第一章 人たるものの王国】冒険行7)幕間劇

 ここで少し、ウィリアム王時代の王国の状況を説明しておこう。

 守護王ウィリアムは、正確に言えばウィリアム三世ということになる。ウィリアム一世は建国王と呼ばれていて、王国そのものの始祖である。

 我が王国は東西に流れる川を中心において、全体を深い森と山に囲まれている。貿易路の中心にあるため、領土は小さいながらも、豊かさにあふれている。

 王国の敵は南に位置する隣国である。広大な平原を背景とした軍事力により、王国に耐えざる圧力をかけているのがこの国だ。それは現在でも同じであるが、ウィリアムニ世の時代には王国そのものへの侵入さえたびたび行われていたぐらいだ。

 その状況を打開したのが、ウィリアム三世である。彼は若い時分に一度、謎の失踪をみせ、そしてウィリアム二世の崩御寸前に、どこからともなく立ち戻った。

 ウィリアム三世として王位についた彼は、その神秘とも言われた政治手腕によって、潰れかけていた王国そのものを建て直してしまったのである。隣国の軍隊を押し戻し、国境に要塞を築き、王国経済をも根底から作り直した。

 守護王ウィリアム。国民はみな、彼をそう呼んで称えた。

 これが面白くなかったのはバルダーン公爵である。ウィリアム二世の勢力の衰えを利用して、自分の勢力を着々と増していた最中だったのである。一時は王位そのものを手に入れかけるところまで行ったぐらいだ。それが守護王ウィリアムの治世の時代には、王位どころか、一地方領主の座も危ういところにまで、追いこまれてしまった。バルダーン公爵が守護王ウィリアムを深く憎んだのは想像に難くない。

 守護王ウィリアムの治世が磐石のものかと思われたその時、なんとウィリアム王は二度目の失踪をしたのだ。

 王国は混乱のただなかに落ち、国境ではまたもや隣国が無気味な胎動を始めた。

 空白の王位を求めて、バルダーン公爵始めあらゆる領主が叫び声を上げたとき、いち早くその席についたのが、ウィリアム王の親友であり、よき助言者のブランザックであった。彼は王位には関心のない人物と思われていたので、この彼の変貌には誰もが驚いた。

 結論から言えば、王国は分裂を逃れることができた。バルダーン公爵を代表とする諸勢力は抑えこまれ、以降長きに渡って細々と反逆の狼煙をくすぶらせることとなった。

 不安定な台座の上の長期に渡る王位。それを支え続けて来たのは、ウィリアム王時代に作られた両頭王国騎士団の王座に対する変わらぬ忠誠であった。

 そしていま、我が輩はバルダーン公爵に担がれて、その牙城へと乗りこんでいくのだ。

 いや、正確に言うと、引きずられてだ。


 王城は切り立った崖の上に建てられた巨大な要塞であった。

 いや、そのときの世慣れぬ我が輩の目には、とてつもなく巨大に見えたということだ。その後、各地を巡行したおかげで、いまの我が輩にはもっと大きく壮麗な城がこの世にはあることを知っている。美そのものとしか形容のしようがない建物の数々も知っている。

 それらの城と比べれば見劣りはするだろうが、それでもこの王城のことを敢えて表現するならば、この言葉が当たる。

 峻厳。

 この王城は元来が要塞として作られたものであり、それが王城として使われ続けているのは、ひとえに我が国を狙う隣国の存在ゆえであった。初代ウィリアム王の時代には、この王城付近まで敵軍が寄せて来たことがあり、それ以来、王はこの城で日々を過ごすことが伝統となった。

 やがて王城から川を挟んだ対岸に、都市が発達した。

 王都である。いまではそれは大きく膨らみ、王国の首都として恥ずかしくない規模へと成長している。王都を貫く形で貿易路は開け、川と街道の交わる場所として、王国でもっとも賑わいを見せる場所となっている。

 しかしその中にあっても、やはり王城は要塞そのものの姿を崩すことはなかった。

 城を構成する東西南北の四面の内、二面は川を見下ろす形で崖に面している。残り二面の内、一面は崖となって深い森の上に君臨し、最後の一面は恐ろしく切り立った巨大な岩が突き出して終わっている。この大岩は城の頂よりも高く空に向けて突き出しており、城の囚人たちの信じられないほどの長年に渡る努力の末に、その岩の中にはトンネルが掘られ、尖塔として突き出している岩の頂上へと続いている。戦の際にはこの岩の頂上から敵の様子を見る仕掛けである。こうして四方を天然の要害で囲まれた城は、難攻不落の要塞として、我が国の防衛の最深部を担っているのであった。

