終章・1

   

「……という感じの内容でさ。今回も相談は無事に解決した」

 つい先ほど終わったばかりの電話相談について、普人はいつものように天麻の書斎に赴き、必要があるのかどうかもわからない報告を上げていた。

 今日は天麻も、朝から部屋の中にいたようだった。今日でこの相談が解決すると、ある程度予測がついていたのだろう。いつもの椅子に深く腰掛け、普人を見据えていた。

 事のあらましを聞いて、天麻が注目したのは意外な部分であった。

「オカルトサイトの企画とは、よくそんな出まかせが口から出るものだ」

「嘘でも相手が納得すれば解決、って言ったのは天麻さんだし」

 先ほどの相談で、普人はひとつ相手に嘘をついた。

 この電話は不思議な話を集めるために、オカルトサイトを持つウェブ企画会社が運営をしている……という、全くゼロから生み出したでたらめだ。

 イガラシは話に納得して、おそらくもう、ここに電話をかけてくることはない。彼女はこの電話の存在自体を疑っていたようだが、それも解決したということだ。

「天麻さんにとっても、そのほうが良かったでしょ」

 天麻はしばし押し黙って、本革のチェアに深くもたれかかった。なにか考えているようで、その切れ長の瞳を伏せている。

「……ご苦労」

 意外なことに、出てきたのは労いの言葉だった。それから、天麻は続けて言った。

「これからのことについてだが」

「これからのこと?」

 思い当たることがなく、普人は鸚鵡返しした。

「君は四つの相談を解決した。ひとつにつき百万円。君の借金は五百万だったが、最初に百万の封筒を受け取っている。つまり、これで借金は完済だ」

「ああ」と、言われて普人は納得した。

「気が付いていなかったのか、君らしくもない」

 天麻はようやく目を開けて普人を見た。

「だが、その前に」と、続ける。「君のほうからなにか話があるんじゃないのか?」

 まさにその通りだったから、普人は驚いていた。

 だが、彼からそう切り出したということは、話を聞く用意があるということだろう。普人は素直に話を進めることにした。

「この仕事について、聞いておきたいことがあってさ」

 聞きたいこととは、まさに今までやってきた仕事についてだ。

 かかってきた電話に応答して、相手の悩みを解決する。解決とは、相手が納得さえすればいい。真実でなくとも、道徳や倫理に反していたとしても構わないとまで言ってのける。

 不思議で、謎の多い仕事だ。どうして天麻はこのような電話を、アパートの一室に設置しているのか……その理由を普人はずっと追求していた。

 だが、四つの相談を解決し終わったいま、ある想像に思い至った。

「今までの電話の相手って――殆ど人間じゃないよね?」

 直球で、突拍子もない質問を投げかける。普人自身、言葉にするのに多少の勇気が必要だったほど、あまりにも現実離れした問いかけだ。

 しかし、天麻は大して驚きもせず、じっと普人を見つめ返すだけであった。

「なぜ、そう思う?」

「や、逆にそうじゃないと話がおかしいからさ」

 普人は改めて、今まで解決してきた四つの相談を思い返す。

 その内容は、大なり小なり違和感を覚えるものばかりであった。それどころか、直近では怪奇現象まで巻き起こっている。もっとも、証拠となる写真は消してしまったので、それを証明することはできないが。

 だからこうして、張本人に確認するしかすべがない。

「あまりにもおかしな相談ばっかりで……そもそも前提がおかしいんだと考えた方が、よほど納得がいくと思わない?」

 普人は小首をかしげて天麻を見た。返事はなかったので、そのまま話を続ける。

「順番に話をしようか」

 そう言って、普人は人差し指を立てるジェスチャーをした。

「まずは最初の相談だ。後期高齢者たちのイジメだなんて……と、思うけど、それ自体は現実的な話だ。イジメは誰だろうが、どこだろうが起きるものだ。ただ、問題はそこじゃない。相談者であるおじいちゃんの行動が、どう考えてもおかしかった」

 翁はミサコへのイジメを止めるために、電話相談を利用した。しかし、その割にイジメへの介入には、あらゆる方法で否定的だった。ミサコを守ることはできないと、堂々と言ってのけるのだ。しかし、本人にイジメに加担しているという意識もない。

 その割に生け贄を選ぶと言うことには、喜んで賛同した。生け贄に嫌がらせするとまで言ってのけたのだ。

 翁は、どう考えても加害者側の人間でも、そして被害者側の人間でもない。閉鎖的な村まるごとがイジメを行うような環境、果たしてそのような存在が認められる余地があるだろうか。

