イガラシの話す声は、そのすべてが真剣だった。ただ、そこで彼女の声は止まってしまった。感極まったというよりは、どう話そうか悩んでいるように思えた。

 普人は話を促す意味も込めて、肝心なことを尋ねる。

「なぜ、カナさんの失踪がオカルトだと?」

「……理由はふたつあります」

 ようやく声を発したイガラシは、新たな事実を開示する。

「ひとつは、後から見つかった書き置き」

「書き置き?」

「はい。カナがいなくなってから、アパートの部屋をひっくり返して、少しでも手がかりになるようなものを探してたんです。そこで見つかったのが、一枚のメモ書きです。それは間違いなく、カナの文字でした」

 彼女が言うには、書き置きにはこう書かれていたようだった。

 

 やっぱりダメだったみたい。いろいろ考えたけど、もう仕方ないし、迎えが来たら自分の運命を受け入れようと思います。きっと家族に寂しい思いをさせるから、それだけが心残りです。ごめんね。でも、私はみんなと一緒だから大丈夫。きっとこのメモを見たら心配するだろうけど、せめて家族みんながこれからも健康に過ごしてくれることを祈ります。


 率直に言って、普人には遺書のように思えたが、口にはしなかった。

 遺書にしては引っかかる部分もある。それはもちろん「もう仕方ないし、迎えが来たら自分の運命を受け入れる」という部分だ。それから「私はみんなと一緒だから大丈夫」という表現がある以上、カナの失踪に第三者が関わっているのは明らかだ。

 それでも、遺書のような印象を受けてしまうのは、人生に対する覚悟のようなものがにじみ出ているからだろう。

「どう思いますか?」

「まだ、なんともいえません。ただ、この内容がオカルトだとは、僕には思えませんけど……」

 普人は遺書だと感じたことは口にするのを避けて、そう答えた。

 ただ、第三者の存在が示唆されているにもかかわらず、イガラシがこの内容をオカルトと判断したことは不思議であった。

 彼女は、すぐにその疑問に答える。

「それには、もうひとつの理由が関係しています。カナは失踪する少し前に、友人たちとグループで肝試しに行ってたみたいなんです。それが、かなり本格的な内容だったみたいで……」

「……本格的というと?」

「――化け物が出てくる」と、イガラシは言った。「そういう、妙な噂があるホラースポットに行ったそうなんです」

 聞けば、そこは県境の山の中にある、誰も管理していない神社なのだという。なにかが出る、という噂で持ちきりで、同じ大学に通っている若者が化け物に追いかけ回されたと吹聴していたという。その話に興味を持った友人によって、肝試しが企画された。夏真っ盛りということもあり、あれよあれよと十人近いメンバーが集まり、真夜中に訪問することになったのだという。

「カナはいつも友達と遊びに行ったら、必ず私に写真を送ってくれるんだけど、その日のことは連絡がありませんでした。だから、友人に話を聞くまでそのことは知りませんでした」

 つまり、カナは家族にも肝試しのことを秘密にしていたということだ。確かに、それは引っかかる話である。

「肝試しのことは、一緒に行ったお友達に聞いたんですか?」

「ええ、カナがいなくなってから、大学の友達たちに話を聞きに行ったんです。知っていることがあれば教えてほしいと思って。そしたら、みんな妙に怯えてて……友人が行方不明になったとはいえ、すごく怖がっているというか……さすがにこれはおかしいなと思って、しつこくつついたんです」

「そしたら、その話がでてきたんですね」

「はい」イガラシは続ける。「山の中の古い隧道を通った先に、例の神社があるんですって。二人組になってそこまで行って、スマホで写真を撮って帰ってくるという内容でした」

 真夜中、真っ暗な隧道の中を、懐中電灯のわずかな明かりを頼りに通って行く。その先には、人の手が入っていない古びた神社。そんな場所にカメラを向けて、また同じ道を戻ってくる。

 結構、怖そうだな。普人は想像して震え上がった。

「それで、カナとペアになった女の子を探し出して、なんとか当時の話を聞くことが出来たんです」

「その様子だと、女の子は話をすることを渋っていたんですか」

「ええ。怖い思いをしたみたい」

 怖い思い、ということは肝試しの最中になにかが起きたのだ。話はいよいよオカルト味を帯びてきた。

 そういったつもりはないだろうが、力を込めたイガラシの声色が、まるで怪談を語るような趣があり、恐怖を際出させている。

「カナとその子は、暗がりの道を通って、神社まで無事に到着したそうです。写真はどっちが撮るか相談したら、カナが自分で進んで撮影したと。それから、怖くなったから早足ですぐに戻って、ほかの友達に確認のため写真を見せた。そしたら……写真がおかしな形に歪んでいたそうなんです」

