プロローグd 恋に公式も計算も打算も意味を成さない
原初の世界 2023年7月7日午前4時2分。
地上64階建てになる予定だった高層ビルは「発現」後に起きた混乱により、およそ51階の高さでその計画は中止となり、今もそのまま放置されている。
その最上階の剥き出しの鉄骨の先に一人の青年が立っていた。
そして少し距離を離れて彼の後ろに銀髪の少女が現れる。
「うん間違いない。初めましてエト。」
青年に真城真美が声をかける。
原初の世界では5年。
彼女の体感時間で16年の時を経て彼女は生まれ直し、彼に相応しい力を得てこの原初の世界に戻って来た。
今彼女の目の前にいるのは意思を持った自由。
名前をエト。
振り返り、真美を見るその姿。
虹色の光彩を持つ美しい瞳。
金髪ながらもその首元まで伸びる天パ気質な毛先にかけて様々な色のグラデーションを持つ髪。
煩いほどの姿をする彼だがフード付きのピンク色の背中からはその絶対性を感じない。まるで迷子の子供のように暗かった。
きっとそれはまだ日の出が始まらない時間だからという理由ではないだろう。
「君は...どっちだい?真城真美?それとも「虚偽」?」
自分と似たような力の感覚に彼はいとも簡単に彼女の手に入れた力を看破した。
「どっちもよ。私のこと知ってたんだ。」
「知ってるよ。全知の能力者。僕の「全能」と対の存在。吉儀はそう教えてくれたよ。君の力はなんとなくそう感じただけ。」
彼の受け答えを聞き真美は嘲笑する。
「貴方が全能?辞めてよ。貴方はそんなつまらないものじゃない。」
もちろんその対象は彼ではなく、その程度の理解しか示せなかったその他に対してだった。
「じゃあ僕は何者なの?」
エトの乞うような疑問に真美は先ほど覚えた凡人に対する怒りを忘れた。
「「自由」よ。「存在する全てと存在しない全てに願われた自由そのもの」それが貴方。「何が何に縛られるかを選択することができる」絶対者。」
「願われた?僕が?
消え行ってしまいそうなエトの声を聞いた真美は、胸に手をあて「違う、それは貴方以外の全員が悪い」という言葉を真美は飲み込んだ。
真美は予想していなかった。
まさか彼自身が自分の力を認識していなかったなんて。
まさか「この世の全てを思うがままにできる」ことを確約され生まれた存在が、その力ゆえにここまで孤独感に苛まれ、あろうことかそれを他人の所為にすることもなく、そうならないように世界を作り替えることもなく、ただ胸に抱えていたことを。
まさか彼がここまで追い詰められていたなんて。
許せないこの世界の全てが。
弱っているところに付け込んでいるような、それを好都合と感じてしまう自分の嫌なほど理知的な思考に、彼の現状が「全知」の自分が不在がゆえに起きてしまったこと。あの時、己がいかに浅はかで自分のことのみを考え、彼のことを考えていなかったこと、故に自分が腸煮えくりかえっている者たちと同種ということも許せない。
それでも真美はそれらの感情を全て飲み込む。
今は彼の為にかける言葉を探すことに全神経を注がなければならない。
辛いのは今までここに至るまで苦労した自分ではなく、優しさゆえに居場所がなくなってしまった彼なのだから。
「そうね。みんな神や上位者の存在を信じてもそれらに好き勝手干渉されたくないものよ。だから貴方は「願われた」のではなくて「願ってしまった」の方が正しいわよね。」
「そうだね。その通りだね。僕なんていない方がいいんだよね。」
「それは違うわよ。」
真美ははっきりとそれを否定した。
「どうして?」
再び彼女は深呼吸する。
「私は貴方に居てほしい。出来ることなら私の傍にいてほしい。」
彼女は16年のかけようやくその言葉を、
「...僕は真城吉儀の為とはいえ、この5年間君の姿を使って「全能」の真城真美として行動していたんだ。君に恨まれることはあれどそんなことを言って貰えるような立場ではないよ。」
臆することなく、彼の立つ細い鉄骨へと一歩踏み出し
「そんなことはどうでもいいの!わたしは!貴方のことが好きなの!」
愛の告白を口にした。
とたん真美に訪れる背筋を伝うような緊張。
もう時間を戻せない、言ってしまったことに対する焦り。