「あのおじいちゃんは、そもそも村のイジメに介入できない存在だと考えればしっくりくる。じゃあ、村のイジメに介入できない存在って、逆に言えばなんだ?」

 普人は想定できる、ありとあらゆる可能性を考えた。

「何を考えてもしっくりこなかった。そこで僕は常識外れで考えた――村と言うよりも、人間社会そのものに介入しにくい存在なのだと。例えば、人間には姿が見せられない……神様や妖怪の類だ。それなら話に筋が通る。直接の抑止力にはなれないけれど、影響力は発揮できる」

「突飛な発想だな」

 どこまで本気かわからないが、天麻はそう言った。

「そうだね。でも、この説に説得力を持たせる人物がいるんだ」

 最初の相談には、もうひとり重要な人物が存在している。その人物こそが、普人をその突飛な考えに連れ出してくれた。

「イジメられていたミサコさん。彼女は、おじいちゃんの家を掃除していると言っていた。ミサコさんは足腰も悪くて、家族でもない。さらに、イジメのせいでゴミも満足に捨てられない。不思議な話だ。家のゴミも捨てられない状況の人が、他人の家を掃除する……だから、これもまた逆に考えてみる。足腰の悪い八十歳のおばあちゃんが毎日掃除する場所はどこだろう。ミサコさんはイジメを受けていたんだから、なにかに縋りたかったんじゃないのかな。それこそ、神がかり的ななにかに」

 田舎の村にある小さな神社を掃除する老婆の姿が、普人の脳裏に浮かんでいた。彼女は手ひどいイジメを受けていて、内心では神に縋り付いていた。家族も共同体も頼れない人間が行き着く先は、いつだって超自然的な存在だ。

「翁は言っていた。自分の面倒を見てくれる人はとっくにいなくなった。それが当たり前で今更どうとも思わないが、ミサコだけが掃除をしてくれているって」

 そうして、ミサコの行いと願いは意思のあるなにかに通じた。

 田舎で起きた老人たちのイジメ。別の生け贄を捧げることで解決したこの件が、途端にまったく別の物語を帯びてくる。

 救いを求めた神への祈りと奉仕、そして神からの天罰という名の贈り物。サイコロで次の生け贄を選ぶのだってとんでもない話だが、高い視点に立てば平等な選出なのかもしれない。

 次に、普人の手はピースサインを作る。

「そしておば、じゃなくて二人目のお姉さん。まあ、恋愛沙汰を面白おかしく取り上げるのが好きな人は昔から多い。けれど、あのお姉さんは常軌を逸してた。いくら恋愛沙汰が趣味だって言っても、他人のメールを盗み見てまでなんて、いくらなんでも過剰だよ。人間だったら、カウンセリングかなにかを受けるべきだ」

 しかし、彼女はその行為を悪びれもしていなかった。それどころか、自分が悪いとされていることに全く納得がいっていないという様子であった。普人が口にしたとおり、人間ならカウンセリングを受けるべきだ……本当に、人間ならば。

「……調べたんだけど、日本には文車妖妃っていう妖怪がいるらしいね。男女の色恋が綴られた手紙から生まれた怨念の妖怪なんだって。お姉さんがそれそのものだとは断言しないけど、似たようなものじゃないかと、僕は思っている」

 これもまた、話が別の顔を覗かせる。

 隠れて不貞行為に浸る男女に、とある怨念が取り憑いた。渦巻く愛憎を、できる限り長く楽しみたい。もっと面白くしたい。そういった理由から、彼女はここに電話をかけてきた。

「お姉さんにとっては、他人の恋愛のいざこざは存在意義そのものだ。だから、人から指摘されたって自分の行いを変えることができないんだ」

 さらに普人は、三本指を立てる。

「三人目のお兄さん、ここから僕の予感は現実味を帯び始めた。海で起きた謎の事件についてだ。これも、確かに事件そのものも奇妙な話ではあったけど、工作船という現実的な結末に落ち着いた。でも、どうしても引っかかることがある。それはお兄さんが長い時間、海に潜っていただろうってことだ」

 この異常なシチュエーションから、ずっとお兄さんの正体が引っかかっていた。ひょっとして喋る魚とかサメなんじゃないかとすら思ったほどだ。

 そして、それはある意味では正解だ。

「お兄さんは島に住んでいると言っていたが、話の内容はすべて海の中での視点で、上陸してからの話がまるでない。それに、ダイビングっていうのは普通、安全のために二人一組で行うはずだ。船の爆発が誰にも目撃されていないことからも、場所が結構な遠洋であることも想像できる。そんな場所で、ひとりで海に潜るなんて考えられない。人間なら自分の船だって必要なはずだ。それでも、お兄さんは自分の姿は誰にも知られていないと、随分と自信ありげだった」

 それに、彼の話には陸に戻ってからどうだったとか、なにか見たとか、島にいる別の誰かから話を聞いたとか、そういう話がまるで無かった。全ての話が水の中から始まり、そして終わっている。

