それから、普人は無事に約束の日を迎えることができた。あれからは特に異変という異変もなく、残りの一日を過ごした。

 約束のその日、以前より少し早い時間に電話がかかってきた。相手はもちろんイガラシである。

「もしもし、こちら電話相談室」

 いつもより少し真面目に、普人は電話に応答した。

「もしもし、イガラシです」

「こんにちは」

 と、挨拶を言い切る前にイガラシの声が覆い被さってくる。

「どうでしたか、あの神社に行ってみて……」

 どうせイガラシに自分の姿は見えないはずだと、普人は肩をすくめた。あまりにも色々なことがありすぎて、あの日に起きた全てを語ることはできない。

 代わりに、普人は用意しておいたストーリーを語り始める。

「調査によると、あの神社は山で死んだ人を慰霊するためのものなんだそうです。僕もあそこにはなにかあると思います。僕は霊感なんてありませんけど、異様な雰囲気を感じました」

「そう、ですよね」

 何者かに追いかけられたことは伏せて、普人は話を続ける。実際に起きたこととはいえ、あまり話を盛り上げてイガラシを刺激するのは嫌だった。

「ほかにも曰く付きの噂を聞きました。取り壊そうとしたら、作業員が謎の死を遂げたとか」

「そんな噂が……」この話は知らなかったようで、彼女は沈痛な声を上げた。

 はっきり言って、この件は超常現象だ。現実的な路線で説明できないことがあまりにも多すぎる。

 そうなのだという前置きを終えて、普人はいよいよ本題に入る。

「ただ、カナさんが失踪した理由はわかった気がするんです」

「……えっ」

 その言葉に、イガラシは戸惑っているようだった。

 それもそうだ。いま、二人の間に齟齬が生まれている。普人が意図的に生み出したのである。化け物に浚われたと信じているイガラシと、カナが失踪した理由について語ろうとする普人。彼女を納得させるには、まず、彼女にこびりついた思考を引き剥がさなければならない。

 普人は構わずに話を続けた。

「言ってましたよね、カナさんは不思議な話が好きだったって。ひょっとして神社巡りなんかも好きだったんじゃないですか?」

「ええ、そうです。お守り集めとかも好きで」

「それなりに信仰心を持っていた」

 信仰。この言葉を現代日本で定義することはなかなか難しいのではないか。人々は神を信じない、信仰心はないと嘯くが、寺社に行けば真剣に、誠実に向かい合わなければと心を改める人も想像以上に多い。

 そして、カナもそんな一人だったのではないだろうか。

「友達付き合いだから肝試しに参加したものの、いざ神社に行って罪悪感が芽生えたんです。境内はボロボロ、ゴミが散乱して手入れもされない。そんな場所を面白おかしく楽しんで、写真まで撮影する」

 信仰心があり、真面目な人ならきっと気に病むだろう。カナはきっと、こんなことをしていいのかと強烈な罪悪感を抱いた。

「それがきっかけで、自ら失踪したって言うんですか?」

「はい」と、普人は答える。「以前から、周囲とのすれ違いを感じていた。それが、肝試しで決定的になった」

「じゃあ、どうしてカナは見つからないんです? 警察だって、ずっと捜査もしてくれたし、神社で見つかったスマホのことだってある」

 イガラシは立て続けに言った。

 だが、普人の話は、オカルト的な要素とはなんら反目するものではない。

「もちろん、あの神社で超常現象が起きたことは重要な事実です。カナさんの撮影した写真のことは説明ができません。あそこには確かになにかがいます」

 普人は、話を切り替える。

「七人ミサキという怪談を知っていますか」

「聞いたことがあります。七人で一列になって歩いている幽霊ですよね。七人ミサキに取り憑かれて殺されると、その人が列の七人目になって、先頭を歩いていた人が成仏するという……」

