第四章・1
ほがらかな陽気が差し込み、暖かく過ごしやすい日だった。電話がかかってきたのは午後二時で、ちょうど眠気が襲ってくる時間帯である。ちょっとだけ昼寝をしようと、通販で買った寝袋に入ってうとうとしていた普人は、けたたましい呼び出し音にはっと覚醒すると、寝ぼけ眼のまま慌てて電話に出た。
「もしもーし、こちら電話相談室です」
「もしもし、私、イガラシというものですが」
聞こえてきた女の言葉に、普人はぎょっとして、固まった。それは、一瞬で目が覚めてしまう出来事だった。
この仕事をしていて、相手が名乗ったのは初めてだったからだ。今まで適当な呼び名を心の中でつけていたが、今回はその必要が無いと思うと感慨深い。
驚きのあまり、しばし停止している普人に、電話口の向こうから困惑した女の声が聞こえてくる。声からして、二十代ぐらいの若い女だと思った。
「あの……大丈夫ですか?」
「あ、すいません。僕は園山と申します」
考えた末に、普人も名乗った。園山という苗字から個人を特定することはできないだろうと判断した上で、相手が名乗っている以上、こちらも名乗らなければ無礼だろうと思い至った。
イガラシは、反応が返ってきてホッとした様子で、話を続けた。
「こちらに電話すると、どんな相談でも乗ってもらえると聞きました」
「まあ、そうですね。納得するまで相談に乗ることになっています」
「民間で運営されてるんですよね。どうして、こんなことを?」
またもや、相手から意外な質問が投げかけられた。
「あー、その」普人は困りながら言った。「運営者の道楽です、たぶん」
「はあ」と気の抜けた返事が聞こえてくる。「NPOかなにかですか?」
電話が鳴って、いつも通りのつもりで受話器を取ったのだが、今回の相手はまるで雰囲気が違っているようだった。
むしろ、普通である。当たり前の着眼点を今更ながらぶつけられてきた。自分の抱えている悩みを相談するのに、相手の素性がわからないというのは些か問題があるだろう。前回のお兄さんは天麻と知り合いらしかったが、まったく前提知識のない人なら、こういった疑問が出てくるのは当然だ。
しかし普人は、天麻がいったいどこの誰なのか知らないし、なぜこんなことをしているのか……考えたことはあるが、まだ確信には至っていない。
「すみません。僕も雇われなんです。雇い主のことはあまりよく知らなくて」
普人は素直にそう答えることにした。実際に知らないのだから、こう答える以外になかった。
「あ、そうなんですね。すみません、色々聞いてしまって……」
「いえ、お気になさらず」
今回の相手は性格もまともだ、と普人は妙に感動していた。名乗りを上げたこともそうだが、言葉遣いが丁寧である。人間というのは、たったこれだけのことで相手に好印象を持つものだ。
「それで、相談されますか?」
念のため、普人は尋ねる。結局、ここがどこなのか、いったい誰によるものなのか知らないままだ。決断は相手に委ねるべきだろう。
しかし、イガラシは思いのほか真剣な声色になって告げた。
「はい」迷いのない返答だった。「相談は、行方不明の妹についてです」
「行方不明?」
これはまた、大きな相談だと思った。たとえ相手がまともだとしても、この電話に持ち込まれる相談が、一癖あるものばかりだということには変わりがないらしい。
「妹の名前はカナといいます。三年前に突然、姿を消しました」
「それで……警察には?」
毎度おなじみの質問を投げかけてみる。
「もちろん、失踪届を出しています」
「えっ、警察に失踪届を?」
「そうですけど……」
「あ、いや、失礼しました。どうぞ、先を続けてください」
話を聞くほどに驚きが重なっていく。今まで相談電話をかけてきた誰も彼もが警察を頼らないなかで、イガラシは真っ当に行動を起こしているようだった。もっとも、本来なら当然の行いである。特に自分の悪行を知られるのが嫌で、警察を回避していたお姉さんなどは未だにどうかと思っていた。
普人の態度に困惑しつつも、イガラシは話を続ける。
「当時、カナは十九歳でした。ひとり暮らしをはじめたばかりの女子大学生が急に姿を消したので、警察もきちんと捜査してくれました。でも、見つからないまま、もう三年も経った」
「そうなんですね……」
失踪――自発的か、それとも誰かに拐かされたか。
しかし、次に出た言葉で、今度は普人が戸惑うことになる。
「カナは、神隠しにあったんです」
「神隠し?」
「はい。カナは化け物に攫われたんです」
普人は目を丸くして彼女の話を聞いていた。
対して、イガラシの言葉は確信に満ちていた。そこまではっきりと口にするということは、根拠があってのことなのだろうか。
普人が話を聞こうと声を上げるより先に、やや語気を強めてイガラシが喋る。
「ここでは、普通じゃない……超常現象のような話でも相談に乗ってくれると、そう聞いたんです」
「ええ、まあ」と普人は答える。「どんな内容でも聞くのは確かです」
思い返せば、今までもおかしな相談ばかり聞いてきた。前回に至っては、海上で爆発する船の謎についてである。それに対しても、陰謀論めいたスケールの大きい回答を導き出すことになった。今回の件も、ついに神がかり的なところまでやってきたかと思うしかない。
ふと、思い立って、普人は尋ねる
「この電話については、どこで知りました?」
前回も、名前も知らないお兄さんに同じ問いかけをした。彼は「友人」以外の言葉を発しなかったが、イガラシからはなにかが聞けるかもしれないと思った。
「インターネットです。その……マニアが集まる匿名の掲示板で」
「マニアというのは……」
「いわゆる、オカルトマニアです」
なるほど、と普人は頷く。
なにか特別なコミュニティで電話番号が広がっている、と以前考えたが、層の広さから違うのではないかと思っていた。しかし、この手の趣味から広がっているというのはあり得る話だ。ましてやネット経由であれば、誰もがこの電話につながることができる。
いったん話を切り上げて、普人は話題を戻した。
「イガラシさんは……その、妹さんの失踪の原因が、オカルト的なことだと考えてるんですか」
「園山さんも私がおかしいと思いますか?」
イガラシは質問に質問を返した。即座に、やや攻撃的な口調で。それは、普人を攻撃する意図があるのではなく、防衛のためだと感じていた。
普人はちょっと言い淀んだが、それでも力強く答えた。
「そんなことはないです。世の中、理解できないことや不思議なことは沢山ありますから。話してください。きちんと聞きます」
「……わかりました」
正直に応えたつもりだが、彼女の声には隠しきれない警戒心が浮かんでいる。
今まで多くの人は信じてくれなかった。貴方は本当に信じてくれるのか――と、そんな声が聞こえてくるようだった。
しかし、それでもイガラシは当時の詳細を語り始める。
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