。

 建築現場に行くと、そこには毎日のように新しい石版が積まれていた。それに描かれているのは、魔法の記号、物事の歴史、魔法というものがどのように働くのか、などなど。

 読んでも読んでも、石版は尽きることがなかった。ときどきイムカナイは工事の様子を見るのを中断して、我が輩に質問を行い、我が輩の勉強の進み具合を確かめた。

 そこに積まれたすべての石版を読み終わると、彼はその日の締めくくりに、本格的に質問を開始する。我が輩はたったいま学んだ知識を元に、それに答える。

 世界がどのように四大元素により構成されているのかを我が輩は学んだ。

 多くの世界がこの世の中には同時に存在することも。

 いくつかの世界はあまりにも遠く隔たり、お互い行き来することができないことも。

 あらゆる生物が密接に関係して生きていることも学んだ。お互いが殺しあい、助け合い、生活を営んでいることも。

 魔法そのものも学んだ。それからどのように身を守るのかも。もっともその多くは複雑すぎて、とても我が輩の手に負えるものではなかったが。

 なぜ夕焼けが赤いのかも学んだ。それをここで一言で説明するのは無理だが。

 イムカナイから習っている間に、我が輩が得た魔法の知識はごくわずかではあったが、もっとも重要なことは、彼が我が輩に何事も自分で考えるという習慣を叩きこんでくれたことである。この習慣は後々、何度にも渡って我が輩の命を救ってくれることになったのであるから、彼は真に良い教師であったと言えよう。

 イムカナイの授業が印象深いものであったというつもりは我が輩にはない。学問を学ぶということは決して派手なものでなければ自由なものでもない。それは重労働には見えない重労働なのだ。

 しかし、我が輩の胸がひどく高鳴ったことが一度だけあった。

 ある日のことだ。イムカナイは剣と盾をその両手に抱えて持って来た。

「説明、する」

 イムカナイは我が輩の前にぺたりと座りこむと言った。

「これ、ウェトニクス、使う、武器。ドラゴン、倒す、ため」

 我が輩は目を輝かし、手を伸ばした。イムカナイの手がその我が輩の手を抑えこんだ。

「まず、聞く」

 我が輩は手を引っこめた。

 イムカナイは剣を指差して、説明を開始した。

 魔法の剣だ。彼の説明によるとこうだ。魔法の剣は恐ろしく重い金属で作られている。それはとても丈夫な金属なのだが、この剣一本で優に大岩一つ分の重さがあるそうだ。

 信じられない。

 論より証拠。イムカナイは剣を鞘から引き出すと、それを地面に落としてみせた。

 地響き。地面に敷かれた石畳に亀裂が走った。

 イムカナイの腕が伸びる。その太い腕が剣の柄をつかんで引っ張ったが、剣はびくともしなかった。その重量で、地面にめりこんでいる。

「ウェトニクス。この剣、持つ」

 我が輩は恐々と剣をつかんだ。なんとおそろしく軽い。我が輩は剣を目の前に掲げた。すらりと長くて幅の広い剣だ。長剣は普通片手で扱うものだが、これはそれよりも長い両手剣だ。両手剣なのに、素敵に軽い。我が輩はこの剣にみとれてしまった。

「魔法の剣。ウェトニクス、触るとき、軽くなる。ウェトニクス、振る、それにつれて、動く」

 イムカナイは説明した。

 魔法の剣。その通り。我が輩には軽く、剣を振られる側には重い。それも並みの重さじゃない。我が輩は試しにそれで、岩を打ってみた。

 岩の残骸の中から、剣を引き上げる。その刃には傷一つついていない。

 剣に鞘をかぶせると、イムカナイはそれを我が輩へと渡した。どうやら鞘に入れると、他の人間でも動かせるらしい。

「魔法の盾」イムカナイは盾を我が輩に押しつけた。

 五角形の薄い金属の盾だ。左腕にはめるための突起がついている。我が輩は盾の裏側の輪に腕を通し、その先の握りを手でつかんだ。嬉しくなるほどにぴったりだ。

「試す」そう言うなり、イムカナイは手近にあった切り出した石を拾い上げると、それを我が輩に投げつけた。

 大人の頭ほどの大きさがある石だ。冗談じゃない。当たればただの怪我じゃ済まない。

 我が輩は反射的に盾を上げて、自分を庇った。

 重い音を立てて、足下に石が落ちる。

「?」我が輩は盾を下ろした。

 何の衝撃もなかった。

「盾、魔法。ぶつかったもの、止める。衝撃、吸収」

 我が輩はこのふたつの贈り物を眺めた。

 あらゆるものを切り裂く剣に、すべての武器を止める盾。これにアンモリカルの魔法の鎧を加えると、我が輩はおとぎ話に出てくる英雄そのものだ。

 わあああおう。我が輩は心の中で叫び声を上げた。

 そんな我が輩をじっと見つめながら、イムカナイが言った言葉を、我が輩はろくに聞いていなかった。

「ウェトニクス。自分の武器。足の上、落とさない、注意しろ」




   いまでもまだ不思議に思う。

   イムカナイ本人は人間というものをどのように思っていたのだろう?

   いや、正確に言えば、我が輩のことをだ。

   彼は常に礼儀正しく、我が輩を軽蔑するような態度は見せなかった。動きは

  おっとりとしていたが、その体に宿る力は強く、実に無駄のない動作をした。

   肉体的にも精神的にも優れた種族。もしこれで、彼らが天使もかくやと思わ

  れるような美貌を持っていたら、彼らを見るたびに人間は劣等感に苛まれてい

  たことだろう。

   我が輩もそうだ。イムカナイのような優れた存在と、それでも穏やかな気持

  ちでつきあえたのは、ひとえに彼が醜かったからである。相手に欠点を見つけ、

  常に優越感を持った形でしか、心穏やかに付き合えない、この人間というもの

  の業。いや、これは我が輩だけなのであろうか?

   イムカナイのような鋭敏な心を持った存在が、この我が輩の心の動きに気づ

  かなかったわけがない。それとも彼もまた、同じような考え方をしていたのだ

  ろうか?

   これだけの年月が経っているのに、我が輩はちっとも成長していないように

  思える。

   ああ、イムカナイ。できればきみにもう一度会って教えを請いたいものだ。

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