Formula-U

Φland

Rd-1

 銀河を覆うほど人類が広がっても、レースへの欲求が薄まることはなかった。フォーミュラ・ユニバース。惑星を渡り歩き、銀河最速を決めるチャンピオンシップ。人々は、マシンとドライバーが織りなすイカレた旋律に狂喜乱舞していた。そんな時代。


 企業惑星ネイピア。大気圏(空気中に含まれる分子はほとんど全部二酸化炭素)の外まで届く超高層ビル群が所せましと立ち並ぶ、無人の星。重力は地球の約1/4で、ビル特有の突風が常に吹き荒れている。

 ネイピアの市街地サーキットは全長4.774キロ。直線と、事実上の直線が合わせて4つある。サーキットの中盤にはタイトなブラインドコーナーがあり、集中力を欠けば壁に突撃する。

 レッドキングのガレージにいるメカニックは全員、頭までを覆うEVAを着こんでいる。だけれども、彼らがマシンに直接触ることは少なく、大方の作業は天井から伸びるロボットアームが行っていた。ガレージの後方と左右の壁の一部はガラス張りになっていて、ロボットアームを操作しているメカニックはそこから目視とカメラ映像、外にいるメカニックからの指示をもとにマシンをセットアップしていく。

「これだから酸素のない惑星は面倒なんだ」カーヴァ―は言った。「マシンが仕上がりにくい」

 彼の声は無線を通して同チーム内のメンバー全てに伝わる。

「最終戦ならモナコだったんですけどねー」メカニックの一人がレーシングスーツに身を包んだカーヴァ―の身の上を茶化して言った。「災難ですねー。ブランクもあるのに」

「全部AIにやらせるから大丈夫だ」とカーヴァ―。

 メカニックの何人かが笑い声をあげる。一応マシンにはAIが積んである。だがそれはドライバーがやらかした時しか発動しない補助的なモノだ。

「無駄口を叩いてないで手を動かせ」チーム代表の叱責が無線から飛んだ。


P1

 カーヴァ―はヘルメットを被り、レーシングスーツの首元の留め具にしっかりはめ込んだ。エアロックを抜けてマシンに乗り込むと、背中にあるプラグをシートにつなぎ、マシンのシステムとスーツを同期させる。

 EVAと違い、カーヴァ―のレーシングスーツには酸素を供給するタンクも二酸化炭素を吸収するフィルターもついていない。背中にあるプラグをマシンにつなぎ、そこから直接空気ををもらうのだ。ドライバーの中にはこの接続の度に、自分がマシンの部品になる恐怖におののくタイプもいる。

(サーキットの一番奥でクラッシュすれば、救助まで最短5分。酸素の供給が止まっても、スーツ内の空気で7分は生きられるが、スーツの方にダメージを負えばそれも怪しい。マシンの死が、すなわちドライバーの死。マトモな神経ならもたないな)

 エンジニアからゴーサインが出て、カーヴァ―はアクセルを踏み込む。電気系の小気味いいモーター音が響く。ピットレーンを徐行(モータースポーツにおいての)で進むと、途中ででガレージから飛び出した一台に追い抜かれる。フロントからリアまで全部をクリアな赤に塗装したマシンが、午後の陽光を反射させながら目の前を強引に横切っていこうとする。ピグモンのマシンだ。後ろにカーヴァ―のマシンがいることなどお構いなしのご様子で、ピットレーンから飛び出していく。

「チッ。ピグモンのドライバーにブレーキ踏まされた」カーヴァ―は無線で主張する。

「了解。見てるから大丈夫だ」

 無線の向こうのエンジニアは淡々と答える。カーヴァ―のマシンも続けざまにピットレーンを飛び出す。

「まずはマシンに慣れてくれ。テストはそれからでいい」エンジニアが言った。

「必要ない。シミュレーションは十分やった。次の周からいく」

 無線の奥で、エンジニアが呆れて口をへの字に曲げている気がした。ドライバーはステアリングを握ったが最後、理屈では縛れなくなる。エンジニアの言うことに一理どころか千理あろうが、嫌なら進んで従わない。お互いにそのことはよく知っていた。

「分かった。ターン10までゆっくり走れ。トラフィック引っかからないようにする」

「了解」

 タイヤを温めながらカーヴァ―はアウトラップを済ませ、最終コーナーの立ち上がりからスピードを上げた。フォーミュラ・Uの最高速度は390キロ(マイルは駆逐された)。その限界までスロットルをフルで開く。コンマ単位でマシンはトップスピードに達し、直線の左側を切りつけて走りぬける。

