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天麻の語った話は、一言一句、普人を構成する事実であった。なぜ、そんなことを知っているのかと、いまはもう聞く必要は無い。
「先ほど聞いていたな。私がなぜ君を選んだのか――」
「いや」と、普人は拒否する。「もうわかっている。言わなくてもいい」
しかし、普人の僅かながらの抵抗は、虚しく振り払われることとなる。
「私は怨念だ……俗な言い方をするならば、君に取り憑いている。君の中にも人間社会に対する恨みがある。だからこそ君を選んだ」
はっきりと言語化されてしまい、普人は冷や汗が流れてくるのを感じた。
普人がこの仕事に選ばれたのは、怨念に取り憑かれるだけの素質が、自分の中にあったからに他ならない。
普人は、先ほどの自分の問いかけを思い返していた。
……あのとき、タイミング良く天麻さんが現れたのは偶然だった?
「偶然ではない。運悪く〝彼ら〟と獲物が被ってしまった」
思い返していただけにも関わらず、返答は天麻の口から言葉となって返ってきた。ここで言う獲物とは、どう考えても普人のことである。
なんと言うことだ、考えていることまで筒抜けらしい。普人はただ、絶句するしかなかった。
天麻は構わず話を続ける。
「君は挫折し、社会へ参画することを辞めた。賭博で生活費を稼いで、人と関わらずに、社会に貢献することもなく生きている。だが、そうやって金を稼いで、いったいどうなる?」
普人は内心、ひどく混乱していた。それすらも、目の前の男はわかっているのだろうか。そこに思いを致すと、ますます焦りが生まれてくる。
「僕は生活をしている。当たり前だろ、人間なんだから」
問いかけにも、そう答えるのがやっとだった。
「それだけだ」と、天麻は言い放った。
「充分でしょう。それ以上は贅沢だ」
言葉を使って反論すれば反論するほど、天麻は畳み掛ける。
「そうだな、君は贅沢だ。君は毎日、意味も無く、数字を積み上げているに過ぎない。欲しいものはない。やるべきこともないのにだ。人間の感性からすれば、これ以上の贅沢はない」
無意味な行為に身をやつす。それが普人の今の生活なのだと、天麻はとっくに看破している。どうしてそう生きているのかさえ、彼はすべて知っていた。
「それでも、君はその道しか用意されていなかった。利他のために能力を生かせば異質だと拒否され、自利のために能力を生かせば、それは卑怯だと罵られる。君には社会を構成するものからすべて逃げて、隠れて過ごすしかなかった。それでも、人間らしい振りをするためだけに、ギャンブルや投資で金を稼いでいる」
普人が返事をしなかったのは、間違いなく肯定だった。そもそも否定をしても、目の前の男に対してはまったくの無意味だった。
確かに普人の人生は逃げ、隠れることで決定されてきた。
「君こそ表に出たらどうだ?」天麻の声は挑発的だ。「君の秀でた能力を存分に発揮して、社会をひっくり返してやろうとは思わないか?」
「別に思わないよ……」
普人は弱々しく答えた。
「弱いやつが集まって、力を合わせれば強い奴に対抗できるっていうのは、本来なら良いことなんだ。そのためには異端を弾いて団結しないといけない。そうやって作られた社会の恩恵を、僕も確かに受けているから……」
団結して相手を攻撃するという人間の性質は、弱者に向けばイジメだが、強者に向かえば抵抗である。人間は歴史上、様々な集団を形成してきた。国家という枠組みがあり、政党を結成し、起業を起こし、組合を作った。間違いなくそうやって、人類は発展してきた。
スマートフォンを触る。インターネットで競馬中継を見る。コンビニに入って物を買う。当たり前の生活の下地は、間違いなくその力に支えられている。
なんだか無性に腹が立って、普人は反論した。
「だいたい、科学の発達を利用しているのは貴方も同じだろ。電話相談なんてやってるけど、そもそも電話は人間が作った。もちろん、電気だって」
「そうだな」
「人間社会に対する怨念が、人間の作った物に頼って生きるのか?」
「仕方がない」
煽るような問いかけに、天麻はそれでも飄々と答え続ける。
普人は先ほど、天麻が口にしていたことを思い出していた。
怒り、恨み、嫉妬、軽蔑。それから――諦観。それが天麻を構成する要素だ。
諦め。それは、怒りや恨みなどの激しい感情とは矛盾するものだった。それでも、今までの話を聞けば、怨念にそれが混じることはなんら不思議ではない。
普人と同じだ。人間社会をそう簡単にひっくり返すなんて、できやしないとわかっている。
まただった。今まで電話を受けてきた怪異の誰にも、鏡のように普人自身が写し出されていた。誰の中にも、自分の一部があった。自己中心的な翁にも、自分を変えられないお姉さんにも、隠れて暮らすお兄さんにも、人間関係から脱落したカナにも。
そして今、普人は天麻の中にも自分の姿を見ていた。
「ところで、君はこの仕事をしてどう思った?」
突然の切り返しに、普人は言い淀んだ。