「今回のケースは、その類型だと僕は考えました。先ほど話したとおり、あの神社には山で孤独に死んだ人たちが慰霊されていた。けれど、時代の経過とともに、また寂しく打ち捨てられるようになった。霊は新しい仲間を求めていた」

「それでカナが選ばれたってこと?」

 イガラシは不満げな声を上げた。

「どうして、カナなんですか。ほかにもたくさん、人がいたでしょう。どうして化け物はカナを選んだんですか」

 彼女の言うとおり、あの神社は有名なホラースポットだ。ゴミが散乱しており、多くの来客が会ったことを示している。

 しかしそれらの大半は、望まざる客人だった。

「イガラシさん、行ったならわかるはずです。あそこは神社なんですから、いるのは〝神〟です。そして、その正体は死んだ人間。しかし貴方は、ずっと化け物だと表現していますよね」

 イガラシは押し黙った。

「貴方だけじゃない。あの神社を訪れる誰にとっても、あそこにいるのは恐ろしい怪物だった。でも、自分のことを怪物だとか化け物だと思う人を、近くに置きたいと思う人間はなかなかいません」

 どんなに孤独であっても、と普人は付け足す。

 いや、むしろ孤独であれば孤独であるほどそうなるだろう。たとえ幽霊だって、自分を玩具にしようとする人間を近くに呼ぼうと思うだろうか。そばに置いておきたいのは、優しい人間のほうじゃないだろうか。

「だからカナが選ばれたの? 同情するぐらいに優しかったから?」

「そして選ばれたカナさんは――自分の意思で、彼らのところへ行った」

 それを聞いてイガラシは悲鳴に近い声を上げる。

「そんな!」

 それが、普人の出した結論だった。

 彼女は決してさらわれたのではなく、自らの意思によって、彼らの仲間になることを選んだのである。

「これは、カナさんの残したメモの通りなんです。あの内容を素直に受け取るのが正しかったんだ」

 迎えが来たら自分の運命を受け入れようと思います――とは、文字通りの意味である。書き置きとは、それを読んだ相手にメッセージを伝える物だ。小難しく考える必要は無い。

 カナは友人たちと肝試しに行った。しかし、彼女は楽しむ周囲になじめずに、舞台となったホラースポット、山で死んだ人々を慰霊する神社に憐れみの気持ちを抱いた。その心に、社で奉られていたものが感応した。

 彼らは、孤独な存在だった。誰にも救われず死に、わずかばかり行われていた慰霊も時代とともに消えた。寂しさのなか、面白おかしく消費される日々が続く。

 そんななか、自分たちに優しさを向けてくれる人間が現れた。寂しい彼らは仲間を求めた。それが原因で、カナは怪奇現象に悩まされることになった。幽霊につきまとわれるようになったのだ。

 同時に、カナは生活の中で生き辛さを感じてもいた。彼女は悩んだ末に、現実よりも霊の世界を選んだ。

 その推測の全てを、イガラシに語って聞かせた。

「もうひとつ、写真についてですが」

 どう説明を切り出そうか少し迷いながら、普人は口を開く。

「あのー……、僕の知り合いの、霊能力者的な人がいて」そこで咳払いして、真剣な声に戻した。「あの写真は幽霊のターゲットになった目印で、きちんと消せば逃れられるはずだったと言っていました」

 天麻の言っていたことを、どうにかまとめてみる。それが事実かどうかはわからないが、あのとき画像が変質するという怪奇現象が起きたのは確かだ。そして、普人もあの神社に同情の気持ちを抱いていたのは間違いない。

「でも、カナは肝試しのときに写真を消したって……」

「ええ。その場で一旦は消去して――スマホの一時保存に移っていた」

 スマートフォンで撮影した写真を消すと、多くの場合は復旧可能な一時保存スペースへ移動する。いわゆる〝ごみ箱〟フォルダだ。完全にデータを消去したいのなら、ゴミ箱でもう一度操作を繰り返さなければならない。

