普人は翌日、早速レンタカーを借りて、神社を見に行くことにした。

 肝試しが行われたという夜の時間帯に行くべきか迷った末に、朝早くに出発することにした。やっぱり、奇怪な話を聞いているだけに暗くなると怖い。多少、人より頭が回るとはいえ、普人の身体機能は平均的で秀でたところは特にない。おまけに単独行動ときたら、明るい時間にすべて済ませたいところだ。

 地図アプリのナビに誘導されるままに、道路を進んでいくと、市街地を離れて県境の山へと近づいていく。立ち並ぶ店舗から圧倒的なまでに生い茂る木々へ、段々と変わっていく景色を見ていると、山道を上っていく感覚があった。それでも、きちんと舗装のされた、幅の広い道路である。だが、対向車とすれ違う頻度は明らかに低かった。それも普通車の姿はなく、大型トラックが通るのみだ。必要な物流だけが、この道を利用しているのだろうと思わせた。

 昼を過ぎた頃だった。ナビはいよいよ目的地に近づいており、少し先の道路が二股に分かれているのが見えてきた。さらに近づくと、立ち入り禁止の看板とロープが片方の行く手を塞いでいる。

 ここだと思った。普人はロープの直前まで進んで車を駐めた。分岐点からロープの前までの道路は、下手な停車帯よりもよほどスペースがある。通行も少なく、長時間車を駐めておいても邪魔にはならないだろう。普人は積んでおいた荷物を持って、徒歩に切り替えることにした。

 ロープを乗り越えて、道を進んでいく。ここも舗装はされているが、長年使われていないようで地面にはひび割れやでこぼこが多いし、道端のほうには草も生い茂っている。その割にゴミが多く、人の出入りが多いことをうかがわせた。噂になるぐらいの心霊スポットだ、来客が多いことは意外ではない。こういった現実的な風景は恐怖心が薄れるので、普人にとっては悪くなかった。

 少し歩くと、例の隧道が見えてくる。

「ここかあ」

 車が一台やっと通れるぐらいの幅があるトンネルだ。長さはそれほどでもないらしく、入り口からでも奥の方に小さく出口の光が見えている。確かに、これぐらいなら肝試しにはちょうど良さそうだ。

 普人は深呼吸してから、思い切って隧道に足を踏み入れる。反響する足音以外に、なにも聞こえない。穴に入ってしまうと昼まであっても薄暗い。スマートフォンのライトで足下を照らしながら、やや早足で道を駆け抜ける。

「絶対、夜だったら無理だった……」

 自分の判断を今日ほど褒めたいと思ったことはない。

 出口で光を浴びるとほっとするが、それでも生い茂る山の中は、静かで空恐ろしさを感じる。

 少し歩くと、また道が分かれている。分かれているというほど立派な物ではない。ガードレールが開いている部分があって、そこに下る階段がある。段差の数は十もない短い階段だ。降りた先には、舗装されていない土の道が続いている。イガラシの話では獣道と言うことだったが、実際の姿を見ると誇張された表現だと思った。道は平坦で、周囲は背の高い木々に囲まれている。曰く付きの場所でなければトレッキングにぴったりだったろう。

 木漏れ日のなかを進んでいくと、突き当たりに鳥居が見える。色のついていない、木のままの鳥居であった。もしかすると塗装はされていたのかもしれないが、経年劣化ではげてしまったのかもしれない。

 近づくと、遠目で見たときの印象よりもずっと小ぶりの鳥居であった。

 色の塗られていない小さな鳥居に、木で作られた社。社の前には錆びた賽銭箱があり、その脇に石灯籠が二つ。片方は崩れていて、とても手入れされている様子は感じない。おまけに社の扉は開けっぱなしになっており、よく見ると鳥居にはマジックで落書きもしてあった。おそらく、ホラースポットとして遊びに来た人間たちが悪戯をしていっているのだろうと、普人は感じた。明るい時間に来たおかけで、周囲にゴミが落ちているのもよくわかる。

「あんまり気分のいい景色じゃないな、これは」

 ここに来るまで、道端に落ちているゴミを見ながら進んできた。道のゴミの不快さは普人の恐怖を和らげてきたが、今はそうではない。ビールの缶、たばこの吸い殻、菓子の袋、雑誌、生ゴミ……このような場所には、あまりにも似つかわしくない。

 なにが奉られているのかわからない、馴染みもない社だが、この光景は惨めだ。普人はせめてもの気持ちで、開いていた社の扉を閉める。それから、周囲を確認するついでに目立つゴミも拾っておくことにした。ここまで来たらやれることはやっておこうと思ったし、ゴミの中に手がかりやインスピレーションの種があることも少しは期待していた。

