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普人にはもうひとつだけ、確かめたいことが存在していた。
「僕は思った……じゃあ、天麻さんはなに?」真っ向から、単純な問いかけを投げつける。「こんな電話を設置した貴方の正体はなんだ?」
「なんだと思う?」そうして天麻もまた、普人を見据えた。「君なら案外、わかるのでは?」
「いや、わかんないよ。わかんないから聞いてる」
首を横に振りながら、素直な感想を口にする。
「ただ……もう少なくとも〝普通の人〟ではないと思ってるけど」
そう、話の流れからすれば、天麻もまた、超常的な存在であることが予想できる。神なのか、妖怪なのか……普人は知っておくべきだろうと思っていた。
「はっきり言うと、僕は怖い話が苦手だ」
「ああ。この前も同じ話を聞いた」
「それでも、だ。この仕事をしてきた僕には、知る権利があると思う。なにも知らないまま解放されて、いつも通りの生活に戻るなんて、できると思うか?」
せめて、真実だけでも知っておきたい。普人はそう訴えた。
天麻は椅子に座ったまま、足を組み直す。ちょっとした仕草であったが、話に本腰を入れるためだということがわかった。
「いいだろう。君にその覚悟があるのなら、話をしよう」
普人は言葉なく、静かに頷いた。
「その前に……君の言うとおり、この世には人ならざるものが確かにいる」
「やっぱり」
「そうだな。ここでは便宜上〝怪異〟と表現させてもらおうか」
怪異。説明のつかない不思議なことをそう表現するが、転じて妖怪などを指す言葉としても使われる。今の状況で使うには的確な言葉だ。
「一口に怪異というが、その実態は様々だ。そもそも人間には認知できない位の高い存在もいれば、実体を持ち人間の中で紛れて暮らす者もいる。そもそも、人間から生まれ、人間とは切っても切り離すことができない者たちもいる。そして、君の予想は概ね当たりだ。最初の電話の主は、田舎で祀られている土着の異形だ。二人目は男女の怨念から生まれた怨霊であり、三人目は海の底を居住とする妖怪だ」
そして、四人目は怪異の謎を追いかける人間だった。彼女だけが名乗ったのも、人間の常識の枠内で生きているからに他ならない。
「正直に言おう。いまさっきの電話で、君が誤魔化しで我々を守ってくれたのは、大変助かった」
「一応、雇い主なので」
普人は舌をちょっと出して、おどけて見せた。
もっとも、普人があの出任せを口にしたのは、イガラシを怪異から遠ざけるため、そして怪異からイガラシを遠ざけるためである。あの出まかせは、彼女を現実に引き戻したはずだ。ああ告げれば、彼女は二度とこの電話を調べようとはしないだろうと踏んでのことだった。
「怪異とは、伝説や伝承として語られるような存在だ。超常的な能力や特性を備えている者も多い……にも拘わらず、結局、この世界の支配者は人間になった。概ね、数の力によって、だ。いまや怪異のほとんどが身を潜めて存在している。世界のあらゆる場所にまで人の手が加えられている中で、我々の居場所は少ない」
普人は、お兄さんからの相談を思い出していた。海中で長時間の活動ができる能力を、通常、人間は持ち得ない。
それであるにも関わらず、いまや海底ケーブルは海溝にも設置されている。無人機が海中で設置作業を行うのだという。何千メートルの深さまで、人の手が降ろされているのだ。海だけではない。空には飛行機が行き交い、もっと高い場所には衛星があり、地球を高みから、そのすべての景色を見下ろしている。人の目を掻い潜って隠れるのも一苦労ではないだろうか。
「個がどれだけ強大な力を持っていたとしても、数では劣り、組織的活動もできないとなれば、片隅に追いやられるのは時間の問題だった。我々は、人の目に入らない場所で生きるか、人の目を欺きながら社会に潜んで生きるか、そのどちらかしか選択肢がない」
話を聞きながら、普人は何気なしに思ったことを口にした。
「怪異はさ……人間の前に姿を現そうと思わなかった?」
その問いを聞いて、天麻は眉をひそめていた。
怒っている、という直感が走って、普人は慌てて付け足した。
「妖怪とか、幽霊とか、そういう超常的な存在がいきなり出てきたらびっくりするし、世界は根底からひっくり返る。ただ、それもひとつの手なんじゃないの?」
実際、イガラシのように怪異の存在を追いかける人間がすぐ近くまで迫っていたのだ。全てを明らかにするというのは、ひとつの手段ではないだろうか。
もし、怪異などという存在がいたとしたら、とんでもないちゃぶ台返しだ。政治、学問、宗教、文化、人間の持つありとあらゆるものが混沌に陥るだろう。
「馬鹿馬鹿しい。それだけはあり得ない」
だが、天麻の語気は強かった。
「それをすれば、我々は人間の『解釈』に取り込まれる」
「解釈……」普人はその言葉をかみ砕いた。「ああ、つまり、怪異がナントカ科ナントカ属ってカテゴライズされるわけだ。それがいやなわけ?」
「大変、不快だ。我々が人間の価値観に組み込まれると言うことは、絶対に認められるものではない」
もし、怪異が当たり前のように人間社会と共存するならば、怪異とは一体なんなのか――という事実を、人間は探求しはじめるだろう。科学的にも調査するだろうし、その結果は学術に組み込まれていく。それは人間が怪異に食われるのではなく、怪異が人間に飲み込まれるのと同意義なのだと、天麻は言っているのだ。
さらに彼は、嘲笑するように続けた。
