園山 普人という人間は、両親からは普通の人生を送ることができればそれで十分だと、懇々と諭されて育ってきた。

 だが、君の人生はそうはならなかった。生まれつきの恵まれた才能があった。他人を見抜く力だった。嘘や意図が読め、その先に誰がどう動くのか高精度に予想が立てられる。便利な能力だ。

 その能力をはっきりと自覚したのは学生時代だ。同年代の友人たちがあからさまな嘘に簡単に騙されたり、綺麗に彩られた偽りに感動の涙を流しているのを見て、君は不思議でしょうがなかった。やがて、違うのは自分のほうだということを、徐々に自覚せざるを得ないようになる。

 それでも、そのときの君は、自信に満ちていた。

 自分は特別なのだ、と。

 君は若かった。人間というものをまるで知らなかった。よく知っている人間は、家族と子供時代の友人のみだ。時を重ねるにつれ汚れていく人間の習性を理解していなかった。君は、自分が素晴らしいことを為せると無邪気に信じていた。

 高校生の頃だ。君は、級友がちょっとした困りごとに頭を悩ませていることに気がついた。なんてことはない。その少年は、愛用していたペンを無くしたのだ。彼はそれを探していたのだ。

 君は近くの席の少女の、不審な挙動に気付いていた。おそらく、その挙動に気がついていたのは君だけだ。君は、そのことを少年に伝えた。おそらく、ペンを持っているのは彼女だということも含めてだ。

 そしてその通り、彼女のペン入れから、少年愛用のペンが出てきた。少年は、少女を疑っていた。自分の持ち物を盗んだのではないか、と。

 君の予測は違った。少年のペンが、彼女の持ち物に紛れ込んでしまっただけだ。少女はずっと返す機会をうかがっていた。だからこそ、それが挙動に現れていた。

 だから、君はそれをそのまま伝えた。事実だったし、君なりに彼女を気遣った故の行動だった。少年は少し考えていたが、やがて諦めて引いた。

 そのとき、少女が発した言葉を、君はまだ覚えているはずだ。

「気持ち悪い」だ。彼女は君に言い放った。「どうして知っていたの」と。

 君という存在が不快で、気持ちの悪い存在なのだと、意思表明された。個人的な内心を解き明かされて、少女は君に脅威を感じた。君が自分をずっと監視していたのだと想像して、それを事実にすり替えた。人間の多くは、わからないものをわかるものに置き換えて処理する。それが正しくなくとも、それで納得できるからだ。

 それが最初だった。もちろん、次もあったし、その次もあった。幾度となく似たようなことを繰り返した。

 ほかの、ちょっとしたことでもそうだ。

 君は人と対戦する多くのゲームが得意だった。

 君は思い切って、友人に自分の才能について教えてみた。他人より見る目が優れていて、相手の考えていることが予測できる。そんな能力はゲームでは有利に働く。

 そうして、返ってきた言葉は「そんなのは卑怯だ」というものだった。

 君は自分の才能を己の利益のために生かせば「ずるい」と妬まれた。君の生まれつきの才能は「公平ではない」と非難された。

 君が善意で才能を人のために使えば、特異だと拒否される。君が才能を己のために使えば、卑怯だと罵られる。

 君はいつも攻撃された。「こいつは攻撃してもいい人間だ」と認識されると、さらなる攻撃を呼び寄せた。君の才能は狡く、そして恐ろしい。君を攻撃することには正当性があるのだと、周囲は認識した。

 そうしているうちに、君は学習した。君には能力なんてない、そういう振りをしなければ社会には受け入れて貰えないのだという事実を。

 それから君は、自分の本質をねじ曲げて生きることを選んだ。

 大学を卒業して、君は就職した。営業の仕事は好きではなかったが、就職した会社のことは気に入っていた。なぜなら、人間関係に恵まれていたからだ。面接を受けたときから、君は誰からも注目されないこの小さな職場が、素晴らしい場所なのだと確信していた。

 その会社は、上から下まで概ね善き人々で構成されていた。もちろん、嫌なことが無いわけではないが、君でも耐えられる程度だ。うまくやっていたし、君は自分の生活にようやく満足感を得ていた。

 だがある日、ひとつの分岐点がやってきた。

 社長がある一人の男を連れてきて、新しい事業計画を進めると告げた。男はコンサルタントだと名乗り、もうひとつ会社を建てて、まったく業種の違う新事業をはじめるというのだ。

 すぐに君の才能が発揮された。

 ――このコンサルタントは詐欺師も同然だ。

 男の口から言葉が出るたびに、目が揺らぐ。喋っている間、まっすぐ前を見つめているようで、視線を相手からわずかにずらしているのだ。それが男の特徴だった。嘘をついているのだとすぐにわかった。

 この詐欺師の目的は、新会社を設立して、そこでなにか悪徳を計画している。そうでなければ、嘘をつく必要はない。新会社の設立資金の出所は君の勤め先で、社長は明らかに騙されていた。

 君は考えを絞りだした。様々な手を打った。河崎という先輩やほかの上司にも相談したが、まるで取り合ってもらえなかった。君はまだ若く、物を知らない新入りだからだ。権限も発言権も持ち合わせていない。

 コンサルタントを尾行したこともあった。働いている人間にはパターンがある。自宅を突き止めるのは簡単だったが、だからどうということもない。家に忍び込むような勇気は君には無かった。

 企画は止まらない。ついに君は社長に直談判をすることにした。あの男はどう考えても怪しい、計画にはリスクがある。君が感じたことを、できる限り相手に伝わるように言葉を選んで説得した。

 だが、社長は答えた。

「園山くん、会社を心配してくれてありがとう。園山くんが会社のために熱意を持ってくれていることはわかっている。でもね、例えリスクがあっても私はそれをしたいんだ。自分の夢を叶えたいんだよ」

 君はそれ以上、なにも言えなくなってしまった。いつものように強く拒否された方が良かったとすら思っていた。現実は違う。彼は君を優しく諭した。君の展望を一切否定せずに、説得された。善き人だった。そんな善き人こそが、言葉巧みに操られ、騙され、壊されていく。

 誰にでも自由な意思があり、不幸を迎える危険性を秘めていたとしても、選べることこそが人類が必要とした尊さなのだろうが、君にとっては重大な悲劇であった。自分の居場所が崩れていく未来をどうやって耐えるのか。なにもわからないのなら、わずかな希望を胸に最期まで見届けることもできたかもしれないが、君にはわかってしまう。

 この先に起きる悲劇も、その悲劇の中を行き交う人々の気持ちも全て、君には予測が可能だった。社長が直面する崩壊と、絶望。職場を失う同僚たちの失望、困惑、そして困窮。誰も彼もが君に良くしてくれた人々だった。

 それらの苦痛をその目に受け止めることは、君には無理だった……言葉は尽くし、行動も尽くし、才能を尽くした。

 その結果、君には誰も救えなかったのだから。

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