「写真が歪む……っていうのは?」

「中心にうつっている社が、渦が巻くように歪んでいたと聞いています」

「それは……不思議な話ですね」

 普人はなんとかそれだけ言った。相談を受けている最中はいつもひとりなのだが、今だけは妙にそわそわしてしまう。

 普人は背後を気にしながら、引き続き話に耳を傾けた。

「でも、それを見た友人たちは誰も本気にしてなかったみたいです。カナが途中で写真を加工して、ドッキリを仕掛けたんだと思ってたらしくて」

 確かに、スマートフォンのカメラ機能はデフォルトでも充実しているし、写真加工アプリだって簡単にダウンロードできる。ちょっとした加工をするだけなら、数分も必要ないかもしれない。

「ただ、カナは顔が真っ青になって、すぐに画像を消しちゃったって……それで、具合が悪くなったって言って、しばらく休んでたそうです。そんなものだから、遊びに来てた グループも冷めちゃったみたいで、そのままお開きになったそうです」

 肝試しに行って、実際に不思議な現象が起きて、そのまま場が冷めるというのもおかしな話だと、普人は思う。結局、友人たちは怖い怖いと叫んで楽しみたかったのであって、真剣に怖がっている人間は場を乱すと判断されたのだろう。

「肝試しから帰ってきてからも、なにかに怯えて生活してたみたいなんですけど……そのせいで、ますます冷ややかに見られていたとか」

「そうなんですか……それは、カナさんが可哀想ですね」

 幽霊を見たという話は怪談としては好まれても、いい歳をして本当に幽霊に怯えて生活をしている人間が近くにいれば、奇異の目で見られる。肝試し後のカナの孤立は容易に想像ができた。

「肝試しでペアになった女の子だけが、その後も付き合いが続いていたようです。それからもたびたびカナの相談に乗ってたそうなんですが……あの日から幽霊がついてきている――と、カナが言っていたんですって」

「ゆ、幽霊がですか?」

「ほかにも、勝手に物が移動していたり、声が聞こえると言ったり……でも、自分で幽霊が見えるとか、霊感があるなんて嘯く人はどうしたってグループから浮いちゃうでしょう。その女の子も、カナに病院に行くように薦めて、それっきり関係がフェードアウトしていったそうです」

 普人は、話を聞いているだけで身につまされる気分になっていた。

「それで、カナさんは孤立してしまったんですね」

「まあ、もともと大学での人付き合いには、少し悩んだりしてたみたいです」

「そうなんですか?」

「確かに、あの子は気が利いて、友達も多かった。でも、そのぶんちょっと我慢をして、八方美人をしてたようなところがあるから……」

「ああ」と普人は納得する。

 そもそも、人間関係にこれっぽっちも悩みのない人間はいないだろう。関わる人間が多ければ多いほど、悩みは比例して増えていくものだ。気を遣って友人が増えれば増えるほど、さらに気を遣うようになっていく。

 普人はひとつ尋ねた。

「……カナさんには、以前から霊感が?」

「いえ。そんな話は今まで一度も聞きませんでした」と、彼女は答える。「そういう不思議な話自体は好きだったけど……だからって、あのとき肝試しに行かなければ、こんなことにはならなかったのに……」

 姉の声は複雑だ。単一ではない、様々な感情が絡み合って声に載っている。そう普人は感じていたが、そのひとつひとつを理解することは、まだできない。

 ただ、最後の声は真剣そのものだった。

「もし、化け物があの子を連れて行ったのなら――私は取り戻したい」

 それを聞いて普人は硬直する。この仕事の解決は、相談者の納得。イガラシは行方不明になった妹が戻ってくることを解決と見なしている。

 行方不明の妹を取り戻す――そんなことができるのだろうか。

 話を聞いていて、気になったことを尋ねる。

「伺いたいんですが、カナさんのスマホは部屋にありましたか?」

 いまやスマートフォンは生活必需品だ。これが無ければ生活できないという人も多いだろう。自発的に失踪しようと思うなら、必ず持って行く荷物のひとつに違いないはずだ。消したとはいえ例の写真が撮影された媒体というのも気になるところだ。

「いえ」とだけ、イガラシは短く返事をした。

「GPSとかで探索は?」

 普人は続けざまに尋ねた。いまやスマートフォンには当たり前にGPS機能が搭載され、居場所を追いかけることができる。地図アプリへの利用はもちろんのこと、無くしたスマートフォンを追跡するサービスだってある。警察が捜査をしているなら、この方法を利用していないはずが無い。