 フルスピードに達していた時間は僅か数秒。直後の右コーナーに向けて今度はブレーキを蹴り飛ばす。足がつりそうだ。タイミングも最悪。フロントもない。減速しきれなかったカーヴァ―のマシンはコーナーを曲がり切れずにウォールへと導かれる。咄嗟にエスケープゾーンに逃げ込んだ。

「大丈夫か?」エンジニアが無線ですかさず聞いてくる。

「平気だ。頭が入っていかなかった。あとは俺が悪い。タイヤをチェックしてくれ」

「了解」

 エスケープゾーンでまごついているカーヴァ―をしり目に、赤いマシンがタイムを出して横切っていく。

「奴のタイムは?」

「1分23秒77」

 速い。それは素直に認めざるを得ない。カーヴァ―はマシンを反転させ、コースへと戻っていく。エンジニアの確認はまだだったが、タイヤはまだいけそうに感じる。忘れかけていた感覚が刺激されて、徐々に蘇ってくる。カーヴァ―はステアリングを握り直した。やるだけやってやるさ。


 二週間前、惑星クシャ。目の前には地平線まで黄色い砂で埋め尽くされている。今回のレースではこの砂にかなりてこずった。火山灰より細かい砂粒のせいでマスクとゴーグルが外せないし、砂がマシンの中に入り込んで電気系のトラブルが相次いだ。そのせいで、コルリーも帰らぬ人となった。砂丘をラクダと牛を足して地面に叩きつけたような動物がゆっくり横切っている。クソみたいな砂の地獄に好んで生息する動物たちがとても信じられなかった。

「で、お前以外のドライバーは全員お陀仏ってわけさ」

 チーム代表のキースが長々と説明していたのをカーヴァーはメモを取りながら聞いていた。と言っても、書いているのは話の内容ではなかった。カーヴァーのペンはコーナーへの進入速度や角度を関数で表しては、変数を弄んでいた。

 チーム代表の思惑はこの話が始まる前からはっきりしていた。レッドキングのドライバーはここ半年で五人亡くなっている。残っているのは、今では一介のメカニックである年老いたカーヴァ―だけだった。(レーサーとして年老いてるだけで、カーヴァ―はまだ三十二だ)そして今、レッドキングはチームとして首位に付けている。

「今、乗れるのはお前しかいない」

「分かった。やる」

 面食らったのはチーム代表の方だった。「おいおい。ホントに乗れるのか?」

「どっちだよ。乗せたいのか乗せたくないのか」

「お前しか選択肢がないが、今のお前が乗れるとは思えない」

「ムカつくなぁ。はっきり言われると」

「死ぬかもしれないし」

「死なねーよ」


 最終コーナーでリアが滑り、危うくクラッシュしかける。死ぬかも。

「1分25秒56」エンジニアがタイムを告げる。

「今タイムはいい。タイヤのグリップは全然ない。すぐにアンダーが出る。縁石にも乗りにくい。あとターン13辺りで酸素が一回とまった」カーヴァ―は早口でまくし立てる。

「了解」

「確認してくれ」

 練習走行の時間は限られている。時間いっぱいまで攻めて、どこが悪いのか徹底的に洗い出す必要があった。コースを一蹴してピットに戻る。ガレージに帰ってきたマシンはすぐさま改修される。

 カーヴァ―は大きく息を吐き、全身の筋肉を弛緩させた。今は大して仕事がないので、そのまま目を瞑り仮眠をとる。6周しただけで体は即効性の筋肉痛に覆われていた。カーヴァ―が休むその間にもガレージ内は慌ただしくEVAを着たメカニックとロボットアームが動き回っていた。

「寝てんのか?」無線からチーム代表の声が聞こえた。「前のお前なら雨の日しか寝なかったろ」

 スーツはドライバーの身体情報を随時エンジニアに送っている。使える酸素の量には限りがあるので、ドライバーの呼吸の一つ、脈拍の一つまで管理する必要があるのだ。それを逆手にとれば、寝ていることは筒抜けになる。

「認めるから寝かせてくれ」カーヴァ―はわざとらしくくたびれて見せた。

「分かってるのか、表彰台が取れなかったら」

「ん。分かってる。優勝する」

 チラと壁に掲げられている時計を見る。P1は残り42分。今はライバルのことを考える余裕がない。とにかくマシンをこの惑星に馴染まる。そのためには情報が必要だった。

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