話を聞き終えた普人は呆気にとられていた。

 海の中から見た話――というのも、不思議だったが、話の内容があまりにも荒唐無稽であった。

「それは、一週間前の出来事なんですよね?」

 漁船が爆発したとなれば、ニュースになっていたとしてもおかしくはないが、そういった話を見聞きした記憶はまるで無かった。確かに、自宅とアパートを行き来しているだけの生活を送る普人とはいえ、日々のニュースのヘッドラインぐらいは確認している。

 こんな事件が起きたら、世間は間違いなく大騒ぎだ。

 ひとつ考えられることは、相談者であるお兄さん以外に目撃者がおらず、だれも船の捜索を願い出ていないということである。しかし、船といえば乗組員が複数人はいるはずだろう。船が帰ってこなければ、必ず家族が気付くはずだ。

「なぜ、すぐ通報しなかったんです?」

 普人は尋ねた。もしかしたら、生存者がいたかもしれない――一瞬、そう続けようとして、すぐに言葉を止めた。いまさらそれを言っても、おそらくはどうしようもないからだ。船が海の底に沈んだのが一週間前だというのなら、生存者がいる可能性はあまりにも低い。それに加え、お兄さんは「粉々」だという表現を使っている。

「怖かったんだ……こんな、おかしなことに巻き込まれたら、俺の生活のなにもかもが変わってしまうような気がして」

 さらに受話器からそう聞こえてきて、普人は責める気力を一気に失ってしまった。

 お姉さんのときと同じだ。警察にもいかず、天麻に言われる通りこの仕事をこなしている普人が、彼を責める言葉を持ってはいない。

 普人は小さく息をつくと、話を大幅に変えた。

「スキューバダイビングがご趣味ですか」

「そんな立派なものじゃないが」

 お兄さんは謙遜するように言った。

 日本には、想像以上に離島が多い。お兄さんも、日本の領海のどこかに浮かぶ離島に暮らしているのだろう。話ぶりから、そもそも島生まれだと思わせる。

「海は本当に良いんだ。とても静かで……」

 感極まったような声で語るお兄さんにつられて、島暮らしの生活を想像してみる。自然の溢れる緑豊かな島は、陽光にきらめく海に囲まれている。白い砂浜に波が絶えず押し寄せ、波の音が聞こえてくる。そんな島で海に入るのが日課だなんて、贅沢な生活だと、普人は羨ましく思った。

 だが、そんな生活が爆発によって消し飛んだとなれば、狼狽えるのも無理はない。

「普段、お兄さんが泳いだり潜ったりする場所で、船はあまり見かけないということでしたが」

 そういったニュアンスのことを、先ほどの話のなかで語っていたので、改めて確認をする。通常、遊泳場所と漁場は分かれているはずだ。そうでなければ、泳いでいる人が漁に巻き込まれてしまい大変危険である。

「船を見ない、とは言わないが、基本的にはない。ほんとうにたまに……」

 これは微妙な言い方だ、と普人は思った。記憶に頼るような話題でもないのに曖昧で、まるでなにかを隠しているような喋り方である。

「念のため聞きますが、そこは漁場ではないんですよね?」

「違う」と、彼は答えた。

「ともかく、その場所にほかの船は一隻もいなかったし、お兄さん以外に泳いでいる人もいなかった。そういう認識で間違いないですか?」

「そうだ。俺はほかの誰も見ていない」

 別の誰かがその場にいれば、今頃とっくに通報されて、テレビや新聞などの各媒体で爆発のニュースは連日報道されていたことだろう。

 さらに、普人は質問を重ねる。

「泳いでいた場所は漁をする場所ではない。それでも船は漁船だと思ったと言っていましたが、どうしてそう思ったのか、理由はありますか?」

「形と大きさ」とお兄さんはすぐに答えた。「タンカーやフェリーの大きさでもないし、観光船の形でもない」

「なるほど」

 普人は頷いた。迷いのない返答だったため、この話は素直に信じて良いだろうと感じた。それに、船なんて見慣れていない普人が想像を巡らせるよりも、島暮らしのお兄さんの所感のほうがよほど信頼できるというものだ。

「そして、その割に魚を捕るような素振りはなく、何度も錨を海底に下ろすという不思議な行動を繰り返していた……」

「そうだ」

 通常、錨は船がその場に留めておくために使用される。何トンもある重い錨を海底に降ろすことで、船が流されないようにするのである。それをなぜ、繰り返しやり直す必要があったのだろうか。停泊位置が細かく、微調整が必要だったのだろうか。