「本当に幽霊に怯えていたのなら、どれだけ手間でも、一時保存まで確認するはずです。だから僕は、彼女が自分の意思で写真を消去しなかったんだと思っています」

 カナは、自分に取り憑いている幽霊との関係を断たなかった。もしかしたら、自分の周囲の人間と秤にかけていたのかもしれない。そして人間関係がフェードアウトしていくごとに、天秤の重りは霊のほうへ傾いていった。

「そんな……なんで……」

 電話口の向こうから、ポツポツと声が漏れ聞こえる。

「みんなあの子に優しくしてた……私は働いて、あの子は大学に行って……あの子の望みは全部叶っていたのに……どうしてなの……自分から消えることを選ぶなんて」

 言葉をひとつ発するごとに、彼女が隠していた感情が、ふつふつと音を立てて吹き出している。

「――こんなのおかしいでしょう!」

 やがて、吹き出した感情が爆発した。

 ここに来て、妹のことが理解できなくなっているのだと普人は思った。おそらく、イガラシの言葉通りなのだろう。末っ子は可愛がられるものだ。少なくとも、姉であるイガラシは妹のほうが充実した人生を送っていると信じていた。だからこそ、カナが消えたことに納得がいかず、探し続けていたのだ。

 しかし、普人は断固として告げた。

「はい。カナさんは自分がおかしいと思っていたんです。周囲が普通で、自分こそがおかしいのだと……」

 おかしい、とはどういうことを指すのだろうか。

 自分という人間が、他人と違っているというのは当たり前のことである。自分と全く同じ考え、価値観の人間なんているわけが無い。

 それでも、多数と少数というのは確かに存在している。普遍と異端もそうだ。そこに善悪がなくとも、自分がどちらに属しているのかと突きつけられたとき、苦しくなることはあるだろう。

「誰も悪くなくても、ただ、カナさんには耐えられなかった」

「カナ……」とだけ、呟く声が受話器の向こう側から聞こえる。

「あの、僕は残酷なことを言っていると思います。ですが、それだと話の筋が通るような気がするんです」

 電話の向こうで、イガラシはしばらく考え込んでいるようだった。

 しばらく無言が続いた。普人のなかでは緊張よりもやりきれなさの方が辛かった。もちろん、これは普人の想像であって、事実かどうかはわからない。それでも、普人には自分の想像がおそらく正しいということがわかっていた。

「……すみません。取り乱してしまって」

 ようやく聞こえてきた彼女の声は、傷つき、かすれていた。それでも振り絞った声が言葉を紡いでいく。

「その説は残酷ですが――確かに、あり得るかもしれません」

 その短い言葉を出すのに、どれだけの決意が必要だっただろうか。それでもイガラシは、普人の説を受け入れてくれたようだった。

 それを聞いた普人は、大きく息を吸った。最後にひとつ、やらなければならない大仕事が残っている。

「すみません、実は僕、イガラシさんにひとつ嘘をついていました」

「え?」

 イガラシにしては珍しい、素っ頓狂な、裏返った声が聞こえてきた。

 だが、普人は気にせず、そして臆さずに話を続けた。

「ちょっとクローズだから、名前は明かせないんですけど……実はここ、オカルトサイトの企画部なんです」

 イガラシが押し黙った。しばしの沈黙ののち、問いかけが聞こえる。

「……そうなんですか?」

「はい。最近はホラーが結構流行ってます。ウェブ発の企画として、怖い話や不思議な話を集めているんですよ。そのための電話相談なんです。イガラシさんも、最初はオカルトサイトの掲示板でこの電話番号を知ったんですよね。あれ、実は僕たちの宣伝だったんです」

 もちろん、いま考えたばかりの新鮮な出まかせだった。即興であったが、詰まらずに話をすることができた。

「そうなんですか……」

 そう答えるイガラシの声は怪訝そうだ。こちらを怪しんでいる素振りを感じる。そう思った普人は、畳みかけるようにして話を続けた。ここで立ち止まっては、余計に怪しまれるだけだ。