 普人はぐるっと狭い境内を一回りしたが、目立って気になるような部分はない。

 カナは此処に来た後に失踪することを選んだ――と姉は考えているようだったが、きっかけとしてはあり得るかもしれないと、今の普人は思っていた。

 カナはこの場所に立ってどう思っただろうか。彼女は不思議な話が好きだと言っていた。今の普人と同じように、不快に感じたことだろう。しかも今と違って真っ暗な夜、肝試しの最中だ。精神的に不安定になってもおかしくはない。

 普人は腕を組んで考えてから、社に向かって手を合わせた。

 そうしてスマートフォンを鞄から取り出すと、社の写真を撮影してみる。電子的なシャッター音が聞こえて、撮影は無事に終わるが、変わった様子は見られない。画面に映った写真も、肉眼そのままの光景が収められているだけだった。

 カナが収めた写真とは、いったいなんだったのだろうか。撮影した写真が変化していたならば、撮影直後の段階で気付くはずだ。

 ともかく、普人は一通りのことを終えた。これ以上滞在していても、得られるものはないだろう。

 とりあえず、帰ろう。そう思ったときであった。

 恐怖心が薄れた頃に異変はやってくる。一度、風が吹いて木々がざわめいたので、普人は思わず社の背後の森に視線を移した。風が吹き止んでも、ガサガサとざわめきが続いている。

 ――誰かがいるのか?

 普人は瞬時に頭を働かせる。

「あの、誰かいますか!」と、先手を打って大声で呼びかけた。

 想定される人物とは誰だろう。ホラースポットに遊びに来た人、神社の管理者、なんにしろ、まともな人間なら答えがかえってくるはずだ。だが、こちらの呼びかけに返事はない。

 こうなれば、普人の取る行動はひとつだった。

 ゆっくりと後ずさりをして、タイミングを見計らって逃げる。誰もいない森の中でリスクを取ることはできない。

 普人が地面を蹴って振り返ったそのとき、物音とともに確かに黒い影が現れた。走ることに必死で、相手の姿を確認する余裕はない。

 はっきりとはしないが、後ろからうなり声のような物が聞こえる。ひょっとして熊だろうか。熊だった場合、背を見せて逃げることは悪手である。やってしまったかと不安が頭を過るが、もはや足を止めることに意味は無い。

 全速力で走り続けなければ。普人は祈りながら必死に足を動かし続けた。

 しかし、身体機能に優れた熊にしては、一向に追いついてくる気配が無い。

 追いつかれないのなら、なおさら走るしかない。距離はそこまでではないはずなのに、いやに道が長く感じる。ガードレールが見えたときは、強烈な安堵が湧き上がってきた。

 息を切らしながら階段を上りきって、おそるおそる後ろを確認する。なにも来ていない……振り切っただろうか。

「さっきのは気のせい……じゃないよな」

 少し立ち止まって、息を整えながら呟く。

 いったい今のはなんだったのか。動物だろうか、それとも人間だろうか。あのとき見えた影の正体は気になるが、とても様子を見に戻る気にはなれなかった。

 一刻も早く帰ろう、普人は休憩を切り上げて、疲れた足をまた動かし始める。

 だが、来た道を戻る以上、あの薄暗い隧道を通らなければならない。

 普人は思いっきり嫌な顔をしたが、通らないと言う選択肢はないのだ。乱れた息をできる限り整えると、意を決して駆けだした。とにかく走って、最短時間で隧道を抜けるのが最善の方法だ。一刻もはやく車まで戻らなければ。

 普人の足音が隧道中で反響している。出口までもう少し、と思ったとき、自分の足音とは違う音が混じっている事に気がつく。

 普人は気がついた。

 出口の直前に、黒い人影。逆光に照らされており、詳細な姿ははっきりと認識できないが、こちらに向かってきている。

 先回りされている!