「……しました。それで、あとからスマホだけ見つかりました」

 それからイガラシは、結論を簡単に述べた。

「例の神社に、スマホだけが落ちていたんです。スマホの中のデータは、綺麗さっぱり消えていて、なんの手がかりもありませんでした」

 それきり、イガラシの言葉は止まってしまう。

 普人の思考も行き詰まっていた。肝試し、幽霊、失踪――なにから何までが不気味な話であった。

 電話で無言が続くのはどうも良くない。相手の顔が見えない分、静寂には嫌でも重みが生まれる。

「あの、できれば少し時間をいただけませんか。ちょっと僕も、いろいろ調べてみようと思います」

 普人は、そう言葉を振り絞った。今回も日をまたぐ相談になりそうだが、今聞いた話だけでは、とても相手を納得させる答えを作り上げることはできそうもない。

「よければ、カナさんの行ったっていう隧道の場所を教えてもらえませんか?」

「えっ、もしかして、わざわざ行ってくれるんですか?」

 イガラシは心底驚いた様子で尋ねる。

「はい。どこまで力になれるかわかりませんけど……」

 正直なところ、できれば行きたくない場所だ。だが、情報やインスピレーションを集めるとなれば、やはり、話の中心ともいえるホラースポットに出向くのが最適だろう。可能なら大学の友人に話を聞きたいとは思うが、カナの失踪が三年前であることを考えると、友人たちの消息を追うのに時間を割くのは厳しい。直前に周辺の人間関係が断絶していたのならなおさらだ

 もっとも手早く調べられそうなのは、やはり神社についてということになる。

「イガラシさんは、その神社に行ったことは?」

「もちろん、何度かあります」

 普人はメモとペンを用意しながら、イガラシの話に耳を傾ける。

「隧道を通った奥に獣道があって、そこを進んでいくと神社があるんです。田舎にあるような小さなものでした。森に囲まれていて、鳥居があって……私が見に行ったときは、異変もなにも起きませんでしたけど」

 それから、詳細な住所を聞いて、メモに書き込んだ。後で地図アプリで場所を確認しておくつもりだが、運が良いことに、その場所は車で充分に行ける距離であった。場所次第では泊まりがけになることも覚悟していたが、日帰りでも十分な予定が組めるだろう。

「この電話なんですけど……いつも人が出るとは限らないから、できれば三日後にでもまたかけてください。僕もそれまでに神社を見に行ってみます」

「そんなに早く……ありがとう。ありがとうございます」

 イガラシは何度も礼を述べる。

「私の話を真剣に受け取ってくれる人なんて、誰もいなかったから。こんなことを本気にしてたらおかしいよって、親にも言われて……」

 普人はイガラシの気持ちを考えて、悲しくなった。

 急にいなくなった妹、謎の書き置き、失踪前に行った肝試し。すべてを繋げたくなる気持ちは充分に理解できた。しかし、それは常識的に考えれば、まずあり得ないことなのだ。おかしい、と切り捨てられた彼女の心はいかほどに傷ついてきたのか。

「できる限りのことをやってみます」

「はい」とイガラシの声がやや明るくなる。「それでは、よろしくお願いします」

 最後にそれだけ言って、彼女は電話を切った。

 受話器を置くと、普人は報告のためにすぐさま書斎の前に立った。

「天麻さん、報告」

 と呼びかけるも、今日は珍しく返事がない。ドアノブをがちゃがちゃと動かしても開かなかった。

「あれ、ひょっとして……いない?」

 ノックをしても返事がない。今日は、朝から彼には会っていない。玄関の靴はどうだっただろうか。最近は仕事に慣れてしまって、いちいち靴箱の中まで確認していないし、朝の挨拶に返事があろうがなかろうが気にしていなかった。

「え、まじ?」普人は慌てる。「こんな怖い話のときに限っていないわけ?」

 静かな住宅街の、アパートの一室。テレビも置いていないこの部屋には、物音がまるでない。普人自身が動いたときに起きる衣擦れや足音がはっきりと響くほどだ。その静寂が、今はやけに緊張感を伴っている。

 早退しよう、と普人は即座に決意した。

「仕方ない。ドアにメモ貼って帰りますか……」

 普人はリビングに戻って、メモ用紙を取り出した。まるで生活感のなかったリビングだが、いまは百円均一でそろえた事務用品一式が置かれている。筆記用具にノリ、はさみ、電卓等、すべて普人が買い揃えたものだ。

「本日は体調不良のため早退します。明日は調査のため一日外出予定。調査費用は経費で処理お願いします」

 最期に日付と名前を書いて、テープで目立つ場所に貼り付ける。

 メモ用紙を眺めながら、普人は考える。

 書き置きというものは、相手に物事を伝えるためのものである。それなのに、カナが残したメモはすべてが曖昧に書かれている。はっきりと意思が読み取れたのは、家族への言葉だけ。しかし家族を想うのなら、なおさら自分の今後をはっきりと書かないのは変である。

 普人はメモを遺書だと感じたが、カナは自殺を考えていた訳ではないと思った。そうであればはっきりと書くはずだ。死を伴わない失踪――となれば、いったい理由は何だろう。いまはわからないだろうが、それが相談の解決に必要だろう事は間違いが無かった。

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