「僕は思った。あのお兄さんは海中で暮らしているんじゃないかって。もっとも、電話がかかってくる以上、ずっと海の中にいるわけじゃないだろうけど……」

 海坊主、カッパ、水の中に住む妖怪の話は、島国日本では事欠かない。

 思考から常識を取り外す。そうすると、この話にも本当の姿があったことになる。

 開発により、海の底にも人間のいざこざが持ち込まれるようになって、深海に姿を隠していた怪物は慌てることになった。せっかく静かに暮らしていたにも関わらず、爆発事件が大事になれば、人間が自分の住処を荒らすかもしれない。今の居場所を捨てたとして、どこに行けばいいのか。怯え、焦燥した彼は、この電話相談に頼ることになった。

 普人は手を下ろして、天麻を見た。

「天麻さんは最初に言ってたよね。電話をかけてくる相手は、弱者だって」

「……そうだ」

「彼らは、幽霊とか妖怪かもしれない。でもそれは、見方を変えれば〝人間社会〟では真っ当に生きられない弱者なんだ」

 電話では、想像することはできても、相手の姿を見ることはできない。電話の向こう側で話しているのが異形であったって、声だけではそれがわからない。

 普人は今までずっと、人ではないなにかとやり取りをしていたのだ。

 天麻はなにも答えなかったので、話を進める。

「そして四人目……イガラシさんは――この人は普通の人間だ。ただし、妹さんがなにかおかしな事件に巻き込まれた」

 妹が肝試しの後に失踪するという、オカルトじみた相談だった。いや、終わってみればオカルトそのものだった。

 普人自身も、理屈では説明できない体験に襲われたばかりである。

「そこで、僕はこの世界には理屈では説明できない存在がやっぱりいるんだと思ったよ。怪奇現象も起きたしね」

 追いかけてくる謎の黒い人影。そして、その後の変形した写真。普人には、これらのことを科学的に説明することはできない。おそらく、どれだけ知識を積んだって、並の人間では無理だろう。

 ふと、あのときのことを思い出して普人は尋ねる。

「あのとき、タイミング良く天麻さんが現れたのは偶然だった?」

 これにも返事はなかったが、そんなはずはない。

 天麻もあそこになにかがいるとわかっていたし、あの神社の正体を普人に教えたのも、ほかならぬ彼である。

「とにかく、この世の中には、不思議な存在がいる」

 だが普人にとって、それよりもなによりも、確信を抱く理由がひとつある。

「それから――あのときの落馬は絶対におかしかった!」

 それを聞いた天麻は、珍しくちょっと面食らったような顔をしていた。

 しかし、普人にとってはこれこそが重要なことだと言っても過言ではない。初めて天麻と出会った時の競馬、あれは今思い出しても震えが起きそうだった。

 普人は、未だ納得がいかないと言った様子で話を続けた。

「これは誰にも言ったことのない自慢だけど、僕は競馬予想を外したことは人生で一度もなかった。僕は他の人より、まあ、見る目ってのがあるのは自覚してる。あれは特に自信があったんだ。超常現象でも起こらない限り、外れることはないって思っていた」

 そして、超常現象が起きた。

 不可思議な落馬だった。もちろん人間が馬に乗っているのだから、滑り落ちることぐらいあるだろう。発走直後は落馬が多いタイミングだ。けれど、流れに大きな違和感があった。

 その日たまたま見知らぬ男に賭けを持ち出され、勝負レースで都合良く落馬だなんてそんな偶然が重なってたまるものか。

 おまけにそれは今でも続いていると来ている。金を賭けたレースだけがことごとく外れるなんて、これは絶対に怪奇現象だと、普人は思っていた。

「絶対に、納得いかない。おかしいと思ったさ」

 しかし、このアパートに連れてこられて、おかしなことに巻きこれ、それどころではなくなっていった。

「もし八百長だったら、明らかにしてやろうと思って、こんな無茶な話にも乗ってきたんだ」普人は肩をすくめる。「結果は……想像を遙かに超える展開に行き着いたけどさ」

 そうしていま、普人はこの仕事の正体がなんなのか、という結末にたどり着いた。

「あの電話は――幽霊や妖怪専門の相談電話だ」

 そう考えると、レトロな黒電話も途端に趣がある。表示画面が無いことや、余計な機能がついていないことも適しているのだろうが、今まさに消えていこうとするものだから、この黒電話を選んだのではないかと、普人は感じていた。

 現代社会で身を隠して暮らす、人間ではない者たち。人間が相互扶助で生活いているように、彼らにも同様の仕組みがあり、そのひとつがこの電話だ。

 天麻はまだ、なにも答えない。

 まだ話の続きがあることがわかっているのだと、普人は読み取っていた。

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