これは、先ほどの反発に対する反撃かもしれない。これに答えてしまっては、もう後戻りできないぞ――そう自分自身が囁いている。
だが、天麻はためらいもせずそれを告げた。
「君は、楽しんでいたな」
普人の口から、小さく笑いが漏れて、消えた。
「君は最初からすべてわかった上で、楽しんでいた」
「……だとしたら、僕は最悪の人間だね」
普人は気を取り直して、いつも通りヘラヘラと笑った。どう考えても劣勢であった。笑って取り繕うしかない。
「君はいま、自分自身で言ったはずだ。超常現象でも起きない限り、馬券を外さないと。私は驚いた……君はいままでその考えを隠していたからだ。一番最初から、君は怪異に巻き込まれているという可能性を頭の中に入れていたということを、いま自ら口にした」
普人は、指摘されてちょっとたじろいだ。
普人はもとより怪異を否定しない。お兄さんが船の奇妙な行為を呪いじゃないかと言ったときも、より可能性の高い選択肢を排除しないために否定しただけで、オカルトそのものを否定したわけではなかった。そもそも怖い話が苦手なのも、恐ろしい存在がいるかもしれないという可能性を信じているからだ。
だから最初から、普人は理解していた。
「君が相談に応えた結果、イジメを行う陰湿な村に神の天罰は下され、不貞行為に取り憑いた色情の怨念はさらに広がった。潜む海の妖怪も誰にも見つかることなく、浚われた人間もそのままだ」
怪異たちは普人に相談をした結果、納得し、そのまま在ることになった。
そう、不快さや実害を伴った、ありのままに。
「君はその結末も、予想していた。そして、その結末に納得すらしている。超常現象によって人に罰が与えられるのであれば、それは仕方の無いことなのだと」
「自己中なお爺ちゃんも、噂好きのお姉さんも、怯え切ったお兄さんも、みんなおかしなやつだけど……その正体が怪異だったら納得できるって?」
もしそうなら最悪な考え方だな、と普人はせせら笑った。それは、明らかに自嘲を含んでいた。
「貴方はまるで――僕も怪異だって言いたいみたいだ」
「そうだ」天麻は躊躇うことなく肯定する。「そもそも、怪異と人間の本質に、そこまで大きな差は存在しない。もとより人間から生まれた怪異も多い」
「お姉さんや、神社にいた〝彼ら〟みたいに?」
色恋沙汰から生まれた怨念。山で死んだものたちが奉られて生まれた神。これは明らかに人間由来の存在だ。人間の悲哀が凝縮されたようなものだろう。
「人間と怪異は、似て非なる存在だ」
いまの普人には、天麻の言葉の意図を理解できていた。
実際、普人はここで答えを得るまで、電話の相手が怪異であるということは可能性に過ぎなかった。もちろん、相手が人間であるという可能性も、同じぐらいにあったのだ。
ここで普人が聞いてきた相談は、怪異が存在しない人間社会にだって、確かに存在する。イジメ、愛憎、居場所を失う恐怖、孤独――同じ悩みを持つ人間が、怪異でないと誰が言えるだろうか。姿の見えない電話越しでは、可能性は半々だった。
「しかし、そのわずかな差で全てが決まる」
天麻の言葉に、普人はしばし考える。
ならば自分はどちらなのだろうか。人間に生まれて、怪異のように扱われてきた自分はどちらに帰属するべきなのか。
「……それは誰が決めるのか」
普人の小さな呟きを、天麻は聞き逃さなかった。
「今までは君以外の誰かが決めてきた。基準もなく、理由もなく」
その通りだった。本当に天麻は普人のことをなにもかも見透かしている。取り憑かれると、こうもなるのだと普人は眉を顰めた。
「大半の人間は、わからないことをわかるものに置き換えて考える。しかし、同時に不快なものや恐怖はわからないままのほうが安心できる。気持ちの悪いもの、これは自分には理解できないものであるほうが好ましいと、己から分断する。そのほうが納得できる」
人間の抱える大きな矛盾を、天麻は語る。
なぜこんなことを語るのか。それは普人自身が体験してきたことだからに他ならない。普人はそうやって、他人から断じられてきた。その過去を思い出させるように、天麻は喋っている。
「君は特異で、それ故に他人に拒否されてきた」
「そうだね」
「しかし君は、怪異の中に己の姿を見て、彼らを拒否することができなかった」
「……そうだね、そうだ」
「君はいったい、どちらだ?」
もはや、普人は認めるしかなかった。
勝負はとっくに決着していた。いくら言葉で反発して誤魔化したって、そこに意味はない。
「ああ……そうだよ」普人は、ぼそりと呟いた。「僕は確かに、この仕事が楽しかった。見ず知らずの他人の不幸こそが、僕の生き生きと活動できる糧だった。相談を受けて、悩みを解決して、彼らの正体がなんであるかわかっていながら、僕はその結果に納得していた」
そこまで言って、普人は観念して両手を挙げた。
それは降参を意味するポーズだったが、どうにも気分は晴れやかだった。隠していたすべてを吐露したという、確かな実感があった。
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