 しかし、これだけ話を聞いても、まだまだ情報が足りていない。

「ほかに、気になることはなかったですか?」

 なんでもいいですよ。そう付け足して、普人は話を促した。

 けれど、お兄さんから帰ってきた言葉は、頓珍漢なものだった。

「俺は思う」と、彼の声は真剣そのものだった。「あの一連の動きは……海に呪いをかけていたんじゃないか?」

「え。呪い?」

 常識の枠外に存在していた単語を投げつけられて、普人はしばし呆気に取られた。

「一隻だけ漁船がやってきて、漁もせずに不審な行動をしていたんだ。それ以外に考えられるか」

「ええっと、もっと現実的な話も考えられると思いますけど……その後に爆発が起きたことだって、事故か事件かわからないけど、人為的なものに思えるし」

 戸惑いながらも、お兄さんの話に載ってみることにする。

「仮に呪いだとして、そう思う根拠があるんですか?」

 もしかして、お兄さんの暮らしている島にそういった伝承があるのだろうかと尋ねてみるのだが。

「いや……」と、途端に気の抜けた返事になってしまった。

「そうですか……うーん、どうだろうな……」

 普人は困惑しながら、一度話を切り上げた。突っ込みたい気持ちは山々なのだが、どうも、相手はひどく混乱しているようだった。もう一週間も前の出来事だから、事実よりも妄想が記憶を飲み込んでいるのかもしれない。

 とはいえ、普通の人々には想像もつかない理由で、信じられないような行為を真剣に執り行う人間は、いつの時代でもいるものだ。どのような馬鹿らしい理由であれ、可能性を排除することはできないとも、普人は考えていた。

「呪い説もないとはいえないかも……でも、そこに至るまでに、まだもう少し現実的な理由を探しても良いんじゃないかな」

 あくまで優しい態度を崩さず、普人は告げた。

 呪術云々はともかく、自殺志願者が集まって海に出てきたという可能性は考えられるのではないか。誰にも見つからない場所を求めて海に出てきたが、船の扱いに慣れておらず、何度も錨を降ろす羽目になった。

 いや、それならばなぜ爆発する必要があるのか。目の前に海があるのだから入水するという方法だってある。それに、船を用意するより、車を一台用意して、山の中で練炭自殺でもしたほうがよほど簡単だ。船の故障にしたって、簡単に沈没なんてするものか。粉々になって沈むほどの爆発を起こしたのだから、大量の火薬のようなものを積んでいたと考えていた方が自然だ。

 お兄さんとは違う方向へ、普人もまた想像を膨らませていた。事象から勝手な想像を巡らせているという点では、お兄さんの思いつきの呪い説とも、普人の爆発事故説も、そう違いはない。

 問題は、その想像をどうやって解答に変化させるべきかということだ。そう考えているうちに、電話口のお兄さんの声が震えだした。

「……なあ。また似たような船が来たときは、どうしたらいい?」

「うーん、その」と、普人は少し言い淀んだ。「そんなにおかしな状況に、何度も遭遇する可能性は低いと思うけど……」

 けど、確証はなかった。船の目的も、爆発した理由もわからないのだから、普人が確実に言えることはなにひとつとしてない。

 そんな弱気を察したのか、お兄さんはさらに怯えはじめた。

「怖いんだ。怖い、怖い……俺はいつもひとりだし、恐ろしいんだよ……おかしなことに巻き込まれたりするのは嫌だ、嫌だ、嫌だ……」

「わ、わかりました。落ち着いて」

 普人は慌てて相手をなだめた。震えてぼそぼそと発せられている声だったが、追い詰められている者独特の迫力を醸し出している。

「大丈夫だから、いっかい深呼吸してみて……」

 ひどい怯えようだが、よくよく考えてみれば、今までの相手が変わり者だっただけで、悩みを抱えている相手の反応としてはこちらのほうが普通だろう。

 なによりも、普人はあることを見落としていた。

 この仕事は、相手の〝納得〟により解決と見なされる。普人は事故のあらましを聞いて、なぜこんなことが起きたのかを当てることに気を取られていた。しかし、目撃者のお兄さんにとって大事なことは、己の身の安全のようだった。

 しかし、身の安全なんて電話相談でどうやって証明するべきか。

「思い切って、住む場所を変えてみるとか……」

 普人は弱気に提案する。とりあえずの案であったが。

「そんなに簡単にはいかない……」

 当たり前の返答が返ってきた。翁のときもそうだったが、すぐに思いつきそうな解決策をやっていないということは、なにかしらやれない理由があるのだ。

 普通の人間ならば、人間関係や仕事の都合もあるだろう。ましてや島に暮らしているというのだから、通常より引っ越しに苦労するであろうことは容易に想像できた。なによりも、彼は海に並々ならぬ思いがある。島から離れろという提案は酷な話に聞こえてしまうだろう。

 普人は悩んだ。だが、無言のままではますます相手を不安にさせてしまうだけだ。

「お兄さん」と、思い切って呼びかける。「三日後の同じ時間に、また電話を貰えませんか?」

「……三日後?」

 相手の声は明らかに困惑していたので、普人は間髪入れずに続けた。

「そうです。その間に、僕が解決策をひねり出します」

 このまま電話を続けていても、お兄さんを慰めるしかない。しかし、今の普人には相手を納得させられる言葉を持っていないのだから、堂々巡りになることは目に見えている。行き詰まったときは、なにか変化を起こさなければならない。