なによりその先に訪れる未知に対しての恐怖。
大きく胸を響かせる心臓の鼓動。
「...好き?」
「そう!好きなの!私は貴方に恋をしていて、貴方と永劫を添い遂げたいと想ってるわ!」
彼女はもう止まらない。
今まで溜まりにたまった想いがあふれ出す。
「?」
反対に、そもそも人の感情に疎いエトは置いてきぼりだった。
「私にとって貴方は理想の王子様。でも全知の私じゃ、天才なだけの私じゃあなたに相応しくなかった。そんな存在異世界には五万といるもの。だから貴方の隣に立つために全知を捨てて転生して虚偽の特権者としてこうして再びこの世界に還って来たの。」
「どうしてそこまでして?僕たちは確かに縁はあるかもしれないけど、今が初対面の関係であることに変わりはないよ。」
だがそこまでの情熱に流石のエトも理解が及ばない。
「そんなことは些細なことよ。わたしは、あの「発現」の日に貴方に一目惚れしたの。私は全知となり貴方という存在を知った。自由の特権。貴方の隣という特等席で見る世界は絶対に面白い。」
そしてまた一歩踏み出すと今度は右手をエトに差し出す。
「だからエト!わたしと来て。わたしなら何があっても貴方を1人にしない。」
「うん、わかった。」
エトは彼女の手を握り返した。
「そうねもっと言わせてもらえば...面白いと言っても一概にその定義は...え?なんて?」
転生し全知を失ったとはいえ彼女のIQ460の天才的な頭脳以前健在だ。
それがエトの返事と握られている手を見たことにより一瞬でショートした。
「伝わっているのかな?僕は君の好意を受け入れるよって意味だったんだけど。」
「..........は!それって、それってさっき言った恋人的な!将来的にはその結婚とか!そういう意味だけどいいの!?」
回復はしたものの衝撃のあまり彼女の脳内では”彼の恋愛観の確認をする”という命令だけが優先され、言葉選びにまで脳が回らなかった結果結婚という一種のゴールまで口に出したことを彼女は自覚していない。
「うん。正直君の言う”好き”がどんな意味かまでは分からないけど、君にとってそれは”面白いこと”なんだろ?」
「ええ、そうよ。」
今彼女はエトの言葉を丁寧に解釈している余裕などない。
とにかく今この告白を成功させるためだけに彼女は反射的に行動しているのだから。
「ならきっとそれは僕にとっても”面白い”かもしれない。だから”いいよ”。僕は君を選択するよ。」
「んんんん!!!」
有頂天になった真美はその場でガッツポーズを決める。
エトは面白いことの望んでいてそれが恋なのだと解釈しているが、もうこの際成立すればなんでもいい。
「それで僕はどうすればいいの?」
そこでふと彼女は我に返る。
そうだ。
エトは恋人関係どころか人の好きになるということがわからないのだ。
でもそんなことは最初から想定済み。
「コホン。エトまずは告白を受けてくれてありがとう。まず約束として私以外の女とは絶対にこういう関係になんないでよね。」
そう第一に浮気封じ...
「わかった。」
これから起きることにワクワクしている純粋無垢な表情で頷くエトに対して彼女は自分が最初に浮気を気にするような女だったことに嫌悪感が少し積もる。
何やってるのよ私。浮気の一つも許せないなんてつまらない女と思われちゃうじゃない...でも浮気はこの世界では悪いことよ。私としても私以外の女と一緒に彼と居たいなんて思わないし。そう...これは価値観のすり合わせよ。それに彼が分かったというならそれでいいじゃない。
「ねえ僕からも一つお願いしてもいいかな?」
「もちろん何でも言ってよ!」
ああ、全てが嬉しい。私の言葉に彼が答えてくれるだけで、彼の一挙手一投足が愛おしく感じてしまう。そのうえ絶対者たる彼から頼られるなんて...これが幸せ、これが恋なんだ。今私は間違いなく常世全て誰よりも幸福だ。
「僕に君のことを好きにさせてほしいなって。」
「へ?...ああえーとそれは任せておきなさい!」
反射的に出てしまった無責任な言葉に彼女はすぐさま後悔する。
さっき彼自身”そういう感情はよくわからない”といっていたじゃない。馬鹿!いえ間違いなく天才なんだけど今のはどう考えても私の馬鹿!
