普人は、両親から普通の人生を送ることができればそれで十分だと、懇々と諭されて育ってきた。普通の人、と書いて普人という名前には、そんな両親の考えが込められていることは一目瞭然だ。両親は共働きで、裕福でも貧乏でもない環境で育った。必要な物は与えられ、過ぎた物が手に入ることはない。

 普通。平均的。標準。子供時代の普人の暮らしを表現するならば、そういった単語がやはり相応しい。

 そうやって育ってきた普人だったが、ひとつだけ秀でた能力を持っていた。

 他の人間より、察しが良い――ということを自覚したのは、中学を卒業して高校に入ってからだった。これは後天的な才ではなく、生まれながらの先天的なものだと、普人自身は考えていた。親や誰かにコツを教わったとか、特殊な訓練を受けたという事実は一切無かったからだ。

 普人には他人の仕草や挙動の機微が、嫌というほどよく見える。

 嘘をつくとき、目が泳ぐ人がいる。声が上擦る人もいる。指が小刻みに動く人、耳が紅潮する人。この手の変化は、もちろん人によって程度があるが、ほかの誰もが気付かないような動作すら、普人は見逃すことはなかった。

 同年代の友人たちがあからさまな嘘に簡単に騙されたり、綺麗に彩られた偽りに感動の涙を流しているのを見て、普人は不思議でしょうがなかった。やがて、違うのは自分のほうだということを、徐々に自覚せざるを得ないようになる。この事実に気付いてからは、普人は〝普通〟からやや外れた道を送ることを決定づけられた。

 こうなってみると、両親の諭していた「普通の人生を送ることができればそれで十分」だという言葉の重みを、嫌というほど実感することになる。

 普人に与えられた天賦の才は、驚くほどに人生の役に立たなかったからだ。それどころか、重荷ですらあった。

 他人の嘘を見抜ける。相手の意図がわかる。そこから、先のことが予想できる。

 これが一体、なんだというのか。

 例えばの話だ。失敗するプロジェクトを推し進めようとする社長がいる。その未来をわかっている新入社員がいる。会社においては、どちらの意見が採用されるだろうか。無論、考えるまでもなく前者だ。才能のある個人なんて、社会という強大な仕組みのなかでは、まるきり小さな存在なのである。 

 わかるだけわかって、なにも変えられない。これは結構な苦痛だ。回避できない悲劇をただ待つだけの身が、いったいどれだけ身を焦がすか。

 普人はあっという間に社会から脱落した。人の輪に入ると、なにからなにまで見えて、やりづらくてしょうがなかった。

 そんな普人が唯一、才能を生かせるのがギャンブルであった。スロットなど機械相手のギャンブルはてんで苦手だったが、競馬や競輪、オートレース、ボートレースなど、人間や生き物が関わるものでは充分に力が発揮できる。

 予想をして、想定通りにレースが進んで、あっという間に金が増える。このずるい生き方を覚えてから、ようやく普人は安定した日々を送れるようになった。

 なかでも競馬は、特に普人のお気に入りだった。最近は地方であっても競馬場は綺麗になっていて、出店も多く過ごしやすい。若者の出入りも多く、平日の昼間に普人がひとりでぶらついていたって、目立つことはない。

 競馬で生計を立てる馬券師――というのは、世間一般において架空の存在だ。実際に競馬で勝ち続けるのは非常に難しい。予想家と名乗る人間もいるにはいるが、その実、新聞や雑誌、ネット記事のライターだとかで生計を立てているものだ。

 だが、普人は本物だった。真剣に予想をして、馬券を外したことは一度たりともなかった。短時間で手軽に金が稼げるようになったので、会社を辞めてからも、自由気ままに生活を送っていた……はずだった。つい先ほどまでは。

 あの馬券が外れたことは、今でも納得がいっていない。もちろん、その後の怒濤の展開についてもだ。偶然、謎の男に賭けを持ちかけられて、偶然、そのレースで落馬が起きる。そのまま借金を背負って、拉致され、謎の仕事をさせられる。

 やっぱり、なにか理由があるとしか思えない。

 少なくとも、天麻は普人の才能を知っている。なぜ自分が選ばれたのか、どうしてこんなことになっているのか。いまここで逃げだしたとしても、おそらく原因にはたどり着けないことだろう。

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