「時間が空いてしまうのは申し訳ないけど、そのかわり必ず解決するから」

 普人は断言した。こういうときは、強い言葉で相手を安心させた方が良い。それに普人自身も、自分を奮い立たせたかった。

 お互い、しばし無言が続く。

「……いや」やがて、男は言った。「……わかった。よろしく頼む」

 先ほどよりは、ほんの少し、お兄さんの声色が安定している。

 強気な喋りとは裏腹に、普人は彼の怯えように内心ヒヤヒヤしていたので、ようやくほっと一息つくことができた。

「任せて。三日後に必ずいい話を用意しておく」

「……頼む」

 相手が電話を切ったのを確認してから、普人は受話器を置いた。

 前回は解決策を提示してから待つだけの三日間だったが、今回は違う。この三日間のうちに、なんとしても解決の糸口を発見しなければならない。

 それから、普人はすぐさま書斎のドアの前に立つと、大きめのノックをする。

「天麻さーん、報告でーす」

 部屋の中に天麻がいるかどうかは半信半疑であったが、普人は一応声をかけた。朝には返事はなかったから、あまり期待はしていなかった。

 ところが、今は中から返事が聞こえてきた。

「開いている」

 許可が出たのでドアノブに手をかけると、鍵はかかっておらず、思いのほかスムーズに扉は開いた。

 普人が部屋に足を踏み入れると、相変わらず室内は無表情であった。もちろん、部屋の奥にいる男もである。なぜ朝は返事をしないのか。文句のひとつでも言いたい気分だったが、どうせあしらわれるのは目に見えている。

 普人は話を切り出すきっかけに、嫌味ついでに前置きする。

「言わなくても事情はわかっていると思うけど」

「報告しろ」

「はいはい」

 一切の省略は許さない、という態度だ。適当に返事をして、普人はさきほどの電話の内容を伝えた。

 相談の内容と、即時では解決策が提示できなかったこと、相手から三日間の猶予をもらったことをかいつまんで説明する。

「そういうわけで、三日間の時間をもらうよ……っていっても、時間内にはなるべく此処にいるつもりだけど、調べ物をしたかったりしたら出掛けるかも」

「構わない」

 相変わらず、天麻からはすぐに許可が出た。話が早くて助かるが、拘束されている割にあまりにも自由なので、その矛盾にいつも不思議がつきまとう。

 普人はちょっと悩んでから、意を決して聞いてみる。

「こう……なにか上司からアドバイスとかないわけ?」

 天麻はいつも、電話での会話内容を把握している。ならば、普人が行き詰まっていることだって、とっくに知っているはずだ。

「相談の解決が、僕らの共通の目的でしょ?」

 試しに、そう言ってみる。天麻がこの仕事に対して何を考えているのか、普人は少し気になっていた。無視するか、それとも協力してくれるのか。

 淡々としている天麻が、珍しく片眉を上げて反応した。

「ひとつ教えておこう」と、彼は言った。「あの男は、現在の居住地にしか居場所がない。だから、それを守るために必死だ」

 予想通り、あのお兄さんと天麻は知り合いらしかった。

 なにより、天麻もまた、電話相談という業務を重要視しているのは間違いなさそうだ。淡々としているし、解決さえすればそれで良しとする態度から、普人に仕事をやらせるのは業務への軽視ではないかと疑っていた。

 だが、どうやらその見込みは違うらしい。彼にも問題解決の意欲があるのは、普人にとっても多少は心強い事実だ。多少は。

 それから、普人は呟いた。

「今住んでいるところにしか居場所がない……か」

 電話をかけてくるのは弱者だという天麻の言葉を思い出す。

 お兄さんには制約があって、島から出ることが不可能なのかもしれない。自分の居場所がなくなることを恐れているのなら、あの怯えようもわかるというものだ。拠点を失って流れ者の生活をするなんて、普通の人にはあまり耐えられないことだ。

「ともかく、島から出る案はありえないってことね」

 普人の問いに、天麻は黙って頷いた。

 ならば、提示するべきは、あのような船はもうやってこないという情報しかあり得ない。適当な作り話をでっち上げることも可能だが、普人はできるだけ真相に近づきたいと考えていた。嘘は必ず綻びを生むし、なにかのきっかけで嘘がばれては、普人の言葉は二度と信用して貰えないだろう。

「そういえば……もし問題が解決することなく、相談が打ち切りになったらどうなるんだ?」

 ふと思い立った普人の問いに、天麻は即答した。

「君の借金が増える」

「最悪」と、普人は嫌そうに言った。

 やはり、なんとしても問題解決をしなければならないようだった。失敗が続けば、ずるずるとこの仕事を続けていくことになってしまうではないか。

 やはり船が何をしていたのかという事実を、どうにか突き止めなければならないだろう。

 普人は早速、明日からの予定を頭の中に描きはじめていた。

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