エトは存在する全てに願われ生まれ落ちた自由そのもの。
在り方としては神に近しい上に彼は”意思”らしいものを持ってまだ5年ほどしか経っていないのだ。
そしてこの立ち行かなさ。
理由は明白だ。
真城真美。彼女は彼女で生まれついての天才性。物心ついた時からまともに他者とのコミュニケーションを取ってこなかった彼女に恋愛経験等あるはずもなく。エトが初恋であり、これが彼女にとって初めての恋愛なのだ。
お互いに持つ力はそれだけで世界を左右するもの。
だが、どれだけの力を頭脳を持とうとも恋愛に関しては赤ちゃんレベル、かたや恋愛漫画から仕入れた程度と言った、二人の恋愛観では話がまとまらないのも無理はない。
そして更に彼女は、制御できない感情。それによって著しく落ちる思考レベルの低下に気が付かず突っ走っている。
「ねえ、大丈夫?」
「くっ...。」
うわ顔良...。
ダメだ。動揺してしまう。
プランB。
今度は目を閉じ深呼吸をする。
そして目を開けた瞬間、決めた台詞を一気に吐き出した。
「私が貴方に”好き”を教えてあげる!だからエト...わたしに騙されてほしいの!」
「...。」
「私も貴方もこの世界じゃまともに恋愛するなんてできない。だからわたしと一緒に別の世界で生きてほしいの。」
「別の世界?」
エトは異世界の存在を知らない。無論その気になれば可能だろうが、彼は自由であって全知ではないのだから。
「そうよ。ここと違って能力者も居なければ、ここよりは平和な世界があるの。そこでわたしと一緒に人として生きましょう。」
元々彼女はこの世界に留まる気はなかった。
だってせっかくなら色んな囚われずに恋愛に没頭したいじゃん。
ここでは真城真美もエトもあまりにもしがらみにが多すぎる。
「そこでなら僕は好きが分かるの?」
「ええ。私が絶対に貴方を惚れさせて見せるから。」
「わかった。でも条件が一つ。」
「...言って。」
割とすんなり話が進んでいただけあって、彼の言葉につばを飲み込む。
考えていたわけではないが、もしこれが「まずはお友達から」とか「会えるのは一日一回まで」とかだったらどうしよう。
「これは君の父上、真城吉儀の残した最後の願いなんだ。この世界が危機を迎えたとき、僕はその契約に乗っ取って一度だけこの「原初の世界」を守護する。」
彼女の不安とは全く関係のない事柄に安堵するものの、自分の父親の名前がこのタイミングで出てきたことに対して少しムッとする。
「気を悪くしないで欲しいんだけど、なんでそこまで吉儀に入れ込むの?もう死んだ人でしょ?あのおじさんに「自由」である貴方が縛られる必要はないのよ。」
「沢山お世話になったから。それに、もし約束も守れなかったら僕は「自由」でなくて「無」になってしまうよ。」
「そう別にいいけど。その時が来て事が終わったら必ず私の所に戻って来てよ。」
まあ、一回ならいいかと真美は納得する。
「もちろん。君との約束も必ず果たすよ。」
「ならいいわ。じゃあ早速行きましょう!ここととても似た世界。まだ能力者が存在せずまだ日本以外の国が存在している世界に。私たちを邪魔できる人なんていない世界へ。」
そしてこれが真城真美最大のミスとなる。
だが天才少女と言えど仕方ないのだ。
これは計算でも打算でもない。
胸の高鳴りの、衝動の赴くまま動くことこそ恋なのだ。
公式もなく制御できるものでもない。
人により定義もなくカタチも違うもの。
恋とは愛に変わるまでの道中を、そのどうしようもない儘なら無さを楽しむものなのだから。
エトがはじめ向いていた鉄骨の先に向けて彼女は歩き出す。
追い抜き様に真美がエトの手を握ったまま、まるで踊るように重力の赴くまま少女は無垢な王子様の手を引き己へと誘う。
そして鉄骨の先から落ちた。
こうして二人はこの世界から消えたのだった。
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