「貴方の妹さんのことも、記事にしてみましょうか。ドキュメンタリー風にして。この手の話は話題になる。もちろん名前は伏せますし、なんだったら話の細部も少し変えましょう。それでも、なにか情報が集まるかもしれない。カナさんが生きているのであれば、見つかるかもしれません」

 普人はそこまで言い切って、相手の出方を伺う。

 うーん、と唸るような声が聞こえてきて、その後はしばらく無言だった。

 考えていると言うよりも、怒りがこみ上げている。普人はそう感じていた。騙されたと思っている。けれど調査を頼んだのがイガラシ自身である以上、それを責めることもできない。そういう葛藤が渦巻いている。

「いえ、せっかくの申し出ですが……」

 それが、押し黙っていたイガラシからようやく出てきた言葉だった。

「見ず知らずの人たちに、カナのことを面白おかしく消費されると思うと……」

 言葉は変わらず丁寧だが、声には確かに苛立ちが滲み出ている。

 むしろ、その言葉を引き出したいがために、作り上げた嘘だった。きっと、この電話が切れたら、彼女は二度とここに電話をかけてくることはないだろう。

「あの」

 普人はイガラシがなにか言葉を発するより早く、引き留めの声をかける。

「これから喋ることは、運営は一切関係なく、僕が個人的に言うことです。できればイガラシさんに聞いてほしい」

「……はい」

 おそらく電話を切るつもりだっただろうイガラシが相槌を打ってくれて、普人は良かったと安堵した。

「環境が変われば、それだけで過ごしやすくなる人もいます」

「……カナのことですか?」

「そうです。今回のことは、彼女の旅立ちだったのかもしれません」

「人間に囲まれてるより、幽霊に囲まれてる方が幸せって?」

「あの書き置きを、素直に読むなら」

 あまりにも楽観的な物の見方である。こんなことを言えば、イガラシの反発も予想できる。それでも普人は語ることを止めなかった。

 電話口の向こうから、やや自嘲気味の笑いが聞こえてきた。

「そんな風に、簡単に思えたら楽になれるけど」

「でも、イガラシさんが、今までずっとカナさんを探していたのは、大事な妹だったからでしょう。彼女の自由意志を、尊重することはできませんか」

 そこで一旦、普人は言葉を止めた。自分でも、少し入れ込んでしまっているような気がしたからだ。

「すみません。突然こんなことを言ってしまって。気休めにもならないかもしれないですけど……」

「いえ、私に気を遣ってくださったのはわかります」

 それぐらいは私にも、とイガラシは続ける。逆に気を遣われてしまったと、普人は頭を掻いた。

「あの、園山さん」今度は、イガラシが普人に呼びかけた。「……本当に、ありがとうございました。それでも、確かに私の話を聞いてくれたのは貴方だけでしたから」

 それきり、電話が切れた。

 今まで受けた相談の中でも、一番長い電話だったような気がする。やりきれなさもある。この結末で良かったのかという葛藤もあるし、これ以外に方法はなかったという確信もある。せめて、妹を失った彼女の心が少しでも癒やされてほしいと、ただそれだけを思っていた。

 それから普人は、しばらく黒電話の前で考え事をしていた。

 今まではぼんやりとしか考えられなかったことが、この瞬間、はっきりと輪郭を帯びている。後は自分の中で思考をまとめ上げるだけだった。言葉を帯びなければ、思考は外へ出ることができない。どう喋って、考えていることを伝えるか。

 シミュレーションを終えて席を立つと、普人は部屋の前に立った。

 天麻の書斎だ。今日はまだ顔を合わせていない。部屋の中にいるのかいないのかもはっきりしない。いつもの如く、物音ひとつしないからだ。けれど、普人は天麻がいるという直感があった。

 普人は扉をノックして、堂々と中に向かって声をかける。

「天麻さん、報告していいかな?」

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