「それに、人間こそ、我々の存在を決して信じない。怪異は隠れているが、実際はそう完璧なものではない」
「イガラシさんも、ここまでたどり着いていたからね」
「誰にも説明できない不可思議な話や怪談は、どの時代、どの場所だろうが常に存在している。だがそれは、人間にとって作り物であり、偽りだからこそ受け入れられているにすぎない」
いま隣に立っている人間が「自分の正体は実は幽霊である」と言い出したら、どれくらいの人間がその事実を丸ごと信じることができるだろうか。身の毛もよだつ姿の化け物が目の前に現れたとして、逃げ出したり石を投げたりしない人間がどれだけ存在するだろうか。
「怪異と人間が、相容れることはない」
わかっているはずだ、とでも言いたげに、天麻は普人を見た。
「怪異の本質は、特別な能力の行使ではない。人間たちにとっての不快さこそが、我々の本質なのだ」
普人は今までの電話相談を思い返していた。
自分の損得と気分で天罰を下す、理解の範疇を超えた怪異。
他人の色恋沙汰を覗き、楽しむ、不快な怪異。
人間とは生きる場所も違う異端の怪異。
孤独から人を攫っていく、実害を伴う怪異。
彼らは一様に、不快で、理解ができない、恐怖を催す存在だった。
そういったものはこの世に存在しない、という前提で社会は成り立っている。そういったものはこの世に存在してはいけない、という共通の規範の下で人間は生きている。
もし、人間と怪異が共存する方法があるとすれば、彼らの本質をねじ曲げ、人間の価値観のもとに矯正するほかない。正しい行動と思想を持ち、不愉快さを排除し、誰にでも理解ができる易しい存在へと生まれ変わらせるのだ。
だが、怪異には絶対にそれはできない。存在意義そのものを揺らがす行為である。
彼らを表現するならば……そう、弱者だ。個体として圧倒的に強者であっても、現代社会においては存在が成り立つ余地がない。
「私は、我々を人間の勝手な解釈に当てはめる事に反抗し、淘汰にも反抗する」
そう告げる天麻の言葉は、高らかな宣言のように聞こえた。
それから、彼は普人をじっと見た。いいか、よく聞け。天麻の瞳は、そんなことを言っているような気がした。
「私の正体は――怪異たちの、人間に対する怨念だ」
「怨念……」
「……そうだ。人間に対する怒り、恨み、嫉妬、軽蔑。それから――諦観」
最期の言葉を出したとき、天麻は瞳を伏せた。
お姉さんが男女の色事から生まれ、神社の〝彼ら〟が山で亡くなった孤独から生まれたのなら、当然別の感情からも怨念が発生してもおかしくはない。
人間の社会に対する恨み辛みが、意思をもって活動している。それこそが、天麻の正体なのだと言う。
半信半疑のまま、普人は尋ねた。
「……どうしてこんな電話を作って、僕を働かせるんだ?」
「それしかなかった」
人間に対する怨念が、なぜ電話相談などしているのか。聞けば聞くほど疑問が湧いてくると言うのに、天麻の答えはそれだけだった。
普人は、妙に落ち着かない気分であった。
こんな現実離れした話を、大真面目にしている。頭は冷静に動いているが、まるで夢か幻想の中にいるのではないかという疑問も、片隅で生きている。
それでも、自分の考えが行き着いた終点に、嘘を述べない男から肯定が返ってきたのだ。どれだけ常識が拒否したとしても、これが真実なのだろう。
ふと、天麻が口を開いた。
「……私からもいいだろうか?」
「なに。珍しいね」
天麻がなにかを聞きたがるというのは、珍しいことだった。なぜなら、この男は普人のことをなんでも知っているはずだ。
彼が怪異であるとしたら、今までの監視もすべて理屈では説明できない能力のおかげなのだろう。それなら防げないのも気付かないのも当たり前だ。
「君が私の正体を解き明かしたように――私も君の正体を解き明そうと思う」
普人はぎょっとして、反論した。
「正体っていっても、天麻さんには全部筒抜けでしょ?」
「では、正体という単語を本質と置き換えよう」
そうして、天麻は聞いたことのある話をする。
「君の名前は、園山 普人。二十四歳。九月二十二日生まれ。大学を卒業後は就職するが、一年前に退職してから現在に至るまで無職だ。しかし、資産はそれなりに保有している。有価証券類が合計で二千万。現金が二百万。すべて競馬で当てた金だ。それで、今は悠々自適な日々を送っている。それから……」
初めてアパートに連れてこられた時、面と向かって普人の経歴を当てられた。そのときの言葉を丸々繰り返している。そのときは続きを遮ったが、今回、天麻はそのまま話を続けた。
「それから、君には生きる意味も、目的も見えていない」
普人は、言葉を発しなかった。
「君はどこまでいっても社会に馴染めない。今まで何度も、普通の人間と同じように社会に参加しようとして、幾度となく努力を繰り返し、そして挫折した」
天麻の語りは淡々としていて、感情が乗っていない。まるで紙に書かれた説明を読むように、情報を述べているに過ぎない。
普人は脈絡のない図鑑や辞書に囲まれていることに、今さら不思議な圧迫感を覚えた。今すぐに本棚が倒れて自分に襲いかかるのではないかと思うほどに。
「これから、園山 普人という人間の、過去の話をしよう」
机の上にも、天麻の腕の中にも、いつだって一冊の本もない。それでも天麻の中には普人の情報の紙束が確かにあって、いままさに、そのページがめくられている。
普人には、それを止めるすべを持っていなかった。
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