 我が輩の目には、この王城はまさに死に場所と見えた。

 バルダーン公爵に連れられて我が輩が王城に到着したころに、ちょうど天候が崩れ始めた。季節外れの大嵐がやって来ていたのも手伝って、昼だというのに王城は暗雲に包まれて、闇と雷鳴に満ちあわれた空に向けて黒々とそびえ立っていた。王城の一角を成す突き出した大岩に雷が落ち、稲妻の光によって照らし出された王城の異様なシルエットが、我が輩の目に焼きついた。

 我が輩の周囲はバルダーン公爵の配下に固められていて、それは我が輩を守るためというよりはむしろ、我が輩を逃がさぬためのものであった。ご丁寧にも、我が輩はこの王城への旅の間ずっと鎧を着せられたままであったが、剣と盾は取り上げられてしまっていた。

 王城で行われる予定の宮廷会議に備えて、我が輩の鎧は磨きたてられてはいたが、それでも我が輩の心は晴れるものではなかった。

 雷鳴が轟き、やがて大粒の雨が天から降り注いできた。たちまちにしてそれは豪雨へと変わり、バルダーン公爵率いる軍勢を白い帳の向こうへと隠してしまう。大勢の人間が雨宿りできる場所を探して右往左往している中で、我が輩はバルダーン公爵に呼ばれて、彼の馬車へと歩いていった。我が輩の背後を歩いている護衛たちは、いつでも抜けるように剣を構えている。王城を前にして、もし我が輩を逃がしでもしたら、バルダーン公爵に八つ裂きにされることは確実であったから、彼らも必死であった。

 鎧の中に冷たい水が流れこむ。彼らは我が輩が濡れないようにとの配慮さえもしなかったのだ。四面すべて敵なり。そんな言葉が浮かんで来た。

 あと一刻もすれば、我が輩はあの王城の中で、ブランザック王と対決することになるのだ。そのとき我が輩の背後には、バルダーン公爵が毒塗りの短剣を持って座ることだろう。狼の群れに囲まれて、まさに絶対絶命の状態におかれるのだ。そう思うと、恐怖と興奮で体が熱くなってきた。またもや死神とダンスをするのだ。我が輩が望んだことではないのだが。

 我が輩が目指すのは、バルダーン公爵の乗る大型箱馬車である。その箱馬車は驚くほど豪華なもので、周囲を見事な軍馬に乗った厳しい顔つきの騎士たちが護衛している。彼らはごろつきなどではない。公爵お付きの近衛兵であり、いずれ劣らぬ精鋭たちである。完全装備の騎士のみが持つ、付け入る隙のない威圧感に全身が包まれている。

 我が輩が馬車の中に入ると、そこにはバルダーン公爵とその息子のニコラスが仲良く座っていて、そのニコラスときたら露骨に嫌な顔をして我が輩をにらんでいた。

 我が輩は無言で彼の向かい側の席に座った。もはやいつわりの親近感などどこにもない。我が輩の脱走こそが、その真意をすべて物語っていたからだ。

 しばらくそうして我が輩とにらみ合ってから、ニコラスは言った。

「いまお前が座っている飾り布が、いったいいくらするものなのか知っているのか? 泥でもつけたら、お前のその喉をかき切ってやるからな」

 ここまで来れば我が輩には逃げる道はなく、後は彼らが裏切るまでの間の共犯者として、王位を巡る陰謀劇に荷担するしかないわけである。おだてる必要はすでになく、彼らとしてはただ我が輩を脅しつければいいのだ。

 そのような態度を見て、我が輩はここで初めて、彼らに対して激しい怒りを覚えた。

 我が輩の出自は農夫であり、彼らは生れながらの貴族であった。だが、その彼らの品性下劣さはどうであろう。

 我が輩は長い間、騎士となることを夢見ていた。惨めな貧乏暮らしと飲んだくれの親父に殴られる毎日の中で、おとぎ話に聞いた騎士になることこそ、我が輩を退屈で苦しい日常から救い出し、己の魂を高める唯一の道と信じこんでいた。

 では騎士はいったい誰に仕えるのか?