 人影が前方にいるのを見て、思わず立ち止まった。一度立ち止まってしまえば、疲労と恐怖で震えた足を再度動かすのは困難が伴った。

 徐々に、徐々に、黒い影が普人に接近してくる。

「ぎゃあぁっ!」

 刻一刻と迫る足音のカウントダウンに耐えきれず、思わず悲鳴を上げてしまう。

 だが、近づいてきたその姿を見て、普人はもう一度叫ぶことになる。

「……って――天麻さんかよ!」

 逆光が徐々に薄れ、現れたその姿は天麻であった。

 いつぞや競馬場で会ったあのときと、全く同じ格好である。上品なスーツに薄手のコートを羽織っている。足下は革靴で、山道で出会う人間の格好ではない。

「お、お、驚かせないでよ!」

 情けなく震えた声を出す普人に、天麻はため息をついた。

「君のその叫び声のほうが、よっぽど驚くというものだ」

 彼はいつも通りの冷徹な声でそう言い放った。皮肉なことに、その態度が普人の恐怖心を急速に和らげていった。

 どうしてここに、と思ったが、それよりも先に聞くべき事がある。

「……これは、念のため聞いておくんだけど、カナさんをさらった化け物って、まさか天麻さんじゃないよね?」

 実際にさらわれた普人としては、真っ先に確認しておくべきことだった。それが山の中から出てくるのだからなおさらだ。

「違う」と天麻は言った。

「信じるからね。裏切らないでよ!」

 人差し指を天麻の顔の前まで突き出して、強調しながら訴えた。言い終わると、普人は壁に手をつけ身体を支えながら、その場にゆっくりとしゃがみ込んだ。

「あ、あ、足が震えてヤバい……」

 天麻が来たことにより安全が確保され、気持ちはようやく余裕が出てきたものの、身体はまったく追いついてこなかった。足は震え、心臓は破裂しそうなほど高鳴っている。深呼吸して、鞄からペットボトルを取り出して水を一口飲んだ。

 そこまでして、ようやく普人は重要なことを尋ねた。

「……で、なんで天麻さんはここにいるんですかね?」

「君がいるから、様子を見に来た」

「貴方が電話の内容を把握してるのは知ってますけどね、それでも、来るなら来るって言ってよ。マジでびびったから」

 教えた覚えはないが、きっと普人の携帯の電話番号だってわかっているはずだ。連絡くらい入れてくれたっていいじゃないかと、普人は口をとがらせた。

 天麻は話を聞いているのかいないのか、表情を変えず、じっと普人が来た方向――つまり隧道の出入り口をじっと見つめている。

 その様子を見て、普人は少し慌てた。

「あ、え、もしかしてなんか来た?」

「いや」と天麻は答える。「今はなにもいない」

「ビビらせないでよ……」

 足の震えが落ち着いてきた普人は、改めて立ち上がった。足がきちんと動いて、通常通り歩けることを確認して、天麻に向かい合う。

「それにしても、天麻さんが来てくれるなんて珍しいね。なんかあった?」

 と、言い終えて、思う。

 考えてみれば、なにかあったのは普人のほうだ。何者かに追いかけられて、命からがら戻ってきたという、都合のいいタイミングで現れた。

「っていうか、いつからいたの?」普人は立て続けに聞いた。「まさかとは思うけど、最初からいたわけじゃないよね?」

「今来たところだ」

 嘘っぽい、と普人は思った。彼から考えを読むことは難しく、単純に普人の直感であったが今回に関しては当たっている気がする。普人から見て、嘘をつく素振りを見せない男ではあるが、それにしても今回はタイミングが良すぎる。

 しかし、それを普人が証明することは不可能だ。そもそも、この男が関わることはなにもかもが不可解で、思考力を使うのも嫌になる。

 普人はため息をついて、考えることをやめた。

「僕は帰るけど、天麻さんはどうする?」

「私も戻る。アパートまで頼む」

「ええ?」

 普人はあからさまに面倒くさそうな顔をした。疲労困憊状態で、できれば自宅に直帰したかった。

 思い切って、普人は提案する。

「僕疲れたし、天麻さん、運転してくれない?」

「免許がなくても良ければ」

 天麻は悪びれもなく言ったが、それで運転させられるわけが無い。免許不携帯か、それとも運転免許自体を取得していないのだろうか。どちらにしろ、なんだか意外に思える。

「……しょうがないなあ」

 とはいえ、助けてもらったのには違いないので、普人は天麻の申し出を渋々請け負うことにした。

 隧道を抜けて陽光を浴びると、また一段と安心感が強まった。徐々に陽は傾いてきていて、空はうっすらと赤みを帯び始めている。

 レンタカーの前まで来て、違和感に気がついた。

 天麻はいったいどうやってここまで来たのか。普人の借りたレンタカー以外に、乗り物らしきものの姿はない。山道を上った先にある、立ち入り禁止の道路だ。まさか徒歩というわけでもないだろう。誰かに送ってもらったのだろうか。

 そんなことを考えていると、突然、ガードレールの向こう側に広がる森から一斉に鳥が飛び去った。あまりにも唐突に羽ばたきの音が響いたので、普人は驚きのあまり肩を震わせて飛び上がった。

 助手席に乗り込もうとしていた天麻も、鋭い瞳で森のほうをじっと見据えている。

 やっぱり、なにかいるのか?

 わけもわからず天麻と森を交互に見やっている普人だったが。

「はやく出た方が良い」

 という天麻の忠告を受けて、ハッと我に返った、聞きたいことは山ほどあるが、同感である。今は少しでもこの場所から離れなければ。

 普人は慌てて車に乗り込んで、発進させた。ちらりと見上げた上空では何匹もの鳥が円を描いて飛んでおり、まるで巨大な渦が巻いているようである。疲れ切った普人は、蟻地獄の渦巻きから逃れる獲物の気分であった。

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