 領主である。

 その領主の見本が、いま我が輩の目の前にいる、このバルダーン公爵である。我が輩は突然馬鹿馬鹿しくなった。かってアリョーシャ神父が我が輩に言ったことがある。彼らの着ている服に対して敬意を払うのではなく、その中身に対して敬意を払え、と。確かにその通りである。

 我が輩はまだ金属の小手をはめたままの手を伸ばし、馬車の窓にかかっている実に高価そうなカーテンを触った。ずぶ濡れの小手から染み出した水がカーテンを汚すのを見て、公爵とその息子の顔に怒りの色が浮かんだ。

「とてもきれいな布だ」

 我が輩はそう言った。もはや、事ここに至っては、バルダーン公爵のご機嫌取りなどしても無意味である。ささいな損失に対して彼らが怒りを見せるそのことが、少しだけだが我が輩の溜飲を下げた。

「手を放せ。この下郎!」

 ニコラスが身を前に乗り出すと、我が輩の手をつかみ、カーテンから引きはがそうとした。我が輩は逆にその手をつかみ返し、そして力をこめて握りこんだ。

 我が輩が畑でクワを振るうようになってから、すでに何年になっていただろうか。大して力を入れた覚えもなかったが、我が輩の金属の小手の中で、何かが砕ける感触が伝わってきた。ニコラスが叫び声を上げ、奇妙な形にねじれた手を抑えてうずくまった。

 いったい何が起きたのだ?

 我が輩は困惑していた。貴族の手の骨はそこまで脆いのか?

 公爵が叫びを上げると、窓の外であわただしく動く何かの音が聞こえた。

 その後に起きたことは我が輩の理解の範囲外であった。いきなり馬車の入り口に騎士が一人現れたかと思うと、手にした剣を我が輩目掛けて突きこんで来たのである。

 我が輩は無意識に手を上げると、その剣をつかんだ。金属の小手が剣を包みこみ、それからあっさりと剣が折れた。

 まただ。我が輩はあきれた。公爵の兵士はどれも、錆びた安物の剣を使っているものと見える。これで戦になったら、いったいどうするつもりなのだろう?

 騎士の顔が驚愕に歪むと、馬の腹に吊るしたもう一つの武器へと手を伸ばした。

 まずい。そう思った途端、我が輩は行動に出ていた。手にした剣の破片を騎士目掛けて投げつけたのだ。それは騎士の兜の横に命中した。派手な音が響き、気を失った騎士が馬から滑り落ちる。

 それを合図に、一斉に他の騎士たちが雄叫びを上げた。暗雲に包まれたままの空を目掛けて、彼らの手にした槍と剣が突き出される。騎士たちが我が輩を殺そうと殺到して来た。

 視界からすべての色が消え去る。

 もう、どうにでもなれ。我が輩は雨の中に飛び出すと、こちらも戦いの雄叫びを上げた。

 おとなしいアンガス。平和主義のアンガス。農夫のアンガス。それらはみな、どこへ行ってしまったのか?

 殺意が心を満たすと、全身に力が満ちた。装甲された両腕を大きく開いて、我が輩は迫って来る騎士たちの前に立ちはだかった。

 進むも死、引くもまた死ならば、よかろう進んでやる。

 馬上で剣を振り上げながら、騎士たちが迫る。

「止めんか!」大音声が轟いた。

 騎士たちの動きがいきなり鈍くなり、剣が納められた。

 我が輩の背後には巨体のバルダーン公爵が立っており、降りしきる雨を物ともせずに、我が輩と騎士たちの両方をにらんでいた。

 普通の音と色が我が輩の感覚に戻って来る。自分がひどく緊張していたことに、我が輩はいまさらながら気がついた。膝の震えが止まらない。

 バルダーン公爵が言った。

「落ち着いて貰おう。アンガス殿。息子の失礼は謝る」

 公爵は馬車の床に腕を押えてうずくまっていた息子を抱き起こすと、外で待機していた護衛の兵士たちに引き渡した。心配顔の騎士たちを無理して遠ざけると、今度は我が輩一人を馬車の中に引きずりこんだ。

「儂は少しばかりそなたを見損なっていたようだ。失われたウィリアム王の鎧を、偶然手に入れた田舎者の若造と考えていたが、今の技と言い、その恐るべき腕力と言い、それこそまさに、ウィリアム王が戦場で見せた奇跡の力と同じもの。古くなった城壁のことは偶然と思っていたが、とんでもない間違いであった。アンガス殿。そなたは本当にウィリアム王の息子であったのだな」

 こんなときに、人は何と答えれば良いのか?

 それがわからず我が輩はただ押し黙っていた。そんな我が輩の態度を見て、バルダーン公爵は勝手に勘違いしたようであった。

「やはりそうか。それならば話は早い」

 そこでがらりと口調が変わった。

「いいですか。王子さま。改めて、儂と手を結ぶのです。ブランザックめは実に腹黒い男で、おまけに王位に対する執着は並み大抵のものではない。いかにウィリアム王譲りの奇跡の力を持つ王子さまと言えども、一人では王位を取り返すことなど無理な相談というものですぞ」

 ここまで言うと、公爵はその分厚く肉のついた両手をこすり合わせた。そうしてから我が輩の顔を値踏みするかのように見つめた。

「王位に関しては儂に任せてくだされ。きっと王子さまの元に取り戻して見せましょう。その代わりに国を治める方法については、是非とも儂に手伝わさせてくださいませ。失礼ながら王子さまには国を治めた経験はありますまい。宮廷政治とは複雑にして扱い難いもの。儂の手助けがあればそれもうまく行くことでしょう」

 今まで我が輩に対して見せていた傲慢さは、どこに行ってしまったのであろう。我が輩はほとほと呆れた。王位を追われたブランザックの始末がつけば、次は我が輩の番だと考えていることを、我が輩は知っている。しかし、ここは公爵の目論見通りに動くしかないのだとは、我が輩にもわかっていた。我が輩を訪れた一瞬の激情は去り、冷静な頭が戻ってきていた。

 我が輩は何に答えるでもなく、ただ頷いた。我が輩の狙い通りに、公爵はそれを自分の都合の良いように解釈して満足した。

「よろしい。これで契約は成立ですな。これよりはできる限り儂の言葉に従ってくだされ。何分、偽王のブランザックめは狡猾にして冷酷、下手に隙を見せようものならば、間違いなくそこを突いてきましょうぞ。ブランザックと戦うために、儂も準備はしてきましたが、十分とは言えないかもしれませんのでな」

 これ以上、この馬車の中でバルダーン公爵と一緒にいることには耐えられない。我が輩は馬車を出ようとした。

「あ、お待ちを。王子さま」バルダーン公爵が呼び止めた。「少しの間だけ、鎧を貸してくださいませ」

 なんと、我が輩の鎧を?

 少し逡巡した後に、我が輩は鎧を外して、バルダーン公爵に渡した。雨はすでに収まりかけていて、その代わりに風が吹き始めている。

 バルダーン公爵はすばやく我が輩の鎧を探ると、満面に笑みを浮かべた。

「ああ、ありました。ありました。この鎧には隠しポケットがついていましてな。もうずいぶんと前になりますが、ウィリアム王が使っているのを見たことがあります」

 その指が何かを鎧の中から取り出した。きらりとその表面が光る。金貨だと、我が輩は見て取った。王国で使われているものではない。奇妙な紋章の入った、見たことのない金貨だ。

「ほほう」バルダーン公爵は口笛を吹いた。「金貨ですな」

 見つけた金貨をいつも自分の胸にぶら下げている皮袋に放りこむと、バルダーン公爵はそばに置いてあった小箱から一通の手紙を取り出して、それを鎧の内側に滑りこませた。

 我が輩の疑問の視線に気づくと、公爵は軽く笑ってみせた。

「ちょっとした仕掛けですよ。王子さま。ブランザックめを王座から追い落とすための。そりゃ、やつは否定するでしょうが、これが動かぬ証拠となり、代わりに王子さまが王位につくことになります」

 バルダーン公爵は鎧を前後に回して見ると、言葉をつないだ。

「実に美しくも見事な鎧だ。ウィリアムがこれをいったいどこで手に入れたのかがわかったら、儂も自分用の鎧を注文しただろうに」

 バルダーン公爵に鎧だって? 我が輩は彼の巨体をあらためて見た。巨大な体躯に、驚くべき量の脂肪。この体に見合う鎧とくれば、いったいどんな代物になるのだろう。

 恐ろしい想像が浮かび、我が輩は頭を振ってそれを消し去った。冗談じゃない。それはもう鎧と呼んでよいような物じゃない。

 我が輩は自分の鎧を取り返すと、それを着こんだ。

 この鎧の胸の中に、バルダーン公爵が偽造した証拠とやらが入っているかと思うと、気持ちが悪かった。

 軍勢が動き始め、王都への門をくぐる。

 ついに始るのだ。虚々実々の宮廷戦争が。

 我が輩に取っての問題はただ一つ。ブランザック王とバルダーン公爵。そのどちらに味方するのかだ。




   何事もない日常にこそ、すべての鍵がある。事件と事件の隙間にこそ、すべ

  ての答えは潜む。

   注意して見ていたならば、そのときの我が輩でも気づいていたことだろう。

   この一瞬、その一瞬。運命は交錯し、その前兆を示す。

   ブランザック王は王城の中にて、ただひたすらに我が輩が現れるのを待って

  いた。

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